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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

大竹しのぶの「ふるあめりかに袖はぬらさじ」

2023年09月21日 | 観劇など

チケットをいただき、「ふるあめりかに袖はぬらさじ」(作:有吉佐和子、演出:齋藤雅文、主演:大竹しのぶ)を東銀座の新橋演舞場で観た。
劇場のサイトのあらずじは下記のとおり(最後の部分はパンフレットより)。

「幕末、開港前の横浜。遊廓「岩亀楼」の花魁・亀遊(美村里江)は店お抱えの通訳・藤吉(藪宏太)と恋仲でしたが、アメリカから来た商人のイルウス(前川泰之)に見初められ身請が決まってしまいます。
藤吉との恋が成就しないことを嘆いた亀遊は、自ら命を絶つのでした。
亀遊の幼馴染であった芸者・お園(大竹しのぶ)はその死を深く悲しみますが、ある日目にした瓦版に驚きます。
そこでは「異人に身体を許すならば自らの命を絶つことを選んだ”攘夷女郎”」として、亀遊の死の真相が捻じ曲げられていたのです。
瓦版は大変な評判を呼び、岩亀楼には連日攘夷派の武士たちが訪れることとなり、お園は真実を知りながらも、創り上げられた亀遊の最期を歌って語るようになります。
攘夷論が吹き荒れる世で、亀遊の死を巡りその渦中に巻き込まれるお園。
5年の月日が経ったある日、女郎自決の間としてすっかり飾り立てられた岩亀楼扇の間では思誠塾の門人・岡田(山口馬木也)たちが師を偲んだ酒席を催しています。勢いを失った攘夷派を嘆く門人たちは亀遊の話を聞こうとお園を座敷に呼びます。
気取った様子で“ 攘夷女郎”の最期を滔々と語るお園。重ねられた嘘の先に待つものとは・・・・・・

このあらすじだけ読むと、花魁・亀遊(自殺後は亀勇)、イルウス、藤吉らも、対等なキャストにみえるが、「あらすじ」の後の展開がほぼ大竹の一人芝居ということもあり、やはり圧倒的な主演は大竹だ。
ネタばれになるので、ほぼ感想だけに留める。亀遊が自決した攘夷女郎ということも、辞世の歌も「瓦版」の記事を利用したお園の「創作」だったことが攘夷浪人たちにばれ、真剣で脅され、「殺される!」と怯える大竹、許しを乞う大竹、命拾いしホッとして腰を抜かした大竹、浪人客の残り酒を銚子から飲む大竹、見事な感情表出と演技だった。
「おいらんは、亀勇さんは、淋しくって、悲しくって心細くって、ひとりで死んでしまったのさ(汽笛)それにしてもよく降る雨だねえ」が最後のセリフ、舞台中央にひとり立ち尽くす大竹の姿は堂々たるものだった。
直後のカーテンコールで40人を超える男女の役者たちを束ねる大竹は、名実ともに立派な女性座長だった。

なおあらすじには出てこない岩亀楼の主人(風間杜夫)、イルウスを岩亀楼で接待する大種屋の主人(徳井優)もいい味を出していた。
演技だけでなく、大竹の歌にも感心した。じつは2002年7月「太鼓たたいて笛ふいて(初演)をみたときにも歌がうまいと思った。最近はNHKラジオの「大竹しのぶのスピーカーズコーナー」でも歌声を張り上げているが2016年には紅白歌合戦に歌手として登場し「愛の賛歌」を歌った実力派だ。
ただ2002年当時歌ったのが(昔の)流行歌だったのか、あるいは唱歌だったのかまったく覚えていないので、この機会に図書館でシナリオをみてみた。するとこの劇用のオリジナル曲だった。たとえば「花鯛めでたい鯛よ さかなの王様よ おろして切り身それがお刺身 わさびによく合うよ・・・」の「姿焼きの歌」、「わたしは日本を愛してる わたしは日本をはなれられない 滅びるにはこの国があまりにすばらしすぎるから」と歌う「滅びるにはこの日本、あまりにすばらしすぎる」だ。ただ原曲があるものもある。前者はゴルニー・クラメール「スカラ座の宵」という曲だそうだ。
今回は小唄というのか端唄というのか、わたしにはわからないが日本のお座敷音楽、三味線弾き語りだった。
「露をだにいとふ倭(やまと)の女郎花(おみなえし)ふるあめりかに袖はぬらさじ」という文句(歌詞)の歌だった。わたくしは邦楽の上手下手はまったくわかっていないが、プロが歌っているように聞こえた。三味線も、高いところから見下ろしての観劇なのではっきりとはわからないが、おそらくご自分が弾いておられる様子で、普通に上手に聞こえた。芸者を演じるのははじめてとのことだが、大したものだった。
パンフに「杉村春子という伝説――そして「あなた」」というページを見つけた。有吉のこの作品の初演は1972年12月、戌井市郎演出の文学座公演、主演・杉村春子だった。わたしは舞台の杉村を観たことはないが、小津の映画で「晩春」(49)、「麦秋」(51)、「東京物語」(53)、「お早よう」(59)、「小早川家の秋」(61)、小津の遺作・「秋刀魚の味」(62)で観ている。その印象からすると、前半は杉村への宛書きのようにもみえた。
杉村は1985年まで13年間お園役を独占し、その後玉三郎も演じたが、91年、94年にも杉村が演じた。その後、玉三郎のほか、新橋耐子、水谷八重子、大地真央など錚々たる女優が演じた。上演30回目の今回、大竹の出番となった。大竹も今後も何度も演じるかもしれない。
この芝居(とくに前半には)有吉が、杉村に当て書きしたようなキップのいいセリフがいくつも聞こえてきた。
冒頭は「おいらん具合はどうですか。あら嫌だ、真っ暗だよ。誰も戸を開けてあげないんかね、えっ 近頃の若い者は本当に不親切だよ(略)しようがないね。まったく(略)いいお天気ですよ、おいらん、ほら、ここから見ると港は本当にいい眺めですよ」杉村の発声やしぐさが目に浮かぶようだ。
なお記事そのものは、演劇記者だった筆者(石井啓夫氏)の杉村の取材時の裏話のような内容だった。
わたくしが、いわゆる商業演劇をみるのは初めてに近い。新橋演舞場に来るのも初めてだ。
新橋演舞場がオープンしたのは1925年4月、ほぼ100年の歴史をもつ。23年の関東大震災のときは建築中、大戦のときは空襲で全焼したが48年に復興、現在の建物は82年建設のものだそうだ。3階席まであり、席数は1428、演劇用ホールとしては大きい。
松竹の主要劇場だそうだが、たしかに場内の雰囲気は、ロビー、幕、客席、通路に掛けてある絵画など、ここから400mほどの距離の歌舞伎座とよく似ていた。2階席天井には赤ちょうちんも見えた。
前半(1・2幕)と後半(3・4幕)のあいだに昼食の時間があった。これが本当の幕の内弁当だと理解した。

●アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。


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