今年は202年以降使用される高校教科書検定の年に当たり、この春、世間では「論理国語、文学国語」が話題になったが、わたしは、「日本史探究」などの「従軍慰安婦」「強制連行」などの記述削除問題が気になり、江東区千石の教科書図書館へ申請図書(白表紙本)と検定済み教科書を見にいった。
右から朝日新聞2022年3月30日朝刊3面、1面、東京新聞5月14日朝刊6面
昨年(2021年)5月半ば、新聞報道で当時の萩生田光一文科大臣(当時)が国会答弁で「教科書には『日本軍慰安婦』や『強制連行』という表現は掲載させない、『従軍慰安婦』又は『いわゆる従軍慰安婦』ではなく、単に『慰安婦』に」などと発言したことを知り、大臣がそんなことをできるのかと思った。
これには背景があった(以下、「今、教科書で何が起こっているか」鈴木敏夫・子どもと教科書全国ネット21事務局長 2022.2)を参考にした)。
もともと「新しい歴史教科書をつくる会」は教科書への「従軍慰安婦」「強制連行」記述を問題視していた。この流れを受け、有村治子参議院議員(自民・全国比例)は2021年3月22日、参議院文教科学委員会で「今や慰安婦問題は完全に政治問題となっており、(略)三十年間、日韓関係を揺るがし続けた主要課題であります。(略)政治の決定権者ではないのに、事実上、中学社会科教科書の執筆者や検定調査官が慰安婦問題に向き合う国家の方向性を決めてしまう、その上で極めて大きな役割を制度上担ってしまっているところに深刻な構造上の問題があるのではないでしょうか」と質問し、教科書の「従軍慰安婦」という言葉を一気に政治問題化させた。
萩生田光一文科大臣は「教科書検定基準には、閣議決定その他の方法により示された政府の統一的な見解が存在する場合には、それに基づいた記述がされていることとの基準があります。(略)政府の統一的な見解としてまとめられれば(略)その内容に基づいて適切に検定を行っていくこととなります」と答弁した。
この答弁が誘い水になったのか、3週間後の4月16日今度は日本維新の会・馬場伸幸幹事長(当時 現在は代表)が「従軍慰安婦」等の表現に関する質問主意書を提出し「1993年に河野談話で使われた『従軍慰安婦』を引き継ぐか、2021年2月の加藤官房長官の「近年政府は慰安婦という用語を用いている」との答弁をとるか」政府見解を求めるものだった。
もうひとつ強制連行について「連行は『本人の意思にかかわらず、連れて行くこと。特に、警察官が犯人・容疑者などを警察署へ連れて行く』という一般的には極めて強い意味合いのある言葉で不適切なので「徴用」を用いるべきであると思うが、政府の考えはどうか」という質問主意書を併せて提出した。
これに対し政府は4月26日、基本的立場は河野談話を継承するが、用語については「『従軍慰安婦』又は『いわゆる従軍慰安婦』ではなく、単に『慰安婦』という用語を用いることが適切である」、「『強制連行』又は『連行』ではなく『徴用』を用いることが適切である」「「強制連行された」若しくは「強制的に連行された」又は「連行された」と一括りに表現することは、適切ではない、「募集」、「官斡旋」及び「徴用」による労務については、いずれも強制労働ニ関スル条約上の「強制労働」には該当しない」という2つの答弁書(4月27日、閣議決定された政府見解)を送付するに至った。
その結果、5月10日衆議院予算委員会で日本維新の会・藤田文武議員(現在・党幹事長)は「今後の検定教科書教科書には従軍慰安婦、強制連行、強制労働、又はいわゆる従軍慰安婦、そして従軍と慰安婦を重ねて使うこと、これらのことについては適切でないので使われることはないと考えるが、見解はどうか」と質問し、菅義偉首相(当時)から「閣議決定その他の方法により示された政府の統一的な見解が存在する場合は、それに基づいて記述されていること、これが基準の一つになっています」との答弁を引き出した。
今年3月末に発表された教科書検定で、本当にそうなったのかどうか知りたいと、教科書図書館に行ってみた。
見たのは、今年3月末に検定結果が発表された高校の「日本史探究」などの教科書である。
実教出版「日本史探究」 右・検定前、左・検定後
実教出版「日本史探究」は「冷戦の終結と民主化の進展」という項で、冷戦終結後、これまで抑圧されてきた人権を求める声がさらに強まった例として「1991(平成3)年には、戦時中に日本軍慰安婦制度の犠牲となった韓国人女性が名のりをあげた。(略)93年には政府として慰安婦制度への軍の関与を認め」(361p)という部分に「生徒が誤解するおそれのある表現である(日本軍と慰安婦の関係について)」という検定意見がつき、完成した教科書には「1991(平成3)年には元慰安婦の韓国人女性が名のりをあげた。(略)93年に政府は慰安所の設置・管理、慰安婦の移送への軍の直接的あるいは間接的な関与を認め」と、たしかに「日本軍慰安婦制度の犠牲となった」という言葉が「元慰安婦の」という言葉に置き換えられていた。
実教出版「日本史探究」 右・検定前、左・検定後
また強制連行についても、実教出版「日本史探究」のp329「2皇民化政策と戦時下の動員」冒頭の「解説」という囲みで検定前の白表紙本では「朝鮮人の日本への連行は、1939年募集形式ではじまり、1942年からは官斡旋による強制連行が開始された。1944年には国民徴用令が改正公布され、労働力不足を補うため強制連行の実施が拡大された」となっていたが、「政府の統一的な見解に基づいた記述がされていない」と国会答弁どおりストレートな検定意見が付き、完成した教科書では「官斡旋によりおこなわれた」「労働力不足を補うため動員の対象が拡大された」など「強制連行」は削除されたり「動員の対象」に変更されていた。
東京書籍「世界史探究」 右・検定前、左・検定後
これは日本史だけではない。東京書籍「世界史探究」の「日中戦争と抗日戦線」の項で「日本の労働力不足が深刻化すると、朝鮮や台湾からも労働者が日本に移住させられたり、また連行されたりして働かされた」(p325)となっていたのが、やはり「政府の統一的な見解に基づいた記述がされていない」との検定意見で「強制的に動員されたりして」に変更、第一学習社「政治経済」の「国際法の役割と課題」「3 国際法の観点から日本の外交と課題を考える」の「戦後補償問題」のコラム(p191)のなかで「徴用工や「強制連行」をめぐる問題については、日本政府や企業に対して訴訟が起こされたが」の「「強制連行」をめぐる問題」は「徴用工など戦時中に動員されて過酷な労働を強いられた人々によって」と書き換えられる運命になった。
これは、国会論議を経て今年3月に発表された検定での問題だが、もっとひどいのは昨年(2021年)検定を合格した「歴史総合」や2年前の検定を通った中学「歴史分野」の教科書まで教科書会社の自主訂正というかたちで修正させられたことだ。高校「歴史総合」では東京書籍「新選 歴史総合」の「7 アジア太平洋戦争と日本の敗戦」のコラム「植民地や占領地での総動員体制と抵抗運動」のなかの「約70万人が日本本土に連行され、過酷な環境での労働を強制された」(p127)が「強制的な動員をふくめて約70万人が日本本土に連れてこられ、労働力とされた」と、「連行」という言葉がなくなっている。
東京書籍「歴史総合」 自主訂正後
また山川出版社「中学歴史 日本と世界」の「戦時体制下の植民地・占領地」のなかで、「多くの朝鮮人が(略)過酷な条件の下での労働を強いられた」に「注」(p247)があり、そこに「戦地に設けられた「慰安施設」には、朝鮮、中国、フィリピンなどから女性が集められた(いわゆる従軍慰安婦)」とあったが「(いわゆる従軍慰安婦)」がそっくり削除された。(なお教科書図書館には完成した教科書は各社1冊しか展示がないので、自分の目で新旧を対照できたわけではない)
この陰には、やはり21年5月10日の衆議院予算委員会での藤田議員の質疑があった。藤田議員はさらに「今既に使われている、又は検定が済んでいる教科書」についても言及し、「既に出てしまっている、検定が済んでいるものに対しての対応というのはどのようにされるべきか、これは御見解をお聞きしたいと思います」と質問し、萩生田文科大臣は「従軍慰安婦や強制連行などの用語が記載された教科書を発行している教科書会社において、閣議決定された政府の統一的見解を踏まえてどのように検定済みの教科書の記述を訂正するのかを検討することになります。(略)教科書検定基準に則した教科書記述となるように、適切に対応してまいりたいと思います」と言質を引き出した。
さらに2日後の5月12日、今度は衆議院文科委員会で藤田議員は「教科書検定規則第十四条第一項に記載されているように、今言ったように、いわゆる自発的な、教科書会社が自発的にどう修正していくかということが、一義的にはそれが先にあるんだろうと思います。その上で、同規則の第十四条第四項には、文部科学大臣は、検定を経た図書について、第一項及び第二項に規定する記載があると認められるときは、発行者に対し、その訂正申請を勧告することができる、訂正申請勧告のことが書かれてあるわけであります。(略)今後の対応、訂正申請勧告等の対応についてはどのように理解したらよろしいでしょうか」と政府の具体的な対応方策について質問し、政府参考人・串田俊巳文科省初等中等教育局教育課程総括官から「教科書検定規則において、教科書発行者が訂正申請を行わなければならないものと規定されております。(略)実際に訂正申請の勧告を行う必要があるかどうかにつきましては、教科書の具体的な内容や、今後の発行者による申請の状況などを踏まえまして判断してまいりたいと考えております」と期待どおりの答弁をさせ「ありがとうございます。適切な対応を各教科書会社にも求めたいと思います」と締めくくった。
その後の対応も早かった。1週間もたたない5月18日文科省は教科書会社各編集担当役員を対象にオンラインの「臨時説明会」を開催し、6月末までに訂正申請させ9月8日と10月11日に「指摘用語の削除・訂正」の承認を発表した。
日本会議の意向を受け、自民・維新の議員が政府に働きかけ、教科書記述を書き換える閣議決定を行わせ、その閣議決定どおりに教科書を書かせる、また過去の検定で一度通ったものまで、教科書会社に「自主的に」訂正申請させる。申請しなければ「訂正の勧告を行う」。
これは政治の教育に対する不当な介入にほかならない。1947年教育基本法だけでなく現行教育基本法にも「第16条 教育は、不当な支配に服することなく」という文言が残っている。これに反する行政の行為ではなかろうか。
さて、教科書検定基準「第3章 教科固有の条件」の社会科に「閣議決定その他の方法により示された政府の統一的な見解又は最高裁判所の判例が存在する場合には、それらに基づいた記述がされていること」という項目が追加されたのはそう古いことではない。第2次安倍政権下の2014年1月下村博文文科大臣のときである。「特定の事柄を強調し過ぎているところはないことを明確化する」「近現代の歴史的事象のうち、通説的な見解がない事項の記述にはその旨を明示する」などと合わせて「改正」した。
閣議決定で9条の憲法解釈まで変更し、最近では安倍元首相の「国葬」まで閣議決定により実行する自民党政権なのだから、少なくとも教科書の変更ならなんでもできてしまいそうだ。
2006年12月第一次安倍政権発足の3か月後、教育基本法を「改正」したとき、不当な支配の後半に「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり」を差し替えたのは、こういう事態を見越しての深謀遠慮だったのか、とさえ思いたくなる。
実教出版「日本史探究」の「これまで学習したことから考えよう」
☆今回、高校・歴史の教科書を見ていてひとつ興味深い記載をみつけた。
実教出版「日本史探究」第4部第7章「グローバル化のなかの現代日本」の第4部まとめのなかに、p378「2 世界の中の日本」の「2)これまで学習したことから考えよう」という項目があった(p378)。先生の「古代から近現代の海外と日本との人々の移動について特徴的な点をあげてみよう」という問題提起に、生徒ケンは「奴隷・連行・拉致」、ミキは「学問・文化・宗教・留学」、ユウは「貿易・商業」に着目する。
ケンは「後漢書東夷伝の『生口』を献上、秀吉の朝鮮出兵での日本への朝鮮人連行、大航海時代の奴隷貿易で日本人も奴隷や傭兵として売買されたこと、近代では関東大震災で日本に来た朝鮮人が殺されたことや敗戦時の日本人のシベリア抑留、さらに北朝鮮の日本人拉致に着目する。わたしがこの部分をみたのは、たしかに「朝鮮人を日本に連行していて」が「日本にやってくる朝鮮人が増えていきました」へと書き換えられたからだった。
ただ1年の学習のまとめで、「奴隷・連行・拉致」という視点で通時的に海外との人の往来の歴史を振り返るのは「鋭い」と思った。ここに挙げられた例は、北朝鮮拉致問題以外は、戦争や支配・被支配関係での往来だからだ。しかも6行という短いスペースで取り上げるのはスゴ技だ。他の「学問・文化・宗教・留学」「貿易・商業」はもう少し一般的で普通の着目だが、読むと面白く、本当に年度末にこんな授業を受けられるなら「タメになる」と思った。
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