1999年から16年間原宿の街に通勤のため通った。
若者の街・原宿に多いのは、ファッション、美容の店だが、おじさんには縁がない。最近は雑貨屋の開業が目立つが、逆に天ぷら屋、うどん屋など食堂はこの16年にどんどんなくなっていった。
街の特徴はいつも行列があることと、いつもどこかで改装工事や新築工事・解体工事をしていることだ。
原宿駅。この駅舎も2020年オリンピックまでに建替えになるとか・・・。
行列のほうは、たとえばジャニーズショップには、春休み・夏休みは特に若い女の子が多く、小学生も保護者連れで並んでいる。珍しく男性が歩道に並んでいたことがあり「なんの行列か」聞くと、ペンダントなどアクセサリーのバーゲンとのことだった(ただし10年以上前の話)。一時、試供品専門の店がありいつも行列だった。2-3年前は「フライングタイガーコペンハーゲン」「ASOKO」の行列がすごかった。1年前は、ロブスターのLUKE’S表参道店、期間限定のソフトクリームショップ、「水曜日のアリス」が混んでいた。わたくしは入ったことはないが、駅前のポップコーン店「ギャレット」やパンケーキの店で行列ができた。パンケーキを食べるのに数時間並ぶなどおじさんには信じられないような話である。
オープンしたときには、表参道ヒルズ、オモサンプラザ、H&M、キュープラザ原宿も1回はみに行ったが、用がないのでそれっきりである。裏原宿も人が多いだけでおじさんには縁がない。小泉今日子が9年間月に一度撮影に来ていたとも聞いたが、残念ながら遭遇したことはない。ただ、だれが出ているのかわからないが、撮影はムービー、スチールともにしょっちゅうやっている。駅の近くでは怪しい「スカウト」をつねに見かける。
ジャニーズショップの行列。店舗はこの先30mくらい左手
修学旅行の生徒が多いのは1年中通してのことだ。しかし朝9時ごろどの店も閉まっているのに、制服姿の男女5,6人グループの生徒たちが通りを歩いているのをみると、ちょっと気の毒になる。(彼らには青春の1ページということで想い出に残るのかもしれないが)。
いまや都心部はどこもそうだが、外国人観光客はたしかに多い。飲食店で客の半分以上が欧米系で、オーダーも英語で取っている店があった。ただリーマンショック後急に客が減り閉店してしまった。会話する言葉を聞いてはじめてわかることだが、中国人、韓国人などアジアからの家族客も多く歩いている。また一時は金曜の夕方などにコスプレ少女のグループをみかけた。さらにそういう流入客を「視察」する全国の商店街連合会のツアーもある。
有名な人では、かつては永六輔をときどき見かけた。たぶんこのあたりに住んでいるのだろう。変ったところでは、経営破たんした東邦生命の太田清蔵・元社長をみかけた。この人は神宮前在住だった。破綻してからも渋谷の旧・本社社屋を見に行き、見上げながらため息をついて自宅に戻るという生活を送っていたと聞いたことがある。筒井康隆も原宿在住(神宮前5丁目)だ。かつて宮澤喜一首相も住んでいた(神宮前6丁目)。親戚の岸田氏も隣の家に住んでいたので岸田文雄外相も原宿育ちかもしれない。
工事のほうでは、店の数が多く、かつアンテナショップが多いからか、いつも新装オープンと閉店セールがあり、新築・改装が繰り返される。それどころかビルの解体・新築もいつもどこかでやっている。そこで原宿は「工事業者のまち」でもある。作業服姿の人も多い。とくに建物の工事のあと、内装工事の段階になると、業者の数が増える。それにともない工事関係の車の駐車も増える。また2008年に地下鉄副都心線が全線開通するまで地下鉄工事もずっと続いていた。
したがって、量の多い中華料理店は工事がたくさんあるときはランチタイム行列ができていて、工事が終わると潮が引いたように客が少なくなるというようなこともあった。
チャーハン弁当。弁当は600円前後
居酒屋はないではないが、渋谷か代々木に行くことが多かったので、昼のランチの話をしよう。このあたりで多いのは1000円前後のイタリアンや中華の店である。つまり客層の「少女たち」の入りやすい店であることを示している。16年前にあった天ぷら屋、うどん屋などはなくなり、かろうじて寿司屋とトンカツ屋、その他、和食の店は大戸屋、「藤乃」、「昌」、ほか数軒ある。せいろ1枚1000円と価格は高額だが、そば屋の「玉笑」がある。
いきおいおじさん達は弁当屋めぐりをすることになる。弁当を買えるのはコンビニに限らず、元・肉屋、夜は居酒屋、弁当専門店など店舗のある店だけでなく、移動販売車で売りにくる弁当屋さんもいくつかある。3-4軒自分が気に入った店をセレクトしておけばだいたい事が足りる。わたくしの場合もよく行く店が3軒、たまに行く店が4軒ほどでほぼ間に合っていた。
移動販売車
キディランドの南側には隠田の商店街がある。八百屋、魚屋、肉屋、和菓子店、薬屋、小さな郵便局、15年前には銭湯まであった。
しかし、おじさんに縁のあるのは、銀行のCDコーナー、図書館、郵便局、その他、桜の季節限定だが東郷神社や旧・キリンビール本社内庭園の桜見物くらいである。
地元ネタでいうと、隠田神社、北谷稲荷、金王八幡宮で秋祭りがある。氏子である町内会はそれぞれ異なる。北谷稲荷の宮司は女性で、居酒屋で聞いた話ではあるが、地元の松濤中学出身のユカちゃんという方だった。
町内会活動はかなり活発で祭りの神輿を出すほか、夏は納涼祭り、春秋の交通安全週間には横断歩道の監視、冬は火の用心のパトロールをしている。
表参道の日の丸(まだ駅前に歩道橋があった2013年ころ橋上より撮影)
原宿には、もうひとつ別の顔がある。駅の東側には明治神宮が広がり、西には日露戦争の提督・東郷平八郎元帥をまつる東郷神社がある。そこで2月の建国記念日ほか祝祭日に表参道には日の丸の旗が飾られパレードが行われる。
2014年までは駅前に巨大歩道橋があり、光景がよくみえた。パレードはパレードでも8月のスーパーよさこいならよいのだが。これにも全国各地から遠路はるばる多くの踊り手が参集する。
また年末には表参道イルミネーションが通りを飾る。
これは東西の通りだが、南北の明治通りは案外気づかないかもしれないが、20年以上拡幅にともなうビルのセットバック工事がずっと続いている。いつの日か完成すれば表参道並みのにぎわいになるかもしれない。そのころおじさん達はどんな運命になるのだろうか。ただし原宿駅利用の通勤客は10年前に比べて間違いなく増えている。もちろん乗換え客もいるとは思うが、かつては朝9時に改札を通過する人はまばらだったのに、いまや山手線の他の中小駅並みである。
明治通りの拡幅。歩道上に手すりがあるが、ここまで(左)がかつての敷地。手すりは段差の危険防止のため。
●上記の永六輔氏は7月7日に逝去していたことが判明した(7月11日追記)。
若者の街・原宿に多いのは、ファッション、美容の店だが、おじさんには縁がない。最近は雑貨屋の開業が目立つが、逆に天ぷら屋、うどん屋など食堂はこの16年にどんどんなくなっていった。
街の特徴はいつも行列があることと、いつもどこかで改装工事や新築工事・解体工事をしていることだ。
原宿駅。この駅舎も2020年オリンピックまでに建替えになるとか・・・。
行列のほうは、たとえばジャニーズショップには、春休み・夏休みは特に若い女の子が多く、小学生も保護者連れで並んでいる。珍しく男性が歩道に並んでいたことがあり「なんの行列か」聞くと、ペンダントなどアクセサリーのバーゲンとのことだった(ただし10年以上前の話)。一時、試供品専門の店がありいつも行列だった。2-3年前は「フライングタイガーコペンハーゲン」「ASOKO」の行列がすごかった。1年前は、ロブスターのLUKE’S表参道店、期間限定のソフトクリームショップ、「水曜日のアリス」が混んでいた。わたくしは入ったことはないが、駅前のポップコーン店「ギャレット」やパンケーキの店で行列ができた。パンケーキを食べるのに数時間並ぶなどおじさんには信じられないような話である。
オープンしたときには、表参道ヒルズ、オモサンプラザ、H&M、キュープラザ原宿も1回はみに行ったが、用がないのでそれっきりである。裏原宿も人が多いだけでおじさんには縁がない。小泉今日子が9年間月に一度撮影に来ていたとも聞いたが、残念ながら遭遇したことはない。ただ、だれが出ているのかわからないが、撮影はムービー、スチールともにしょっちゅうやっている。駅の近くでは怪しい「スカウト」をつねに見かける。
ジャニーズショップの行列。店舗はこの先30mくらい左手
修学旅行の生徒が多いのは1年中通してのことだ。しかし朝9時ごろどの店も閉まっているのに、制服姿の男女5,6人グループの生徒たちが通りを歩いているのをみると、ちょっと気の毒になる。(彼らには青春の1ページということで想い出に残るのかもしれないが)。
いまや都心部はどこもそうだが、外国人観光客はたしかに多い。飲食店で客の半分以上が欧米系で、オーダーも英語で取っている店があった。ただリーマンショック後急に客が減り閉店してしまった。会話する言葉を聞いてはじめてわかることだが、中国人、韓国人などアジアからの家族客も多く歩いている。また一時は金曜の夕方などにコスプレ少女のグループをみかけた。さらにそういう流入客を「視察」する全国の商店街連合会のツアーもある。
有名な人では、かつては永六輔をときどき見かけた。たぶんこのあたりに住んでいるのだろう。変ったところでは、経営破たんした東邦生命の太田清蔵・元社長をみかけた。この人は神宮前在住だった。破綻してからも渋谷の旧・本社社屋を見に行き、見上げながらため息をついて自宅に戻るという生活を送っていたと聞いたことがある。筒井康隆も原宿在住(神宮前5丁目)だ。かつて宮澤喜一首相も住んでいた(神宮前6丁目)。親戚の岸田氏も隣の家に住んでいたので岸田文雄外相も原宿育ちかもしれない。
工事のほうでは、店の数が多く、かつアンテナショップが多いからか、いつも新装オープンと閉店セールがあり、新築・改装が繰り返される。それどころかビルの解体・新築もいつもどこかでやっている。そこで原宿は「工事業者のまち」でもある。作業服姿の人も多い。とくに建物の工事のあと、内装工事の段階になると、業者の数が増える。それにともない工事関係の車の駐車も増える。また2008年に地下鉄副都心線が全線開通するまで地下鉄工事もずっと続いていた。
したがって、量の多い中華料理店は工事がたくさんあるときはランチタイム行列ができていて、工事が終わると潮が引いたように客が少なくなるというようなこともあった。
チャーハン弁当。弁当は600円前後
居酒屋はないではないが、渋谷か代々木に行くことが多かったので、昼のランチの話をしよう。このあたりで多いのは1000円前後のイタリアンや中華の店である。つまり客層の「少女たち」の入りやすい店であることを示している。16年前にあった天ぷら屋、うどん屋などはなくなり、かろうじて寿司屋とトンカツ屋、その他、和食の店は大戸屋、「藤乃」、「昌」、ほか数軒ある。せいろ1枚1000円と価格は高額だが、そば屋の「玉笑」がある。
いきおいおじさん達は弁当屋めぐりをすることになる。弁当を買えるのはコンビニに限らず、元・肉屋、夜は居酒屋、弁当専門店など店舗のある店だけでなく、移動販売車で売りにくる弁当屋さんもいくつかある。3-4軒自分が気に入った店をセレクトしておけばだいたい事が足りる。わたくしの場合もよく行く店が3軒、たまに行く店が4軒ほどでほぼ間に合っていた。
移動販売車
キディランドの南側には隠田の商店街がある。八百屋、魚屋、肉屋、和菓子店、薬屋、小さな郵便局、15年前には銭湯まであった。
しかし、おじさんに縁のあるのは、銀行のCDコーナー、図書館、郵便局、その他、桜の季節限定だが東郷神社や旧・キリンビール本社内庭園の桜見物くらいである。
地元ネタでいうと、隠田神社、北谷稲荷、金王八幡宮で秋祭りがある。氏子である町内会はそれぞれ異なる。北谷稲荷の宮司は女性で、居酒屋で聞いた話ではあるが、地元の松濤中学出身のユカちゃんという方だった。
町内会活動はかなり活発で祭りの神輿を出すほか、夏は納涼祭り、春秋の交通安全週間には横断歩道の監視、冬は火の用心のパトロールをしている。
表参道の日の丸(まだ駅前に歩道橋があった2013年ころ橋上より撮影)
原宿には、もうひとつ別の顔がある。駅の東側には明治神宮が広がり、西には日露戦争の提督・東郷平八郎元帥をまつる東郷神社がある。そこで2月の建国記念日ほか祝祭日に表参道には日の丸の旗が飾られパレードが行われる。
2014年までは駅前に巨大歩道橋があり、光景がよくみえた。パレードはパレードでも8月のスーパーよさこいならよいのだが。これにも全国各地から遠路はるばる多くの踊り手が参集する。
また年末には表参道イルミネーションが通りを飾る。
これは東西の通りだが、南北の明治通りは案外気づかないかもしれないが、20年以上拡幅にともなうビルのセットバック工事がずっと続いている。いつの日か完成すれば表参道並みのにぎわいになるかもしれない。そのころおじさん達はどんな運命になるのだろうか。ただし原宿駅利用の通勤客は10年前に比べて間違いなく増えている。もちろん乗換え客もいるとは思うが、かつては朝9時に改札を通過する人はまばらだったのに、いまや山手線の他の中小駅並みである。
明治通りの拡幅。歩道上に手すりがあるが、ここまで(左)がかつての敷地。手すりは段差の危険防止のため。
●上記の永六輔氏は7月7日に逝去していたことが判明した(7月11日追記)。