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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

山田昭次先生の「つくる会」教科書批判

2010年08月05日 | 集会報告
7月31日(土)、昼には豪雨が降ったもののふたたび32度の猛暑となった午後、池袋西口の勤労福祉会館で「都教委による増田さんの不当免職を撤回させる会」総会が開催された。
メインは、山田昭次・立教大学名誉教授の「歴史教育における公正・中立」という講演だった。これは現在、東京高等裁判所で争われている増田都子さんの対都教委「分限免職取消し訴訟」において、山田教授が今年5月10日に提出した意見書の一部を解説したものである。わたくしは「つくる会」教科書批判の部分に強い関心があるのでそれを中心に紹介したい。

歴史教育における公正・中立
                山田昭次・立教大学名誉教授

2009年6月11日、東京地裁は増田教諭が配布した資料の内容が「公正、中立に行なわれるべき公教育への信頼を直接損なう」ものと判決のなかで判定した。この判決は、歴史教育に関して安易に「公正、中立」という基準を持ち出していると思われる。そこで、歴史教育や歴史研究における公正とは何か、守られるべき基準は何か、考えてみた。
まず、歴史教育や歴史研究はナショナリズムに陥って、他国ないしは他民族の歴史を視野から排除して独善的になってはならないということが第一の基準と考える。これは近現代史の反省から生まれた基準である。わたしは1930年生まれで戦争の時代に小中学生時代を送ったが、他民族が何を考えているかまったく頭に浮かばなかった。
第二に差別問題を視野に入れる基準である。差別は重層的に存在する。戦前、民が在日朝鮮人を差別したり、在日のなかで健康な人がハンセン病患者を差別したり、在日ハンセン病患者のなかで男性が女性を差別するということがあった。人は差別されたことには敏感でも、自分がだれかを差別していることにはなかなか気づきにくい。自分は「中立」という基準は採用しない。差別に対し「中立」はありえない。差別を肯定するか否定するか、一人の人間として問われる。
第三の基準は、客観的に史実を確定することである。書かれていることがすべて真実ではない。たとえば関東大震災のとき司法省は「朝鮮人が暴動を起こした」と発表したが事実ではなく、国家責任を免れようとしたものだ。厳密な史料批判をしなければ、史実を確定できない。

次に、「つくる会」教科書に即して具体的な問題点を指摘したい。都教委は、エリート養成を目的に設立した中高一貫校に扶桑社の教科書を採用している。この教科書を使いエリートを「洗脳」しようという恐ろしい意図を含んでいる。わたしは、韓国併合、関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺などいくつかの項目について、2000年の検定用扶桑社白表紙本、01年検定合格扶桑社、05年扶桑社改定版、09年自由社の4冊の教科書を比較し、この教科書の性格を検討した。検定前の白表紙本に「つくる会」の本音が、最も如実に表れていた
まず韓国併合について白表紙本には「国際関係の原則にのっとり、合法的に行われた」と書かれていた。さすがに文科省もこれはまずいと考えたようで検定合格本では「日本は韓国内の反対を、武力を背景にして押さえて韓国を併合した」に変更された。しかし合格本でも問題がある。「植民地にした朝鮮で鉄道・灌漑の施設を整えるなどの開発を行い」という記述がある。鉄道整備の目的は何だったのか、軍事目的である。京釜鉄道は1901年に着工したがこの時期は日露関係が緊迫し、すでに日露戦争が予想されていた。京義鉄道が着工された04年は日露戦争さなかの時期で、朝鮮支配のための敷設である。
一方、灌漑によりたしかに米は増産された。しかしだれがその米を食べたかといえば、日本に搬出され朝鮮人ではなく日本人が食べてしまった。灌漑整備の費用は朝鮮人が負担し、朝鮮人は満洲から輸入した安い粟を食べることになった。1916-20年の段階では平均生産高1410万石のうち219万石が日本に搬出されていたが、30―34年には1678万石のうち50%を超える845万石が日本に搬出されることとなった。植民地支配下の開発は、日本の利益のために行われたことが、教科書にも明記されねばならない。
土地調査事業で土地を失った朝鮮人は日本に渡り、在日朝鮮人が急増した。在日はさまざまな差別を受けた。1955年の調査で在日朝鮮人のハンセン病の発生率は日本人の10倍に上る。ハンセン病は感染しても健康な体なら発病しない。高い発病率は在日の生活の厳しさを反映したものである。つくる会教科書には在日の苦労を一言も書いていない。わたくしは在日への差別問題は、日本人にとって教科書に欠いてはならない教養だと思う。
次に、関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺について検討する。驚くべきことに白表紙本には何も書かれていなかった。つくる会は、朝鮮人や中国人に対する日本人の加害行為を書きたくないのである。01年検定合格本では「朝鮮人や社会主義者の間に不穏なくわだてがあるとの噂が広まり、住民の自警団などが社会主義者や朝鮮人・中国人を殺害する事件がおきた」と加筆された。しかし09年自由社版では「注」に格下げされた。
「噂」を広めたのはいったいだれだろう。民衆だけではない。震災の翌日9月2日に埼玉県の地方課長が本省に呼ばれ、夕方戻り内務部長を相談して郡町村長あてに「東京に於て不逞鮮人の盲動有之(略)一朝有事の場合には、速やかに適当の方策を講ずる様」指令を発信した。そこで自警団が組織され県内で虐殺事件が相次ぐ結果を生んだ。3日には警保局長が船橋の海軍無線送信所から各地方長官に「朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於て爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり」と電文を発信している。民衆は「お上の偉い人がいうことだから間違いないだろう。それは大変だ」と考え大虐殺を引き起こした官憲の誤認情報流布は、「つくる会」教科書だけでなくどの中学教科書にも記述されていない。虐殺は自警団だけでなく軍隊や警察も行った。しかし「つくる会」教科書には記述がない。マイノリティに対する迫害や差別に眼を向けまいとしていることがここにも現われている。
アジア・太平洋戦争中の朝鮮人強制動員について、白表紙本には「徴用」しか書かれていなかった。検定合格本で皇民化政策や創氏改名が追加された。しかし「従軍慰安婦」についてはまったく書かれていない。それは96年に慰安婦の記述がいっせいに教科書に登場したとき、藤岡信勝氏が「記述を削れ」という運動を起こしたからである。彼らの根拠は当時「従軍慰安婦」という言葉がなかったことだ(「自虐史観の病理」16p)。しかし実態は存在したし、それに似た「軍慰安所従業婦」「慰安所従軍婦」という用語はあった。
また藤岡氏らは軍による強制連行がなかったと主張する。元「従軍慰安婦」19人の証言によると、「朝鮮より暮らしやすい日本の工場に就職させてやる」といった就業詐欺にあった人が70%を占める。拉致も5人いた。たしかに1922年当時の賃金を比較すると、日本で働いたほうが150-170%金額が上回った。慰安婦になった人は貧しい家庭に育ち、学校にも行けず字が読めない人が多かった。日本へのあこがれもあっただろう。直接手引きしたのは民間の朝鮮人が多いが、途中で軍人軍属に引き渡されたケースもある。中国や南方に移送される交通機関は軍専用の列車や船のことが多かった。すなわち民間業者と軍は密着していたといえる。
藤岡氏は慰安婦のことを職業としての「売春婦」で、国家責任は関係ないという。日本人「慰安婦」は21歳以上だったが、朝鮮・台湾など植民地を「婦女売買禁止に関する国際条約」の除外地域とし、未成年でも連れて行った。また日本人は元売春婦が多いが、朝鮮人・台湾人は違う。民族差別と性的差別を二重に受けたのが「従軍慰安婦」である。
関東大震災の虐殺でも女性は、性器に竹槍を刺されたり、妊婦の腹を裂き胎児を取りだしたり、より残酷な殺され方をした。
民族的には支配民族としての優越心、性的には男性としての優越心に発した行動であろう。最底辺で生きていない人間が、差別された者の側に立ってことを見るのは難しい。どう改めればよいのか。真剣に考えていかないと問題は解決できない。
「つくる会」教科書は、日本の侵略や植民地支配の実態の説明がきわめて不十分で、性的差別や民族差別に無関心である。そういう意味で増田さんの問題提起は重大である。

増田都子さんは、決意表明のなかで、7月29日の口頭弁論で都教委が「『客観的に正しい歴史認識』など存在しない、検定済み教科書を批判することは許されない」と主張したことに対し、「それでは歴史教育はできない」「これまでいくつも指摘されたように検定済み教科書にも間違いは多くある」と、痛烈に批判し、最後まで断固闘うとアピールした。次回の裁判は10月26日(火)15時から東京高裁822号法廷で行われ、結審を迎える。
その他、弁護士から裁判報告、国労闘争団、解雇者の会、田畑和子さん、西部全労協、茨城ユニオンなどから連帯スピーチがあった。またFBCアンサンブルのピアノとフルートにより「アランフェス協奏曲」が演奏され、増田さんのテーマソング「We shall Overcome」を全員で合唱した。

☆山田先生は、かつてハンセン病の病院、全生園で聞き書きを行っていたそうだ。お礼に感想文集をつくり贈っていたが、2年ほどしたとき9割の女性は字が読めないことに気がついた。これはいけないと、感想をテープにし配るように変えた。すると女性たちはすごく喜び、向こうから「手紙をもらっても返事を書けないので心苦しい」などと文字を読めない苦しみを話してくれるようになった。これが聞き書きの難しさ、差別問題の難しさである。少しでも差別された人の苦しみを理解しようという姿勢をわれわれが持ったとき、彼女たちは話を始める
オーラル・ヒストリーの難しさについては、かつて中村政則先生のお話で伺ったことがある。差別問題に関する聞き取りでは、こういう種類の障壁があることがよくわかった。
なお、山田先生の意見書全文はこのサイトで読むことができる。ここで紹介したほかに日韓条約、東京裁判についての言及がある。
☆「従軍慰安婦」問題に関し「日本軍『慰安婦』制度とは何か」(吉見義明 岩波ブックレット 2010年6月を読んだ。これは2007年6月、櫻井よし子らが中心となり)、稲田朋美衆議院議員らが賛同しワシントンポストに掲載した意見広告「The Facts」への反論である。この広告は、増田さんの表現を借りれば「国際的に恥をさらすことでしかない」ものだった。このブックレットは、「慰安婦」制度が人身売買、誘拐、略取を本質とすることをいくつもの「証拠」とともに明らかにしている。
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