1月の土曜の寒い午後、グランドプリンスホテル新高輪の隣の食とくらしの小さな博物館を訪れた。ここは、凸版印刷の印刷博物館や王子製紙の紙の博物館と同じように、いわゆる企業博物館で、味の素グループ高輪研修センター2階にある。展示は4つのコーナーに分かれているが、中心は「くらしと食卓」と「社会と歩んだ一世紀」である。
60年の食卓
「くらしと食卓」には、1935年、60年、85年の食卓が展示されていた。35年の食卓は、ちゃぶ台で、おひつとキリンビールがあり、周囲にラジオ、鉄製の扇風機、蚊取り線香などが並んでいる。こういう復元は珍しくはない。区立博物館でもよくみられる。ただここでは茶碗の音や柱時計の音といった音もテープで流している。また婦人倶楽部8月号の付録「夏のお惣菜と漬物」が脇に置いてあり、芸が細かい。
60年になると寝食の空間が分離し、ちゃぶ台はキッチンテーブルに変わっている。電気炊飯器、冷蔵庫など家電製品が並び、流し回りにライオンの洗剤やサラダオイルのボトルがある。またイシハラのオレンジジュース、パインジュースの缶が置いてあるのがなつかしい。
そして注目は白黒テレビに映し出された味の素のコマーシャルである。1953年は、飛行機からパラシュート付きの味の素が投下され、北京、パリ、ロンドン、ニューヨークの食卓を彩る「世界の調味料 味の素」、54年はいわし、酢の物、揚げ物のつゆなどに使う「季節のお料理に味の素」、57年はフランキー堺がガマグチから味の素を取り出す「お食事にいつも味の素、食卓お台所に味の素」だった。60年は、象、キリン、イルカ、ライオン、牛、子ザルなどがエサを食べる「やっぱり味の素」。この曲は聞き覚えがあると思ったら作曲・宇野誠一郎、唄・中村メイコだった。
85年の食卓は現在とあまり違いがない。キッチンはシステムキッチンに変わっている。解説によれば、輸入高級食材やエスニック料理を家庭でもつくるグルメ志向と調理の簡便化、そして個食が特徴だそうだ。
のらくろ、ビスコ、キング、アサヒグラフなどが並ぶ展示
「社会と歩んだ一世紀」は、食と社会と味の素グループの歩みを対照させた展示コーナーだが、「1930年代」という時代を再発見した。31年には満州事変、36年に2.26事件、37年には日中戦争と、太平洋戦争前夜の暗い時代だが、都市部では食の文化の洋風化が進んだ時代だった。1933年には南米コーヒーの輸入が急増し35年には東京に15000店もの喫茶店が営業していた。36年に帝国ホテルでシャリアピンステーキが登場し、37年には梅田の阪急百貨店の食堂が人気を呼んだ。またサントリーがウィスキーの角瓶を発売した年でもある。
戦前の日本の輸出品目というと生糸や綿織物が頭に浮かぶ。味の素の戦前の生産量のピークは1937年だった。そのうち40%、1510トンを海外に輸出していた。しかも台湾、朝鮮といった植民地や満州だけでなくアメリカなど北米に341トン輸出していた。これはすごい。
1930年に代理販売を直接販売に切り替え、開設したニューヨークの事務所には3人の社員がいた。スーパーシーズニングという英文商品名をつけ、「ニューヨーク・ジャーナル」とと「ニューヨーク・アメリカン」に新聞広告を出した。そして家庭向けより先に、ハインツやキャンベルといった缶詰メーカーがスープの味付け用に買い上げた。
これより前の1928年4月、東京朝日に12か国語の全面広告を出稿している。「国境を越えて等しく各国の人々の味覚に奉仕する 誇るべき国産調味料の覇王 舌は踊るその美味(おいしさ)! 舌を巻くその効力(ききめ)!」というキャッチだった。植民地の朝鮮でも新聞広告をたくさん出稿していた。
同じ建物の1階に「食の文化ライブラリー」という図書室があり蔵書は5万冊(大阪分含む)に及ぶ。ジャンルは食文化論、食材、料理書、食品学・栄養学、食品製造や食品産業など館名どおりである。「魯山人著作集」、トゥールーズ=ロートレック「ロートレックの料理法 美食の饗宴」、嵐山光三郎「素人庖丁記」などがあった。雑誌も「きょうの料理」「栄養と料理」「サライ」「日経レストラン」「danchu」「食彩浪漫」「料理通信」などのバックナンバーがあり充実している。
「味の素関連刊行物」の棚に、1956年から97年まで40年以上発刊していた「奥様手帖」という小型のPR誌をみつけた。料理のレシピがメインだが、はじめの3年ほどはラジオ東京(現在のTBS)の朝10時半から10時45分まで味の素提供で放送していたインタビュー番組「奥様手帖」の再録記事が中心だった。
また社史が何種類もあった。
味の素の販売開始は1909年5月。それから40年ほどたった1952年に味の素沿革史が発刊された。1000p弱の堂々たる書物だ。60年に50年史を発刊したが、制作が電通なので写真集のようなものだった。そして71年6月に社史1を発刊した。日本経営史研究所の制作で執筆は土屋喬雄、坂口謹一郎、由井常彦、宮本常一、田付茉莉子、西村はつというそうそうたる顔ぶれだった。日本経営史研究所は68年6月設立なので、日本電気70年史(72年7月)と並ぶ草創期の代表作である。その後「味をたがやす 味の素八十年史」(制作 日本経営史研究所)を発刊、巻頭に石毛直道、向坊隆の小論文を掲載している。90年7月、「味の素グループの百年 新価値創造と開拓者精神」(制作 DNP年史センター)を2009年9月に発刊した。一橋大学大学院の橘川武郎教授のグループが執筆した。
89年の80周年の89年にオープンした小さな博物館とライブラリーも、こういう長い蓄積のうえではじめて生まれたものであることを確信した。
住所:東京都港区高輪3丁目13番地65号 味の素グループ高輪研修センター内2階
電話:03-5488-7305
開館日:月曜~土曜日(祝祭日は休館)
開館時間:10時~17時
入館料:無料
60年の食卓
「くらしと食卓」には、1935年、60年、85年の食卓が展示されていた。35年の食卓は、ちゃぶ台で、おひつとキリンビールがあり、周囲にラジオ、鉄製の扇風機、蚊取り線香などが並んでいる。こういう復元は珍しくはない。区立博物館でもよくみられる。ただここでは茶碗の音や柱時計の音といった音もテープで流している。また婦人倶楽部8月号の付録「夏のお惣菜と漬物」が脇に置いてあり、芸が細かい。
60年になると寝食の空間が分離し、ちゃぶ台はキッチンテーブルに変わっている。電気炊飯器、冷蔵庫など家電製品が並び、流し回りにライオンの洗剤やサラダオイルのボトルがある。またイシハラのオレンジジュース、パインジュースの缶が置いてあるのがなつかしい。
そして注目は白黒テレビに映し出された味の素のコマーシャルである。1953年は、飛行機からパラシュート付きの味の素が投下され、北京、パリ、ロンドン、ニューヨークの食卓を彩る「世界の調味料 味の素」、54年はいわし、酢の物、揚げ物のつゆなどに使う「季節のお料理に味の素」、57年はフランキー堺がガマグチから味の素を取り出す「お食事にいつも味の素、食卓お台所に味の素」だった。60年は、象、キリン、イルカ、ライオン、牛、子ザルなどがエサを食べる「やっぱり味の素」。この曲は聞き覚えがあると思ったら作曲・宇野誠一郎、唄・中村メイコだった。
85年の食卓は現在とあまり違いがない。キッチンはシステムキッチンに変わっている。解説によれば、輸入高級食材やエスニック料理を家庭でもつくるグルメ志向と調理の簡便化、そして個食が特徴だそうだ。
のらくろ、ビスコ、キング、アサヒグラフなどが並ぶ展示
「社会と歩んだ一世紀」は、食と社会と味の素グループの歩みを対照させた展示コーナーだが、「1930年代」という時代を再発見した。31年には満州事変、36年に2.26事件、37年には日中戦争と、太平洋戦争前夜の暗い時代だが、都市部では食の文化の洋風化が進んだ時代だった。1933年には南米コーヒーの輸入が急増し35年には東京に15000店もの喫茶店が営業していた。36年に帝国ホテルでシャリアピンステーキが登場し、37年には梅田の阪急百貨店の食堂が人気を呼んだ。またサントリーがウィスキーの角瓶を発売した年でもある。
戦前の日本の輸出品目というと生糸や綿織物が頭に浮かぶ。味の素の戦前の生産量のピークは1937年だった。そのうち40%、1510トンを海外に輸出していた。しかも台湾、朝鮮といった植民地や満州だけでなくアメリカなど北米に341トン輸出していた。これはすごい。
1930年に代理販売を直接販売に切り替え、開設したニューヨークの事務所には3人の社員がいた。スーパーシーズニングという英文商品名をつけ、「ニューヨーク・ジャーナル」とと「ニューヨーク・アメリカン」に新聞広告を出した。そして家庭向けより先に、ハインツやキャンベルといった缶詰メーカーがスープの味付け用に買い上げた。
これより前の1928年4月、東京朝日に12か国語の全面広告を出稿している。「国境を越えて等しく各国の人々の味覚に奉仕する 誇るべき国産調味料の覇王 舌は踊るその美味(おいしさ)! 舌を巻くその効力(ききめ)!」というキャッチだった。植民地の朝鮮でも新聞広告をたくさん出稿していた。
同じ建物の1階に「食の文化ライブラリー」という図書室があり蔵書は5万冊(大阪分含む)に及ぶ。ジャンルは食文化論、食材、料理書、食品学・栄養学、食品製造や食品産業など館名どおりである。「魯山人著作集」、トゥールーズ=ロートレック「ロートレックの料理法 美食の饗宴」、嵐山光三郎「素人庖丁記」などがあった。雑誌も「きょうの料理」「栄養と料理」「サライ」「日経レストラン」「danchu」「食彩浪漫」「料理通信」などのバックナンバーがあり充実している。
「味の素関連刊行物」の棚に、1956年から97年まで40年以上発刊していた「奥様手帖」という小型のPR誌をみつけた。料理のレシピがメインだが、はじめの3年ほどはラジオ東京(現在のTBS)の朝10時半から10時45分まで味の素提供で放送していたインタビュー番組「奥様手帖」の再録記事が中心だった。
また社史が何種類もあった。
味の素の販売開始は1909年5月。それから40年ほどたった1952年に味の素沿革史が発刊された。1000p弱の堂々たる書物だ。60年に50年史を発刊したが、制作が電通なので写真集のようなものだった。そして71年6月に社史1を発刊した。日本経営史研究所の制作で執筆は土屋喬雄、坂口謹一郎、由井常彦、宮本常一、田付茉莉子、西村はつというそうそうたる顔ぶれだった。日本経営史研究所は68年6月設立なので、日本電気70年史(72年7月)と並ぶ草創期の代表作である。その後「味をたがやす 味の素八十年史」(制作 日本経営史研究所)を発刊、巻頭に石毛直道、向坊隆の小論文を掲載している。90年7月、「味の素グループの百年 新価値創造と開拓者精神」(制作 DNP年史センター)を2009年9月に発刊した。一橋大学大学院の橘川武郎教授のグループが執筆した。
89年の80周年の89年にオープンした小さな博物館とライブラリーも、こういう長い蓄積のうえではじめて生まれたものであることを確信した。
住所:東京都港区高輪3丁目13番地65号 味の素グループ高輪研修センター内2階
電話:03-5488-7305
開館日:月曜~土曜日(祝祭日は休館)
開館時間:10時~17時
入館料:無料