芸能山城組ケチャまつりを新宿三井ビル55HIROBAで聞いた。このイベントはいまから33年前の1976年にスタート、今年で34回という長い歴史をもつ。
わたしは80年前後にはじめて新宿で聞き、その後何回か春日井西武で聞いた。最後に見たのは89年だったはずだ。したがってじつに20年ぶりの見物ということになる。山城組は、西武グループのバブルのころには高針(名古屋市)、つかしん(尼崎)へも遠征していたはずだ。
こちらも同じくらい高齢化しているはずだが、出演メンバーたちも中高年化し、若い人のなかにおじさんおばさんがチラホラ混じっていたのでちょっと安心した。
この日、わたくしがみた出し物は5つである。
●ジェゴグの演奏と手ほどき
ジェゴクとは、長く大きい竹を楽器にしたもので、木琴のような音がする。『AKIRA』(大友克洋原作・監督、山城祥二作曲)から「金田」と「ケイと金田の脱出」の2曲が演奏された。
体験演奏コーナーがあり、楽器の近くに行き触ってみた。サイズは5種類、前列に木のばちで打つ小さめのものが並び、後列は大型のものでゴムのばちで打つ。一番大きいサイズのものは上に乗らないと演奏できない、巨大なものだった。搬出するときには男性10人がかりだったが、それでも重そうだった。鍵は10ある。1オクターブ5音で2オクターブ付いているので、10音演奏できる。
●ガムランの演奏と踊り
ガムランは鉄琴のような青銅の楽器だが、数が多いので搬入に20分ほどかかる。ばちの形は、ジェゴクと同じような木とゴムのほかに、金槌の形の尻が尖った形のものがあった。ガムラン以外に、銅鑼、ドラム、シンバルが加わる。シンバルはトルコや西洋のもののように両手で水平方向に打ち鳴らすのではなく、黄金のカメの背中に上向きにシンバルの片方が乗っており、上から垂直方向に振り下ろすタイプの楽器だった。
ガムランの合奏に合わせ、ピンクの衣装の人と緑の衣装の2人の3人が、舞台に設置された寺院様式の城門から登場し、レゴン・ラッサムを舞った。バリ舞踊図鑑によればストーリーは下記のとおり。
ピンクの衣装の女官役が登場し、宮廷での忙しい毎日の様子を踊りで表す。次に緑の衣装を着た2人の踊り手が登場し、女官が退場してから「ラッサム王の物語」が始まる。ラッサム王は、森で迷っていたランケサリ姫を誘拐し結婚を迫る。しかし、パンジ王子という許婚のいる姫に拒絶される。怒った王は、姫の兄の治める国へ戦いに赴くが、その途中で凶鳥ガルーダに襲われる。なんとか退けるが、この凶事は、王が戦場で死ぬ運命を予兆する。
もちろん優美な舞踊なのだが、踊り手の手のひら、とくに指先の動きがもつ表現力や目線が放つ力がすごい。
ガムランの音楽のバックには、ハイパーソニック・エフェクトという効果音が流れていたそうだ。これは、人間の耳に聴こえる20キロHzを超える高周波成分を含み、脳の深い部分を活性化し気持ちがよくなる効果だそうだ。わたくしにはその効果はよくわからなかったが、演奏している人はたしかにトランス状態に入るのかもしれない。むしろ木から聞こえる蝉の声や、テープかもしれないが鳥の声のほうが気持ちがよかった。
●ブルガリア女声合唱
芸能山城組の合唱の特徴は、ヨーロッパ風のベルカントでなく地声で歌うことである。さらにハーモニーがつきポリフォニーになっているので、地の底から響くような迫力のある合唱になる。代表的なのがこのブルガリア女声合唱である。故・小泉文夫氏(1927―83年)は山城組のCDの解説に「ブルガリアの民族発声に挑戦し、見事その充実感を自分のものにしてから、次々と新しい民族音楽の分野に意欲を燃やし、日本の合唱界を文字通りリードしてきた(略)音楽学校の声楽科の訓練を経た職業音楽家には決して出来ないが、逆に日本人であれば誰でも挑戦できる種類の合唱」と書いている。
●グルジア男声合唱
男性21人が、地下広場へと降りる階段に立ち、合唱した。解説には「鋼のような強靱な声がつくりだす驚異のポリフォニー」とある。芯の通った力強い声が響いた。ディアンベゴ、ハッサンベグラ、チャクルロの3曲が披露された。
●バナナのたたき売り
「あの人を呼ぼう」の声で登場したのはバナナマンだ。4人の男性にかつがれ空飛ぶかっこうで現われた。スーパーマンの衣装だが、胸のマークはSではなくバナナのBである。地上に降り立つと、両手に持った二丁水鉄砲で容赦なく観客に水を浴びせる。
最前列に座っていたわたしは「カメラなんか撮っている場合か」と怒鳴られただけですんだが、隣に座っていた人はたまたま目があったようで「犠牲者」になった。舞台に引っ張り出され、まずバナナにケチャップを塗り、それを皮のまま食べさせられた。当人が平気で食べてしまって席に戻ると、「もう当たらないと思っているでしょう。その考えは甘い。一度起きた不幸は二度起きる」と、再び舞台に登場させられた。そして七味唐辛子をたくさんふりかけたバナナを食べさせられていた。お礼にバナナをもらって席に戻ったときは「だいじょうぶ」とおっしゃっていたが、しばらく後になってから「口のなかが辛い」と言っていた。
基本的には寅さん映画に出てくるバナナのタンカ売だが、口上がもっと「脅迫」的だ。バナナマン(本職は教員らしい)の個性だが、20年以上やっていると立派な芸になっていた。さすが「芸能」山城組である。
場所がら外人の家族連れやグループ客が多かった。いっぽう普通は子どもが多いイベントなのだが、さすがにオフィス街なので、観客のほとんどがおとなだった。
基本的には夏祭りなので、周囲ではバリ島の木彫や手編み細工のおみやげ、生ビールやインドネシアのビンタンビールが販売されている。売り子も山城組の人だし、歌うのも楽器を演奏するのも、搬入搬出をするのも同じ人がやっている。アマチュアはどこもこんなものだが、山城組は「文明批判の拠点となる群れ創り」を大事にしているので、なおさらなのだろう。
夏の日も暮れ、闇に包まれるなか城門がライトアップされ、プログラムは夜の部のガムランやフィナーレの「ケチャ」に進む。この後は来年の楽しみに取っておこうと、今年はここで帰ることにした。
☆山城組をライブで見るのは20年ぶりだったが「芸能山城組入門」というCDは聴いていた。わたしが好きなのは、「わたしの亜麻畑」(ロシア民謡)、合唱「刈干切唄」(宮崎県民謡)、山城節「柳の雨」(西条八十作詞、山城祥司作曲)、組曲「小さな目」から(湯山昭作曲)と、山城組らしくない曲ばかりである。「柳の雨」は銀座の柳植樹記念につくられた小唄勝太郎の端唄で「ゆく水に雨がそぼふる、かしの灯よ」という粋な歌詞だ。
この日は「芸能山城組ライブ」というCDを購入した。「入門」と重複する曲も何曲かあるが、ブルガリア女声合唱が数曲入っており、トルコ、ベトナム、台湾高砂族などの曲も入っている。また故・小泉文夫さんの「ケチャの合唱パターン」の声がライブで入っておりが、まるで「題名のない音楽会」を聞いているようでなつかしい。
わたしは80年前後にはじめて新宿で聞き、その後何回か春日井西武で聞いた。最後に見たのは89年だったはずだ。したがってじつに20年ぶりの見物ということになる。山城組は、西武グループのバブルのころには高針(名古屋市)、つかしん(尼崎)へも遠征していたはずだ。
こちらも同じくらい高齢化しているはずだが、出演メンバーたちも中高年化し、若い人のなかにおじさんおばさんがチラホラ混じっていたのでちょっと安心した。
この日、わたくしがみた出し物は5つである。
●ジェゴグの演奏と手ほどき
ジェゴクとは、長く大きい竹を楽器にしたもので、木琴のような音がする。『AKIRA』(大友克洋原作・監督、山城祥二作曲)から「金田」と「ケイと金田の脱出」の2曲が演奏された。
体験演奏コーナーがあり、楽器の近くに行き触ってみた。サイズは5種類、前列に木のばちで打つ小さめのものが並び、後列は大型のものでゴムのばちで打つ。一番大きいサイズのものは上に乗らないと演奏できない、巨大なものだった。搬出するときには男性10人がかりだったが、それでも重そうだった。鍵は10ある。1オクターブ5音で2オクターブ付いているので、10音演奏できる。
●ガムランの演奏と踊り
ガムランは鉄琴のような青銅の楽器だが、数が多いので搬入に20分ほどかかる。ばちの形は、ジェゴクと同じような木とゴムのほかに、金槌の形の尻が尖った形のものがあった。ガムラン以外に、銅鑼、ドラム、シンバルが加わる。シンバルはトルコや西洋のもののように両手で水平方向に打ち鳴らすのではなく、黄金のカメの背中に上向きにシンバルの片方が乗っており、上から垂直方向に振り下ろすタイプの楽器だった。
ガムランの合奏に合わせ、ピンクの衣装の人と緑の衣装の2人の3人が、舞台に設置された寺院様式の城門から登場し、レゴン・ラッサムを舞った。バリ舞踊図鑑によればストーリーは下記のとおり。
ピンクの衣装の女官役が登場し、宮廷での忙しい毎日の様子を踊りで表す。次に緑の衣装を着た2人の踊り手が登場し、女官が退場してから「ラッサム王の物語」が始まる。ラッサム王は、森で迷っていたランケサリ姫を誘拐し結婚を迫る。しかし、パンジ王子という許婚のいる姫に拒絶される。怒った王は、姫の兄の治める国へ戦いに赴くが、その途中で凶鳥ガルーダに襲われる。なんとか退けるが、この凶事は、王が戦場で死ぬ運命を予兆する。
もちろん優美な舞踊なのだが、踊り手の手のひら、とくに指先の動きがもつ表現力や目線が放つ力がすごい。
ガムランの音楽のバックには、ハイパーソニック・エフェクトという効果音が流れていたそうだ。これは、人間の耳に聴こえる20キロHzを超える高周波成分を含み、脳の深い部分を活性化し気持ちがよくなる効果だそうだ。わたくしにはその効果はよくわからなかったが、演奏している人はたしかにトランス状態に入るのかもしれない。むしろ木から聞こえる蝉の声や、テープかもしれないが鳥の声のほうが気持ちがよかった。
●ブルガリア女声合唱
芸能山城組の合唱の特徴は、ヨーロッパ風のベルカントでなく地声で歌うことである。さらにハーモニーがつきポリフォニーになっているので、地の底から響くような迫力のある合唱になる。代表的なのがこのブルガリア女声合唱である。故・小泉文夫氏(1927―83年)は山城組のCDの解説に「ブルガリアの民族発声に挑戦し、見事その充実感を自分のものにしてから、次々と新しい民族音楽の分野に意欲を燃やし、日本の合唱界を文字通りリードしてきた(略)音楽学校の声楽科の訓練を経た職業音楽家には決して出来ないが、逆に日本人であれば誰でも挑戦できる種類の合唱」と書いている。
●グルジア男声合唱
男性21人が、地下広場へと降りる階段に立ち、合唱した。解説には「鋼のような強靱な声がつくりだす驚異のポリフォニー」とある。芯の通った力強い声が響いた。ディアンベゴ、ハッサンベグラ、チャクルロの3曲が披露された。
●バナナのたたき売り
「あの人を呼ぼう」の声で登場したのはバナナマンだ。4人の男性にかつがれ空飛ぶかっこうで現われた。スーパーマンの衣装だが、胸のマークはSではなくバナナのBである。地上に降り立つと、両手に持った二丁水鉄砲で容赦なく観客に水を浴びせる。
最前列に座っていたわたしは「カメラなんか撮っている場合か」と怒鳴られただけですんだが、隣に座っていた人はたまたま目があったようで「犠牲者」になった。舞台に引っ張り出され、まずバナナにケチャップを塗り、それを皮のまま食べさせられた。当人が平気で食べてしまって席に戻ると、「もう当たらないと思っているでしょう。その考えは甘い。一度起きた不幸は二度起きる」と、再び舞台に登場させられた。そして七味唐辛子をたくさんふりかけたバナナを食べさせられていた。お礼にバナナをもらって席に戻ったときは「だいじょうぶ」とおっしゃっていたが、しばらく後になってから「口のなかが辛い」と言っていた。
基本的には寅さん映画に出てくるバナナのタンカ売だが、口上がもっと「脅迫」的だ。バナナマン(本職は教員らしい)の個性だが、20年以上やっていると立派な芸になっていた。さすが「芸能」山城組である。
場所がら外人の家族連れやグループ客が多かった。いっぽう普通は子どもが多いイベントなのだが、さすがにオフィス街なので、観客のほとんどがおとなだった。
基本的には夏祭りなので、周囲ではバリ島の木彫や手編み細工のおみやげ、生ビールやインドネシアのビンタンビールが販売されている。売り子も山城組の人だし、歌うのも楽器を演奏するのも、搬入搬出をするのも同じ人がやっている。アマチュアはどこもこんなものだが、山城組は「文明批判の拠点となる群れ創り」を大事にしているので、なおさらなのだろう。
夏の日も暮れ、闇に包まれるなか城門がライトアップされ、プログラムは夜の部のガムランやフィナーレの「ケチャ」に進む。この後は来年の楽しみに取っておこうと、今年はここで帰ることにした。
☆山城組をライブで見るのは20年ぶりだったが「芸能山城組入門」というCDは聴いていた。わたしが好きなのは、「わたしの亜麻畑」(ロシア民謡)、合唱「刈干切唄」(宮崎県民謡)、山城節「柳の雨」(西条八十作詞、山城祥司作曲)、組曲「小さな目」から(湯山昭作曲)と、山城組らしくない曲ばかりである。「柳の雨」は銀座の柳植樹記念につくられた小唄勝太郎の端唄で「ゆく水に雨がそぼふる、かしの灯よ」という粋な歌詞だ。
この日は「芸能山城組ライブ」というCDを購入した。「入門」と重複する曲も何曲かあるが、ブルガリア女声合唱が数曲入っており、トルコ、ベトナム、台湾高砂族などの曲も入っている。また故・小泉文夫さんの「ケチャの合唱パターン」の声がライブで入っておりが、まるで「題名のない音楽会」を聞いているようでなつかしい。