多面体F

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

岡内籌子が学んだ自由学園明日館

2008年03月25日 | 博物館など
自由学園明日館(みょうにちかん)を見学した。
池袋のメトロポリタンホテルの南側、極真空手総本部の先は住宅街になる。その一角に羽仁もと子夫妻が1921年(大正10)に創立し、フランク・ロイド・ライト(1867年6月8日―1959年4月9日)と弟子の遠藤新(1889年6月1日―1951年6月29日)が設計した明日館がある。

銅板葺きの緑の屋根が美しい、基礎は大谷石造
この建物は2001年保存・修理工事が完成し一般公開されるようになった。たとえば屋根は戦後灰色になっていたものを、創立時の生徒の絵を参考に銅板葺き緑青ペイントに塗り変えられ、ホール南側の大窓も上下3枚に分割されていたものが2枚に復元された。創立10周年記念で生徒が描いた大フレスコ画「出エジプト」もホールの壁のなかから発掘され、元の場所に掲げられた。
ライトの設計のポイントはデザインと機能性にある。ライトは人間が落ち着く空間として洞窟のような空間と広々した空間の2種類を想定した。それで、たとえば広々した食堂と暗く狭い階段室を組み合わせた。明日館の中心は食堂である。食べるところが中心とは変わった学校だが、弁当でなく階下の炊事場で自分たちでつくり、全校生徒が集まり食べる、いまでいう「食育」が創立者の思想のひとつだったのである。いまは結婚披露宴の会場としても利用されている。ライトは大谷石の大きな暖炉を重視した。立派な暖炉が食堂のまんなかに設置されている。冬に何日か暖炉をつけることがあり、そんなとき火の前で見知らぬ同士がしみじみ話しをすることもあるそうだ。

大きな暖炉が右に見える学校の中心部・食堂
ホールは創立当時、礼拝に使われていた。芝生の前庭に面した幾何学模様の窓が特徴である。映画やテレビのロケで使われることが多く、サントリー「セサミンEプラス」のCMで草刈民代が踊るシーンはこのホールで撮影された。
自由学園は創立者の三女恵子の入学にあわせて1921年4月15日に開校した。羽仁夫妻がライトに設計を依頼したのが同年1月、着工が3月15日だったので入学式には1部屋しか出来ていなかった。入学式に使われたRm.1921という教室が保存されている。
5月5日の高等科第1回入学生のなかに岡内籌子(かずこ)がいる。岡内は高松出身、卒業後「婦人之友」の記者になった(村山の母も未亡人になってから婦人之友の記者だった)。1924年に21歳で村山知義と結婚、ミセス羽仁は「あの人と結婚すると苦労する」と予言したそうだが、そのとおりになった。2人でつくった童話「3びきのこぐまさん」など村山の原画集が展示されていた。よく使われている2人の写真は1927年のものであることがわかった。村山知義26歳、籌子24歳の若い日の写真である。心座を経て前衛劇場で本格的に演劇に取り組みだしたころである。

「3びきのこぐまさん」など村山の童画
☆庭続きの自由学園工芸研究所のショップを見学した。玉つなぎ、コルク積木、背くらべ、ボタンはめ時計、着せかえ人形などわが家にもあったおもちゃの数々が販売されていた。とりわけ懐かしかったのは学園積木だ。積み木の家をつくるといった普通の遊び方だけでなく、リンゴ、おにぎり、宇宙ステーションの電話など、さまざまなものに変身しイマジネーションを膨らませてくれた。

住所:東京都豊島区西池袋2-31-3
電話:03-3971-7535
開館日:火曜日~日曜日
 
 (閉館の日もあるのでHPで要確認)
開館時間:10:00~16:00
入館料:600円

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