3月18日夜、沖縄戦首都圏の会・連続講座 第5回「検証・教科書検定制度の問題点」が文京シビックセンターで開催された。
沖縄戦高校歴史教科書問題で、審議会を隠れ蓑に暗躍する教科書調査官の存在がクローズアップされた。検定制度の問題の本質は、文科省がつくった学習指導要領とぴったり同じ内容にならないと教科書が出版されない仕組みと、ヘビとカエルにたとえられる文科省と出版社との従属関係にある。この日、高校歴史教科書の編集者からその生々しい実態が報告され、俵義文さんから文科省の思いのままになる現行の検定のしくみがどのように完成したか解き明かされた。
検定前後でイラストがどう変更させられたかを示す俵義文さん
●編集者から見る教科書検定の実態
1冊の教科書ができるまでに、編集者は検定申請本(著者名も出版社名も入っていない、いわゆる白表紙本)、検定意見に沿って記述を変更した検定合格本(見本本)、教育委員会や学校に回して誤記・誤植を訂正申請し修正した児童・生徒使用本(供給本)と3回(3冊)同じ本をつくっている。検定申請する際には申請料(ページ当たり280円~560円、最低56000円)を支払う。
編集者は教科用図書検定調査審議会の委員に会うことはなく、すべて教科書調査官から伝達される。沖縄戦検定では2006年12月、教科書調査官から検定意見が通知された。その伝達は1社2時間と制限されており、通常はじめの1時間で通知書のどこを質問するか相談し、残りの1時間で説明を受ける。
調査官は「こう書け」とはけして言わない。家永教科書訴訟から当時の文部省が学んだようだ。「そうは言っていない」といった禅問答のようなやりとりのなかで文科省の意図や落としどころを推測するしかない。その場で反論しても「ここは交渉の場ではない」と言われるだけだ。とにかく「合格本」にならないことにはおカネにならないため、編集者は著者にムリヤリ了解してもらうことになる。
沖縄戦の検定意見の根拠は「沖縄戦と民衆」(林博史 大月書店)の「渡嘉敷や座間味で日本軍の命令が出たわけではない」という2―3行の記述だと告げられた。その場で著書を確認できたわけでもなく、ほかにも多く聞きたい箇所があったためその日はそれで終わった。しかし林先生の著書を見ると、全体として軍による強制であることは明らかで、調査官の意図的・恣意的な「誤読」といわざるをえない。しかも著書発刊は2001年なのに、2005年の検定では意見が付かなかった。その後06年3月の記者会見ではじめて文科省は、05年8月の大江岩波裁判の原告主張を持ち出した。「係争中の問題は慎重に扱え」「意見が分かれているものは両論併記しろ」というのがそれまでの文科省の見解だったので、さすがに調査官は裁判を理由とは言えなかったようだ。
検定意見に対し出版社が反論書を20日以内に提出することはできる。だがその可否は文科省が判断する。裁判にたとえれば、検事と裁判官を1人2役でやっているようなものだ。また、すべての検定意見に従った修正表を35日以内に提出しないと不合格というルールがある。反論書を書いている間も秒読み時計の針は進んでいる。修正表を提出し文科省が吟味している時間を「塩漬け」と呼ぶが、その時間も35日から控除されない。そこで編集者は反論書を書くより、どうしても修正表の作成に労力を注ぐことになりがちだ。
その後全国的に問題が大きくなったが、伊吹文科大臣らは「役人も政治家も検定には一言も容喙できない仕組み」と訂正を拒否した。しかし9.29県民大会以降、渡海文科大臣は「真摯に受け止める」と態度を変え、「訂正申請」のルールを適用することになった。12月の訂正申請の調査官とのやりとりは編集担当者ではなく、異例なことに各社の編集担当取締役が当たった。訂正には(1)誤記、(2)客観的な事実が変わった、(3)学習上支障がある、の3種類がある。編集者は(1)にしたかったが、密室でのやりとりのなか各社とも(3)となった。密室の禅問答の結果なのでどうしてそうなったかは藪の中だ。
また訂正申請の一次修正が執筆者の「思い」だったが「基本的なとらえ方」に沿えと文科省が言ってきた。しかし「とらえ方」の歴史の見方に誤りはないのだろうか。これは文科省の歴史観の押し付けだ。
禅問答のなかで「日本軍」と「強制」をひとつのセンテンスにするとまずいということがわかってきた。小委員会の審議内容は公表されないが、今回は1月13日の赤旗の報道で「そんな細かいことまで決めていなかった」ことが明らかになった。つまり調査官の恣意的な判断だったわけだ。
文科省と出版社の関係は「ヘビとカエル」だ。この関係を打破するには、市民レベルの大きな運動がどうしても必要であることを強調したい。
●なぜこんな検定が? 検定制度の何が問題か
俵 義文さん(子どもと教科書全国ネット21事務局長、「沖縄戦首都圏の会」よびかけ人)
1948年制定時の教科用図書検定規則では、検定手続きは各教科5人1組(現場教員3人、専門学者2人)の教科書調査員(非常勤)が申請図書を調査し、1000点満点の評点で800点以上であれば合格とされていた。ところが1956年教科書国家統制法が上程され国民の反対で廃案になったものの、そのなかの教科書調査官制度のみ同年6月文部省令で導入した。三権分立を否定する行為である。こうして常勤の公務員である調査官が生殺与奪の実権をもつに至った。しかも調査官は公務員試験なしの中途入庁で、教職免許の有無も問われない。
1989年に検定制度は大きく改悪された。それまでは学習指導要領の「目標」「内容」との整合性だけが検定基準だったのが、このときの改訂で「内容の取扱い」まで含むことになり「不足なく取り上げ」「不必要なものは取り上げていないこと」という文言が加わった。そこで「3000キロメートルもとんで、とおいみなみのくにからツバメがかえってきた」という記述の「3000キロメートル」は2年生では扱わない単位や数字なのでダメ、とか「昆虫の種類は3種までで4種ではダメ」で写真を差し替えるといった杓子定規な検定意見がまかり通るようになった。指導要領により教科書をすみずみまで統制する仕組みが完成したわけである。同時に、教科書作成に当たり「創意・工夫しなければならない」という文言を削除した。
検定の目的は「教育の機会均等の保障、適正な教育内容の維持」等とされているがこれは建前にすぎない。93年家永訴訟の最高裁・可部判決が出たあとの勝利座談会で教科書課長は「何をやっても現場に指導要領が徹底しない。徹底させるには教科書でやるしかない」と語ったがこれが文科省のホンネである。「教科書『で』教える」が「教科書『を』教える」に変化したのだ。
今回の学習指導要領改訂で、すべての教科および特別活動の「指導計画の作成と内容の取扱い」に「道徳教育の目標に基づき」「道徳の時間などとの関連を考慮しながら」「道徳の内容について(略)指導する」との文言が入っている。全教科を「道徳化」し、全教科で「愛国心教育」を実施しようとするものである。学習指導要領に「道徳」という文字は小学校で95か所、中学で86か所出てくる。この指導要領に基づく教科書がこれから編集されるが、検定制度を使えばすべての教科の教科書が「つくる会」教科書になりかねない。
また、89年以前は条件付合格という制度があり、合格の条件として強制力のある「修正意見」と従うかどうか出版社・執筆者に委ねられた「改善意見」の2種があった。しかし制度改訂で強制力のある「検定意見」に一本化された。合格かどうかは最後の最後まで留保されたまま検定意見がつくので、出版社は修正せざるをえなくなった。90年代に商業の教科書で電卓とソロバンの記述の比率で従わなかったため不合格になった例がある。「見せしめ」だった。
教科書会社を縛る方法として、修正期間の35日ルールのほかに定価の低価格政策もある。家庭科の教科書は100pオールカラーで249円だが、65年の広域採択制度導入の際定めた基準を使っているからである。「価格を上げてほしければ、文科省に楯突くな」とでもいいたいような「従属関係」を作り出している。
わたしは検定制度はないほうがよいと考えるが、検定制度が60年続き、国民のなかに「検定をなくすと教科書がきちんとできるのか」という心配があるのも事実である。そこで、高校教科書は検定をなくすとか、特定の教科のみ検定をなくすといった段階的廃止を考えている。また検定制度の抜本的改革を要求するため、検定審議会、教科書調査官、検定手続き、検定の公開に分類した、具体的かつ総合的要求案を作成中で、3月中に文科省に提出する作業を進めている。
沖縄戦高校歴史教科書問題で、審議会を隠れ蓑に暗躍する教科書調査官の存在がクローズアップされた。検定制度の問題の本質は、文科省がつくった学習指導要領とぴったり同じ内容にならないと教科書が出版されない仕組みと、ヘビとカエルにたとえられる文科省と出版社との従属関係にある。この日、高校歴史教科書の編集者からその生々しい実態が報告され、俵義文さんから文科省の思いのままになる現行の検定のしくみがどのように完成したか解き明かされた。
検定前後でイラストがどう変更させられたかを示す俵義文さん
●編集者から見る教科書検定の実態
1冊の教科書ができるまでに、編集者は検定申請本(著者名も出版社名も入っていない、いわゆる白表紙本)、検定意見に沿って記述を変更した検定合格本(見本本)、教育委員会や学校に回して誤記・誤植を訂正申請し修正した児童・生徒使用本(供給本)と3回(3冊)同じ本をつくっている。検定申請する際には申請料(ページ当たり280円~560円、最低56000円)を支払う。
編集者は教科用図書検定調査審議会の委員に会うことはなく、すべて教科書調査官から伝達される。沖縄戦検定では2006年12月、教科書調査官から検定意見が通知された。その伝達は1社2時間と制限されており、通常はじめの1時間で通知書のどこを質問するか相談し、残りの1時間で説明を受ける。
調査官は「こう書け」とはけして言わない。家永教科書訴訟から当時の文部省が学んだようだ。「そうは言っていない」といった禅問答のようなやりとりのなかで文科省の意図や落としどころを推測するしかない。その場で反論しても「ここは交渉の場ではない」と言われるだけだ。とにかく「合格本」にならないことにはおカネにならないため、編集者は著者にムリヤリ了解してもらうことになる。
沖縄戦の検定意見の根拠は「沖縄戦と民衆」(林博史 大月書店)の「渡嘉敷や座間味で日本軍の命令が出たわけではない」という2―3行の記述だと告げられた。その場で著書を確認できたわけでもなく、ほかにも多く聞きたい箇所があったためその日はそれで終わった。しかし林先生の著書を見ると、全体として軍による強制であることは明らかで、調査官の意図的・恣意的な「誤読」といわざるをえない。しかも著書発刊は2001年なのに、2005年の検定では意見が付かなかった。その後06年3月の記者会見ではじめて文科省は、05年8月の大江岩波裁判の原告主張を持ち出した。「係争中の問題は慎重に扱え」「意見が分かれているものは両論併記しろ」というのがそれまでの文科省の見解だったので、さすがに調査官は裁判を理由とは言えなかったようだ。
検定意見に対し出版社が反論書を20日以内に提出することはできる。だがその可否は文科省が判断する。裁判にたとえれば、検事と裁判官を1人2役でやっているようなものだ。また、すべての検定意見に従った修正表を35日以内に提出しないと不合格というルールがある。反論書を書いている間も秒読み時計の針は進んでいる。修正表を提出し文科省が吟味している時間を「塩漬け」と呼ぶが、その時間も35日から控除されない。そこで編集者は反論書を書くより、どうしても修正表の作成に労力を注ぐことになりがちだ。
その後全国的に問題が大きくなったが、伊吹文科大臣らは「役人も政治家も検定には一言も容喙できない仕組み」と訂正を拒否した。しかし9.29県民大会以降、渡海文科大臣は「真摯に受け止める」と態度を変え、「訂正申請」のルールを適用することになった。12月の訂正申請の調査官とのやりとりは編集担当者ではなく、異例なことに各社の編集担当取締役が当たった。訂正には(1)誤記、(2)客観的な事実が変わった、(3)学習上支障がある、の3種類がある。編集者は(1)にしたかったが、密室でのやりとりのなか各社とも(3)となった。密室の禅問答の結果なのでどうしてそうなったかは藪の中だ。
また訂正申請の一次修正が執筆者の「思い」だったが「基本的なとらえ方」に沿えと文科省が言ってきた。しかし「とらえ方」の歴史の見方に誤りはないのだろうか。これは文科省の歴史観の押し付けだ。
禅問答のなかで「日本軍」と「強制」をひとつのセンテンスにするとまずいということがわかってきた。小委員会の審議内容は公表されないが、今回は1月13日の赤旗の報道で「そんな細かいことまで決めていなかった」ことが明らかになった。つまり調査官の恣意的な判断だったわけだ。
文科省と出版社の関係は「ヘビとカエル」だ。この関係を打破するには、市民レベルの大きな運動がどうしても必要であることを強調したい。
●なぜこんな検定が? 検定制度の何が問題か
俵 義文さん(子どもと教科書全国ネット21事務局長、「沖縄戦首都圏の会」よびかけ人)
1948年制定時の教科用図書検定規則では、検定手続きは各教科5人1組(現場教員3人、専門学者2人)の教科書調査員(非常勤)が申請図書を調査し、1000点満点の評点で800点以上であれば合格とされていた。ところが1956年教科書国家統制法が上程され国民の反対で廃案になったものの、そのなかの教科書調査官制度のみ同年6月文部省令で導入した。三権分立を否定する行為である。こうして常勤の公務員である調査官が生殺与奪の実権をもつに至った。しかも調査官は公務員試験なしの中途入庁で、教職免許の有無も問われない。
1989年に検定制度は大きく改悪された。それまでは学習指導要領の「目標」「内容」との整合性だけが検定基準だったのが、このときの改訂で「内容の取扱い」まで含むことになり「不足なく取り上げ」「不必要なものは取り上げていないこと」という文言が加わった。そこで「3000キロメートルもとんで、とおいみなみのくにからツバメがかえってきた」という記述の「3000キロメートル」は2年生では扱わない単位や数字なのでダメ、とか「昆虫の種類は3種までで4種ではダメ」で写真を差し替えるといった杓子定規な検定意見がまかり通るようになった。指導要領により教科書をすみずみまで統制する仕組みが完成したわけである。同時に、教科書作成に当たり「創意・工夫しなければならない」という文言を削除した。
検定の目的は「教育の機会均等の保障、適正な教育内容の維持」等とされているがこれは建前にすぎない。93年家永訴訟の最高裁・可部判決が出たあとの勝利座談会で教科書課長は「何をやっても現場に指導要領が徹底しない。徹底させるには教科書でやるしかない」と語ったがこれが文科省のホンネである。「教科書『で』教える」が「教科書『を』教える」に変化したのだ。
今回の学習指導要領改訂で、すべての教科および特別活動の「指導計画の作成と内容の取扱い」に「道徳教育の目標に基づき」「道徳の時間などとの関連を考慮しながら」「道徳の内容について(略)指導する」との文言が入っている。全教科を「道徳化」し、全教科で「愛国心教育」を実施しようとするものである。学習指導要領に「道徳」という文字は小学校で95か所、中学で86か所出てくる。この指導要領に基づく教科書がこれから編集されるが、検定制度を使えばすべての教科の教科書が「つくる会」教科書になりかねない。
また、89年以前は条件付合格という制度があり、合格の条件として強制力のある「修正意見」と従うかどうか出版社・執筆者に委ねられた「改善意見」の2種があった。しかし制度改訂で強制力のある「検定意見」に一本化された。合格かどうかは最後の最後まで留保されたまま検定意見がつくので、出版社は修正せざるをえなくなった。90年代に商業の教科書で電卓とソロバンの記述の比率で従わなかったため不合格になった例がある。「見せしめ」だった。
教科書会社を縛る方法として、修正期間の35日ルールのほかに定価の低価格政策もある。家庭科の教科書は100pオールカラーで249円だが、65年の広域採択制度導入の際定めた基準を使っているからである。「価格を上げてほしければ、文科省に楯突くな」とでもいいたいような「従属関係」を作り出している。
わたしは検定制度はないほうがよいと考えるが、検定制度が60年続き、国民のなかに「検定をなくすと教科書がきちんとできるのか」という心配があるのも事実である。そこで、高校教科書は検定をなくすとか、特定の教科のみ検定をなくすといった段階的廃止を考えている。また検定制度の抜本的改革を要求するため、検定審議会、教科書調査官、検定手続き、検定の公開に分類した、具体的かつ総合的要求案を作成中で、3月中に文科省に提出する作業を進めている。