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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

東京の地酒で梅見酒

2009年02月27日 | 日記
わたくしが日本酒を飲み始めたのは日本名門酒会が発足したころなのでもう30年になる。その後、地酒ブームが訪れ、久保田(長岡 朝日酒造)、神亀(蓮田 神亀酒造)、十四代(村山 高木酒造)などが一世を風靡し、女性ファンも増えた。
意外と思われるかもしれないが東京にも地酒はある。

梅が咲き始めた2月の土曜、光が丘公園で「東京の地酒」フェアが開催された。
東京の地酒というと、赤羽岩淵の小山酒造(丸真正宗)が有名だが、全部で12の蔵元が出品していた。わたくしが知っているのは澤乃井(小澤酒造)くらいで、善正(野崎酒造)、金婚(豊島屋酒造)、多満自慢(石川酒造)など知らない銘柄が多かった。所在地でいうと、八王子(2社)、青梅(2社)、あきる野(2社)、福生(2社)、武蔵村山、東村山、狛江、北区の蔵元である。東京にも山はある。きっと奥多摩の伏流水を使っているのだろう。

わたしは八王子の日の出山(中島酒造場)を燗酒で飲んでみた。濃厚でコクのある酒だった。
日本酒だけではなく、八丈島の焼酎も5社11ブランド出品されていた。八丈島では幕末に薩摩から伝わった芋焼酎をつくり始め、昭和初期に芋麦ブレンドと麦焼酎の生産を始めたそうだ。情け嶋をお湯割りで一杯飲んでみた。八丈島名物くさやの干物を焼く、いいにおいも漂っていた。

昼酒というと、サンデー毎日の「どうにもこうにも」というコラムで北大路公子という札幌の人が毎週のように「昼酒はいい」と書いている。屋台のなかは、温室のように暖かい。客は若いカップル、子どもを連れたファミリー、シルバー世代など。隣の客は「物欲や金銭欲がなくなった。死ぬのがこわくなくなってきた」と人生論を語っていた。趣味は悪いがちょっとした会話が耳に入る。こちらも幸せな気になる。昼酒はたしかに効いた。ちょっと吉祥寺のいせやの雰囲気に似ていた。

☆屋台を出たところに、「平和への祈り」の像があった。いつもは「ああ、あるなあ」と通り過ぎるだけだが、ゆっくり見てみた。この公園は、1943年には陸軍成増飛行場、その後アメリカ軍のグラントハイツになった場所である。83年10月練馬区は非核都市練馬区宣言を行った。そして戦後50年の1995年8月15日「練馬区民は戦争の悲惨さと平和の尊さを心に刻み、平和を守る決意を新たにしたい」という平和祈念碑をこの場所に建てた。2羽のハトと男の子、女の子2人の平和の像は田中昭の作、碑文は当時の練馬区長・岩波三郎の書である。岩波氏は昨年11月、名誉区民に選出された。本人ではなく、区議会が悪いのだが、晩節を汚したともいえるできごとだった。

5/23追記
「奥多摩の伏流水を使っているのは八王子、青梅、あきる野、福生まででしょう、武蔵村山は狭山丘陵からの水のはず」とのコメントをいただいた。なるほど狭山の
伏流水もありそうだ。
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