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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

刑事裁判・被害者参加制度の問題点

2007年11月20日 | 集会報告
11月17日水道橋の東京学院で開催された第23回人権と報道を考えるシンポジウム「刑事裁判の被害者参加と報道」(主催 人権と報道・連絡会)に参加した。

パネリストは、人権と報道の問題に詳しい弁護士の山下幸夫さん、刑事訴訟法研究者の吉村真性さん、10年前の97年11月28日にひき逃げ事故でお子さんを亡くされた遺族の片山徒有(ただあり)さんの3人だった。
まず司会の山口正紀さんから今年6月超スピードで国会を通過した被害者参加制度について説明があった。
この制度は、裁判員制度の対象となる重大犯罪を対象に、被害者や遺族が刑事裁判に参加(おそらく検察官の隣に座る)し、直接、被告人や証人に尋問したり、検察官の求刑のあと意見陳述できる(死刑を含む求刑の希望もできる)。刑事裁判に付随して、加害者に損害賠償請求を起こす「損害賠償命令申し立て制度」も新設された。
この制度には肯定的な評価もみられるが、刑事裁判が近代刑法以前の「復讐や仇討」の場に逆戻りする危険もはらんでいる。

山下幸夫・弁護士(東京弁護士会)
2000年5月犯罪被害者対策二法が成立したあと、04年12月成立した犯罪被害者等基本法に基づき05年12月基本計画が策定された。06年9月から法制審議会で審議が始まり07年2月答申を行った。そこからの動きが早かった。今年3月国会に上程、6月1日衆議院を通過、6月20日参議院で可決成立した。「必要があれば施行3年後に見直す」「資力がない人も弁護士の援助を受けられるよう努める」という付則を付けただけで、実質的な審議はほとんどなく成立した。この法律は2009年5月の裁判員制度開始の半年前の2008年11月ごろから実施されるといわれている。
この影には、2000年1月に発足した全国犯罪被害者の会(あすの会 岡村勲代表)の強力な運動があった。この会は39万人の署名を法務大臣に提出したり小泉首相との面談を行った。その結果、もともと司法改革のプログラムに被害者の権利はなかったのに2000年に後から追加されることになった。

被告は法廷で一挙手一投足を被害者に見られることになり、委縮するおそれがある。また検察の求刑後の意見陳述では、おそらく死刑を望む声が多いだろう。特に裁判員に大きな影響を与え、厳罰化が進むことが予測される。あとから制定された被害者参加制度が裁判員制度と合体すると「それでもボクはやってない」(周防正行監督)にみられるよう、いまでも被告に厳しい刑事裁判が、ますます被告人の権利を狭め、刑事裁判をいままでとまったく違うものに変えてしまう可能性がある。
なおアメリカの陪審員制度は、被告が裁判官裁判を受けるかを選べる被告の権利になっているが、日本の裁判員制度では義務となっている。

事件報道の問題でいうと、いまは逮捕までの報道、ときにすさまじい犯人視報道が中心で、いったん起訴されると激減し、その後は第一回公判(冒頭陳述)、論告求刑、判決の3つが小さく報道されるのみだ(つまり検察の主張だけ報道され、被告や証人の声が掲載されない不公平がある)。今後、公判の記事、とりわけ被害者の陳述が中心になり劇場型裁判報道になるのではないか。和歌山カレー事件で産経新聞が弁護士批判記事を掲載したことが先駆けとなり、いま光市事件で遺族の記者会見が大きく報道され弁護士の懲戒請求が乱発された。弁護団に参加している21人のなかには顧問契約を打ち切られたり、弁護士依頼を中止される人も出ている。そうなると弁護の引き受けそのものに覚悟を要し、刑事弁護の危機が生じることになる。
損害賠償命令申し立て制度が新設されたが、被告に資力がないことが多いので、たとえ損害賠償命令が出てもたんなる「紙きれ」で終わる可能性も大きい。国が立て替えるなど、国の経済的なケアや精神的なケアがないと、冷たい制度になるのではないか。

吉村真性・博士研究員(龍谷大学矯正・保護研究センター)
欧米の刑事訴訟法の基本的な考え方と比較する。
アメリカでは多くの州憲法で犯罪被害者の権利が明記されている。日本では憲法に規定がないので、根拠条文も存在しない。
アメリカの陪審員制度は有名だが、罪責認定手続きと量刑手続きが制度上、明確に分離している。有罪か無罪かという罪責認定は陪審員が行うが、量刑は原則として裁判官が行う。この点、日本の裁判員制度と違う。
イギリスでは被害者参加制度を特定の地域で実験したところ、被害者の失望感が増したという事実がある。また量刑に関しては遺族の意見が反映されないことが定められている。なおイギリスに死刑はない
ドイツでは被害者参加制度と参審制度(裁判官と市民から選ばれた参審員が共同で決定)があり、日本と似ている。しかしドイツでは被害者に多くの権利が与えられているものの職権主義を採用しており、日本・英米の当事者主義とは、刑事訴訟の基本的構造が違う。職権主義とは、裁判官が訴訟進行の責務を負いイニシアチブを取るものだ。たとえば裁判官が証人尋問を行う。参審員との合議であっても大きく左右されることはない。それに対し、当事者主義とは検察官や被告が訴訟進行の責務を負いイニシアチブを取るものである。
またドイツは起訴法定主義(一定の法的条件があれば起訴しなければならない原則)を取るのに対し、日本は検察官が柔軟な政策的見地がら起訴する起訴便宜主義を取っている点も異なる。
なおドイツにも死刑制度はない。 

片山徒有被害者と司法を考える会代表
被害者のニーズは「真実を知りたい」「亡くなった家族の名誉を回復したい」「自分のようなつらい思いを他の人には味あわせたくない」などいろいろだ。遺族でも、父と母、兄弟でもそれぞれ違う。また、裁判で意見をいいたい人、言いたくない人、もう触れてほしくない人とこの点もさまざまだ。それは自然なことだ。
被害者みんなが意見をいいたいはずとか、加害者に復讐したいとか、こう思っているはずと決めつけられるのは本意ではない。またそういう人が被害者の代表というのはおかしい、乱暴きわまりない。
また被害者や遺族が知りたい真実は「なぜそういう被害を受けなければいけなかったか」という意味の「真実」である。裁判でいう、有罪を立証する範囲の真実とは重ならない部分がある。
被害者や遺族の満足感を高めるには、加害者を罰するだけでなく、経済的ケアや精神的ケアも重要だ。事件により経済的困難に陥った被害者や遺族に国が経済支援することや、事件による精神的被害を回復するためのケアを行う制度づくりも望まれる。
裁判員制度に関しては、何度か模擬裁判をやったことがある。その体験からいうと、市民はそれほど「軽く」判断するわけではない。事実認定も市民のほうが厳しいし、市民はだれも死刑判決を出したくない。市民にとっては「犯罪が起こらない社会」に変えていくことが重要で、裁判員制度はそのための制度だと考えたい。

司会の山口さんから「海外からいろんな制度を取り入れるにしても、冤罪を防ぐような『よい制度』を持ってこず、被害者の家族と冤罪の被害者が法廷で争わされることになりかねないのはおかしい、たとえば松本サリン事件の河野さんが被告席に座らされたシーンを想像てほしい」とのコメントがあり、強く印象に残った。

☆この会は、事件報道の問題を中心に、冤罪、少年事件、報道評議会などのテーマを論ずるシンポジウムを年に一度開催してきた。今回はわたくしに刑事訴訟の基礎知識がないせいもあり、かなり難しい内容のシンポジウムだった。
ただ超スピード成立した点は、まるで昨年12月15日成立の「改正」教育基本法に基づき、今年6月20日に成立した教育三法のようだと思った。


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