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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

船に乗りビルを見た中央区散策

2016年11月05日 | 都内散策
10月30日(日)中央区まるごとミュージアム2016というイベントが開催された。今年で9回目だそうだが、わたくしが参加するのはこれが2回目だ。
昨年、月島・晴海周遊ルートのクルーズに乗って気持ちよかったので、今年は日本橋―晴海ルートの船に乗ってみた。

日本橋 欄干には獅子や翼のある麒麟が。
日本橋という地点は日本の道路元標がある基準点であり、かつての日本の中心、東京の中心ということを肌で感じることができた。橋そのものは江戸幕府開府直後の1603年に架けられたものが初代で、現在のものは1911年に架けられた20代目に当たる。翼のある麒麟と東京市のマークを抱く獅子が32匹付いている。
橋を越えた北側には三越本店がある。橋の下流の河岸には関東大震災で築地に移転するまで魚市場があった。逆に橋の南側には国分や野村証券本社、その先には東京証券取引所がある。
橋の南側の船着き場は双十郎河岸という名前がついている。2011年架橋百年記念で船着場が整備されたときに名づけられた。四代坂田藤十郎と十二代市川團十郎の2人の十郎にちなんだ命名だ。

頭上には高速道路
ただ日本橋から箱崎まではずっと頭の上が首都高で景色はもうひとつだった。天気が、雨こそ降らなかったものの曇りだったことや船に乗るには少し寒かったことも影響している。地元の人が、観光のためにはあの高速を撤去しないといけないと訴えるのもムリはないと思った。
クルーズ船は江戸橋、鎧橋、茅場橋、霊岸橋、新川橋を次々にくぐり抜ける。たしかに東京は水路の町だ。かつての舟運はこういうルートを通っていたことを実感できる。亀島川水門から隅田川に出るが、すぐに対岸の月島運河に入る。これは珍しいルートだそうだ。釣り船や屋形船がたくさん係留されていた。左が月島、右は勝どき、埋立時期が1892年と94年2年違うので町名も異なる。

日証館 豪華でレトロな館内
日本橋地区では、たいめい軒の凧の博物館と日証館をみた。日証館は江戸橋と鎧橋の中間あたりの川渕にある1936年建築、6階建てのビルだ。西側には兜町の証券マンがお参りする兜神社が鎮座する。日証館は渋沢栄一の邸跡に建てられた。設計は横河民輔、施工は清水組のしっかりした建物である。内装も写真のように豪華である。これまでに岩崎邸、島津邸など個人の古い建物は見たことがあるが、なかなか残っていない古いオフィスビルを見られてよかった。またこのビルに平和不動産の本社がある。かつて特定銘柄というものがあった時代に真っ先に社名が読み上げられたのがこの会社だった。三菱地所や三井不動産ほど規模は大きくないしどんな不動産会社かと思ったら、東証や大証の家主だそうだ。

銀座一丁目の奥野ビル(旧・銀座アパートメント)
銀座一丁目の奥野ビルに行ってみた。こちらは1932年建築、同潤会アパートを設計した川元良一の設計による。正面からみると立派な7階建てビルだが、戦前は銀座アパートメントと呼ばれたように基本的には集合住宅である。西條八十や五所平之助らも住んだことがある。3階の1室、306号室を見学した。この部屋はかつて秋田出身の須田芳子さんという女性が1980年代まで美容室を開業していて、閉店後は自分の居室にしていた。2009年に100歳で亡くなったが、このビルの最後の住人だったとのこと。なお近所の伊東屋に吉行あぐりの美容室の分室があったので、銀座の美容室として同業で年齢も近いのでおそらく面識もあったのではないかとのこと。
この部屋は現在はNPOで共同プロジェクトをつくり個展などに活用しているそうだ。この日は、美容室であったことにちなみ無料カットをしていた。

306号室は銀座の美容室だった
エレベータも旧式の蛇腹の2枚扉で趣があった。
こういう趣のあるビルをみると、ウディ・アレンの「ハンナとその姉妹」で姉妹がニューヨークの古いビルを建築家とクルマで巡るシーンを思い出す。

この日の最後は銭湯に行った。銭湯に無料で入れるわけではないが、タオルを無料でもらえる「手ぶらで銭湯」というイベントをやっていたからだ。中央区内で営業中の銭湯は9店あるが、この日は勝どき湯へ行った。
勝どき湯は7階建て賃貸マンションの地下1階にある。ビル内銭湯は東京では珍しくないが、地下1階の銭湯はわたしは初めてだ。もっとも地下にプールがある体育館もあるから変わっているわけでもなさそうだ。下駄箱の数は58、ロッカーは36だがカランは16しかない。浴室はずいぶん広く感じるのでぜいたくにつくってあるのだろう。掃除がしやすいということもあるのかもしれない。浴槽は暖と冷のジャグジー付き2槽のみ。サウナ室と立ちシャワー2基がある。すっきりしている。浴槽も浴室も広々しているので心が落ち着く。
番台の女性に聞くと、ビルになったのは14年ほど前だが、銭湯そのものは昭和戦前からの伝統ある店だそうだ。なおジョギングは、近くの隅田川沿いは護岸工事中ということもあるのだろうが、豊洲方向に往復するとのこと。晴海大橋を越えるコースだが、この橋は最高部が海抜24mもあり、自転車でもかなりキツい。これを往復するのだから大変だ。

立ち飲み居酒屋・かねますの行列(写真は8月)
風呂上りといえば一杯飲みたいところだ。月島にはけして安いとはいえないのにいつも行列ができる岸田屋かねます、予約しないとまず入れない肴や味泉がある。しかし残念ながら日曜は3店とも閉店なのであきらめた。月島には月に一度だが平日昼なのに50人くらいの行列になるチーズ店、予約しないと買うのがむずかしいレバカツの店もある。この近辺の人はよほど並ぶのが好きなのだろうか。

意図したわけではないが、この日のイベントでは結局船以外は建物歩きの旅になった。船も日本橋川を進むので、三菱倉庫や聖路加タワー、佃のリバーシティの超高層マンションなどの建物を水上から眺めた。
その他、月島図書館でやっていた「昔、佃に海水館があった」も大正時代の割烹旅館のトピックなので和風2階建ての建物がフューチャーされていた。図書館なので残念ながら写真撮影禁止だった。島崎藤村や小山内薫が逗留したが、もとは霊岸島(現・新川)のうなぎ屋が熱海で3軒目の旅館をつくるつもりだったのが気が変わり佃につくったという面白いエピソードが付いていた。
中央区には歴史的な建造物が多い。昭和初期でいうと和光(1932)、教文館聖書ビル(1933)、山二証券(1936)がある。その他、少数ではあるが商店でもいい建物が残っていることを6月の中央区近代建築物パネル展で知った。機会があれば今後見てみたい。
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