11月3日午後、水道橋の在日本韓国YMCA会館の地下ホールで「憲法公布70年 秋の憲法集会」が開催された(主催 解釈で憲法を壊すな!実行委員会 参加395人)。
「高江―森が泣いている」(DVD)の一部上映、栗田禎子さん(千葉大学教授)「混迷する南スーダン情勢と自衛隊の派兵」、石川健治さん(東京大学教授)立憲主義の破壊と『戦後』の終わり」の2つの講演、そのほかプレ企画として街中芝居「どうなるの?日本国憲法」と2時間あまりの時間に収まりきれない盛りだくさんの企画だった。
それほど広くないホールに参加者はぎっしりで、通路や舞台下だけでなく、舞台上の両側にまで観客が座る大混雑状態だった。自公政権により憲法が危機に瀕しているため、その危機感の表れだと思った。
このなかで、関心が強いのにわたくしが何も知らないに等しい南スーダンに関する栗田さんの講演を中心に紹介する。
混迷する南スーダン情勢と自衛隊の派兵 栗田禎子(よしこ)さん(千葉大学教授)
●南スーダンの独立から5年の情勢
南スーダンは2011年にスーダンから分離独立した。しかし残念なことに2013年12月に大きな武力衝突があり15年8月いったん和平協定が成立した。今年7月ふたたび大統領派と元副大統領派で内戦が起こりいまに至っている。
スーダンは1956年にイギリスから独立したが歪んだ経済構造を引き継いだため権力闘争が発生した。さらにスーダンではアラブ系対非アラブ系という人種問題、イスラム系対非イスラム系という宗教問題がからんだ。しかし本質は中央と地方の経済格差など経済問題である。南スーダンはせっかく独立したのに、皮肉にも独立前と同じこと、すなわち国内でエリート同士の権力闘争をやり始めた。大統領の背後のディンカ族と元副大統領の背後のヌエル族との部族紛争の様相まで帯びてきている。
昨年8月の協定は、周辺諸国、国連、アメリカ、中国などが仲介するかたちで成立した。4つの勢力のうち第一の勢力は政府(いまの大統領派)でSPLM(スーダン人民解放運動)、第2は元副大統領派の武装野党(SPLM-IO SPLM反対派)、そのほか左翼、その他の政党がプレイヤーで、ポストはそれぞれ53%、33%、7%、7%、閣僚(全部で30人)を16、10、2、2と決め重要事項の決定は閣僚の2/3の賛成を必要とすることにした。今年7月に起きたのは大統領派が、これでは主流派だけでは何も決められないと反発し、和平協定を壊すために挑発して発生した戦闘である。
いま起きている内戦は偶発的なものではなくはっきりした権力闘争、政治闘争であり、7月のものは人為的な戦闘である。したがって最終的には首都ジュバで決着がつく性格のものだ。
日本政府はSPLM-IOを認めないが、国際社会では認定された勢力である。いまは停戦合意どころか、和平協定を葬り去るために政府軍が起こした戦闘のさなかにある。日本政府のいうPKO5原則は完全に崩壊していることが明らかだ。
●日本のPKO参加の問題点
南スーダンへの日本のPKO派遣は2011年12月(本隊派遣は12年1月)にスタートした。当時は独立直後で、国境線があいまいなところや石油紛争もあり、北と南の停戦の監視がPKOのミッションだった。ところが13年12月の戦闘以降、国連安保理は何度も決議を出し直しミッションが変化してきた。文民保護が付け加わり、国連PKOが先制的に攻撃してもいい、さらに周辺諸国が4000人規模の部隊を組織し介入するようになった。
しかし日本政府は情勢が大きく悪化しているにもかかわらず、2012年1月の延長としか扱っていない。紛争当事者も紛争の性格も入れ替わった。本来は13年12月の武力衝突のときに引き上げるべきだった。さらに今年7月に新たな戦闘が始まったときに撤収すべきだった。
PKOについて考えてみる。国連がやるPKOなら日本も参加してよいのではないかと考える人もいる。抽象論でなく、日本の場合どのようにしてPKOが始まったか、政治的文脈をみることは重要だ。PKO法(国際平和協力法)の成立は1992年だが、前年91年の湾岸戦争に際し日本は費用は負担したが兵力は出さなかったため、アメリカの強いプレッシャーのもとに成立したのがこの法律だ。いきなり自衛隊を海外に派兵したのでは抵抗が大きいので、国連のPKOに参加するということで国民の批判意識を眠らせた。世界のほかの国は軍隊があり、国益のためでなく国連のための活動をするという方向でPKOを行うが、日本は真逆だ。軍隊を海外へ送る野望のためにPKOを使っているのだから。
●国際社会と南スーダン
2011年にもっとも新しい独立国として希望にみちた南スーダンが悲惨な内戦国になった経緯を考えると、国際社会が南スーダンの石油に着目し、支援やカネが押し寄せ、南スーダン国内に膨らんだ利権をめぐる争いを引き起こした、すなわち国際社会の関与でこじれて現在の悲劇を招いたという側面がある。
じつは南スーダンの独立には、スーダンのバシール政権があまりにもひどいので独立したいという南スーダンの人々の願望だけでなく、アメリカの意向があった。アメリカは中東の次はアフリカだと考え、南北スーダンの紛争に介入しアメリカのイニシアティブで解決して地歩を占めようという思惑が働いた。
スーダンや南スーダンは、ソマリア、エリトリアなどアフリカの角(つの)の付け根の位置にある。またウガンダ、ケニア、タンザニアなど大湖水地帯に入るうえでも重要な位置にある。南スーダンは石油やレアメタルがあるだけでなく、地政学的にも重要なのだ。
また日本は、2011年に自衛隊初の海外基地をジブチに開設したが、海賊対策や南スーダンPKOと連動して東アフリカに野心を抱いている。そしてアメリカの補完勢力になろうとしている。
かつて19世紀にイギリス、フランス、ドイツ、イタリアなどがアフリカを分割したが、いまアメリカ、EU、中国などがふたたび同じことを繰り返そうとしている。象徴的な事件として1898年ファショダ事件が起こった。エジプトから南下し縦断作戦をしたイギリス軍とセネガルから東に向かい横断作戦をしたフランス軍があわや衝突、世界戦争になりかけた事件だ。このファショダ(現在の地名はコドク)は南スーダンにある。この南スーダンでいま自衛隊が活動する意味も考えてみたい。
●銃弾はだれを撃ち抜くことになるか
駆けつけ警護をした場合、誰かを殺すことになる。大統領派か元副大統領派かはわからないが地元の南スーダン人だ。だが政府はあまり気にしているようにみえない。また自衛隊員が死傷することになるかもしれない。これも国会で「尊い犠牲に弔意」を示し哀悼の意を示して終わりではないか。では自衛隊員を南スーダンに送り込んで、政府は何を目指しているのかといえばそれは憲法9条を打ち倒すことではないか。一発の銃弾が、海外で武器使用をした実績になる。PKOが突破口となり、世界の各地で武力行使するようになる。
国民の抵抗感を打ち消していく。
青森の自衛隊員は公開できない訓練をさせられている。そういう事態を見過ごしている国民の心はすでに死んでいる。もはや自衛隊員だけの問題ではなくなる。近い将来、国民が軍隊に協力させられる社会になる。ファショダ事件を引き起こしたイギリス軍の司令官キッチナーは第一次世界大戦のときには陸軍大臣になっていた。そして自分の顔を入れ人差し指を付き出し「祖国は君を必要としている」という募兵ポスターをつくった。
立憲主義の破壊と『戦後』の終わり 石川健治さん(東京大学教授)
石川さんは1962年生まれ。篠原一のゼミに所属していたが、恩師から「君は憲法に向いている」といわれ樋口陽一のもとで憲法学の研究者となった。この日は、戦後の終わり、立憲主義と平和主義との関係、ユートピア主義とリアリズムという3つのトピックを語り、最後は「現実主義からの批判にへこたれず平和主義を維持してほしい。それが戦後の終わりを少しでも遠くするための重要なポイントになる」と締めくくった。このなかの「戦後の終わり」のみ少し詳しく紹介する。
法的安定性とは、悪法であっても維持することに固有の意味があるという議論だ。いったん決めたことは動かさない。そこで為政者が縛られ、民衆や末端の公務員(たとえば自衛隊員)が守られる。法的安定性を動かして得するのは為政者である。2014年7月の閣議決定で憲法を変更した事態はきわめて深刻だ。
正式な手続きを踏まず憲法を変更することは可能か。憲法内在的にはでてこないが、下からの革命や上からのクーデターという方法で法的安定性を動かせる。2013年に96条改正論議があった。これは政治家が国民に96条を壊す「革命」をそそのかす破壊行為だった。うまくいかないとみるときびすを返して閣議決定した。2015年7月の閣議決定は法的なクーデターといえる。ここには安倍政権の憲法に対する一貫した姿勢が浮かび上がる。
革命やクーデターで成立した法律もいずれ守らなければいけなくなる。そのときがおそらく革命・クーデターの成功のときだ。夏の参議院選挙で大きく成功に近づいたのが現状だ。違憲訴訟で最高裁が合憲とすれば、クーデター完成ということになる。そのときが戦後の終わりだ。
●「高江―森が泣いている」(監督:藤本幸久、影山あさ子 森の映画社 2016 64分)の一部が上映された。参議院選直後の7月22日早朝、全国から集められた機動隊員は市民を強制排除して、工事を強行した。無理やり排除する様子、手を怪我して血を流す人の姿が映し出された。同じ日本とは思えない暴力行為の連続だった。特殊車両のナンバーから北海道、名古屋など本当に全国から車ごと移動してきたことがわかる。市民に「土人」「シナ人」と罵ってもけして不思議ではない雰囲気を感じた。9月にみた非戦を選ぶ演劇人の会の「すべての国が戦争を放棄する日」では、最後に機動隊員が制服を脱いで市民の隊列に加わったが、そんなことは起こりようがない。
もちろん機動隊と自衛隊とは違う。3年前に元自衛官の講演で聞いた話だが「警察の目的は犯人を確保することだが、自衛隊は抹殺すること」だそうだ。機動隊員は「排除」ですむが、これが自衛隊員なら相手を殺していたかもしれない。
●プレ企画 街中芝居「どうなるの?日本国憲法」は、時代に合わせて憲法を変えるべき、アメリカの押し付けでつくられた憲法を日本人の手でつくり直す、緊急事態条項など憲法改正の論点にひとつずつわかりやすく反駁し、自民党の意図や国民投票の問題点を6分あまりで伝えるものだった。
2008年の非戦を選ぶ演劇人の会「9条は守りたいのに口ベタなあなたへ…」を実際に路上でやるとこんな感じかと思わせた。そういえば10年ほど前、千歳烏山の駅前で路上演劇に参加したことがあった。
「高江―森が泣いている」(DVD)の一部上映、栗田禎子さん(千葉大学教授)「混迷する南スーダン情勢と自衛隊の派兵」、石川健治さん(東京大学教授)立憲主義の破壊と『戦後』の終わり」の2つの講演、そのほかプレ企画として街中芝居「どうなるの?日本国憲法」と2時間あまりの時間に収まりきれない盛りだくさんの企画だった。
それほど広くないホールに参加者はぎっしりで、通路や舞台下だけでなく、舞台上の両側にまで観客が座る大混雑状態だった。自公政権により憲法が危機に瀕しているため、その危機感の表れだと思った。
このなかで、関心が強いのにわたくしが何も知らないに等しい南スーダンに関する栗田さんの講演を中心に紹介する。
混迷する南スーダン情勢と自衛隊の派兵 栗田禎子(よしこ)さん(千葉大学教授)
●南スーダンの独立から5年の情勢
南スーダンは2011年にスーダンから分離独立した。しかし残念なことに2013年12月に大きな武力衝突があり15年8月いったん和平協定が成立した。今年7月ふたたび大統領派と元副大統領派で内戦が起こりいまに至っている。
スーダンは1956年にイギリスから独立したが歪んだ経済構造を引き継いだため権力闘争が発生した。さらにスーダンではアラブ系対非アラブ系という人種問題、イスラム系対非イスラム系という宗教問題がからんだ。しかし本質は中央と地方の経済格差など経済問題である。南スーダンはせっかく独立したのに、皮肉にも独立前と同じこと、すなわち国内でエリート同士の権力闘争をやり始めた。大統領の背後のディンカ族と元副大統領の背後のヌエル族との部族紛争の様相まで帯びてきている。
昨年8月の協定は、周辺諸国、国連、アメリカ、中国などが仲介するかたちで成立した。4つの勢力のうち第一の勢力は政府(いまの大統領派)でSPLM(スーダン人民解放運動)、第2は元副大統領派の武装野党(SPLM-IO SPLM反対派)、そのほか左翼、その他の政党がプレイヤーで、ポストはそれぞれ53%、33%、7%、7%、閣僚(全部で30人)を16、10、2、2と決め重要事項の決定は閣僚の2/3の賛成を必要とすることにした。今年7月に起きたのは大統領派が、これでは主流派だけでは何も決められないと反発し、和平協定を壊すために挑発して発生した戦闘である。
いま起きている内戦は偶発的なものではなくはっきりした権力闘争、政治闘争であり、7月のものは人為的な戦闘である。したがって最終的には首都ジュバで決着がつく性格のものだ。
日本政府はSPLM-IOを認めないが、国際社会では認定された勢力である。いまは停戦合意どころか、和平協定を葬り去るために政府軍が起こした戦闘のさなかにある。日本政府のいうPKO5原則は完全に崩壊していることが明らかだ。
●日本のPKO参加の問題点
南スーダンへの日本のPKO派遣は2011年12月(本隊派遣は12年1月)にスタートした。当時は独立直後で、国境線があいまいなところや石油紛争もあり、北と南の停戦の監視がPKOのミッションだった。ところが13年12月の戦闘以降、国連安保理は何度も決議を出し直しミッションが変化してきた。文民保護が付け加わり、国連PKOが先制的に攻撃してもいい、さらに周辺諸国が4000人規模の部隊を組織し介入するようになった。
しかし日本政府は情勢が大きく悪化しているにもかかわらず、2012年1月の延長としか扱っていない。紛争当事者も紛争の性格も入れ替わった。本来は13年12月の武力衝突のときに引き上げるべきだった。さらに今年7月に新たな戦闘が始まったときに撤収すべきだった。
PKOについて考えてみる。国連がやるPKOなら日本も参加してよいのではないかと考える人もいる。抽象論でなく、日本の場合どのようにしてPKOが始まったか、政治的文脈をみることは重要だ。PKO法(国際平和協力法)の成立は1992年だが、前年91年の湾岸戦争に際し日本は費用は負担したが兵力は出さなかったため、アメリカの強いプレッシャーのもとに成立したのがこの法律だ。いきなり自衛隊を海外に派兵したのでは抵抗が大きいので、国連のPKOに参加するということで国民の批判意識を眠らせた。世界のほかの国は軍隊があり、国益のためでなく国連のための活動をするという方向でPKOを行うが、日本は真逆だ。軍隊を海外へ送る野望のためにPKOを使っているのだから。
●国際社会と南スーダン
2011年にもっとも新しい独立国として希望にみちた南スーダンが悲惨な内戦国になった経緯を考えると、国際社会が南スーダンの石油に着目し、支援やカネが押し寄せ、南スーダン国内に膨らんだ利権をめぐる争いを引き起こした、すなわち国際社会の関与でこじれて現在の悲劇を招いたという側面がある。
じつは南スーダンの独立には、スーダンのバシール政権があまりにもひどいので独立したいという南スーダンの人々の願望だけでなく、アメリカの意向があった。アメリカは中東の次はアフリカだと考え、南北スーダンの紛争に介入しアメリカのイニシアティブで解決して地歩を占めようという思惑が働いた。
スーダンや南スーダンは、ソマリア、エリトリアなどアフリカの角(つの)の付け根の位置にある。またウガンダ、ケニア、タンザニアなど大湖水地帯に入るうえでも重要な位置にある。南スーダンは石油やレアメタルがあるだけでなく、地政学的にも重要なのだ。
また日本は、2011年に自衛隊初の海外基地をジブチに開設したが、海賊対策や南スーダンPKOと連動して東アフリカに野心を抱いている。そしてアメリカの補完勢力になろうとしている。
かつて19世紀にイギリス、フランス、ドイツ、イタリアなどがアフリカを分割したが、いまアメリカ、EU、中国などがふたたび同じことを繰り返そうとしている。象徴的な事件として1898年ファショダ事件が起こった。エジプトから南下し縦断作戦をしたイギリス軍とセネガルから東に向かい横断作戦をしたフランス軍があわや衝突、世界戦争になりかけた事件だ。このファショダ(現在の地名はコドク)は南スーダンにある。この南スーダンでいま自衛隊が活動する意味も考えてみたい。
●銃弾はだれを撃ち抜くことになるか
駆けつけ警護をした場合、誰かを殺すことになる。大統領派か元副大統領派かはわからないが地元の南スーダン人だ。だが政府はあまり気にしているようにみえない。また自衛隊員が死傷することになるかもしれない。これも国会で「尊い犠牲に弔意」を示し哀悼の意を示して終わりではないか。では自衛隊員を南スーダンに送り込んで、政府は何を目指しているのかといえばそれは憲法9条を打ち倒すことではないか。一発の銃弾が、海外で武器使用をした実績になる。PKOが突破口となり、世界の各地で武力行使するようになる。
国民の抵抗感を打ち消していく。
青森の自衛隊員は公開できない訓練をさせられている。そういう事態を見過ごしている国民の心はすでに死んでいる。もはや自衛隊員だけの問題ではなくなる。近い将来、国民が軍隊に協力させられる社会になる。ファショダ事件を引き起こしたイギリス軍の司令官キッチナーは第一次世界大戦のときには陸軍大臣になっていた。そして自分の顔を入れ人差し指を付き出し「祖国は君を必要としている」という募兵ポスターをつくった。
立憲主義の破壊と『戦後』の終わり 石川健治さん(東京大学教授)
石川さんは1962年生まれ。篠原一のゼミに所属していたが、恩師から「君は憲法に向いている」といわれ樋口陽一のもとで憲法学の研究者となった。この日は、戦後の終わり、立憲主義と平和主義との関係、ユートピア主義とリアリズムという3つのトピックを語り、最後は「現実主義からの批判にへこたれず平和主義を維持してほしい。それが戦後の終わりを少しでも遠くするための重要なポイントになる」と締めくくった。このなかの「戦後の終わり」のみ少し詳しく紹介する。
法的安定性とは、悪法であっても維持することに固有の意味があるという議論だ。いったん決めたことは動かさない。そこで為政者が縛られ、民衆や末端の公務員(たとえば自衛隊員)が守られる。法的安定性を動かして得するのは為政者である。2014年7月の閣議決定で憲法を変更した事態はきわめて深刻だ。
正式な手続きを踏まず憲法を変更することは可能か。憲法内在的にはでてこないが、下からの革命や上からのクーデターという方法で法的安定性を動かせる。2013年に96条改正論議があった。これは政治家が国民に96条を壊す「革命」をそそのかす破壊行為だった。うまくいかないとみるときびすを返して閣議決定した。2015年7月の閣議決定は法的なクーデターといえる。ここには安倍政権の憲法に対する一貫した姿勢が浮かび上がる。
革命やクーデターで成立した法律もいずれ守らなければいけなくなる。そのときがおそらく革命・クーデターの成功のときだ。夏の参議院選挙で大きく成功に近づいたのが現状だ。違憲訴訟で最高裁が合憲とすれば、クーデター完成ということになる。そのときが戦後の終わりだ。
●「高江―森が泣いている」(監督:藤本幸久、影山あさ子 森の映画社 2016 64分)の一部が上映された。参議院選直後の7月22日早朝、全国から集められた機動隊員は市民を強制排除して、工事を強行した。無理やり排除する様子、手を怪我して血を流す人の姿が映し出された。同じ日本とは思えない暴力行為の連続だった。特殊車両のナンバーから北海道、名古屋など本当に全国から車ごと移動してきたことがわかる。市民に「土人」「シナ人」と罵ってもけして不思議ではない雰囲気を感じた。9月にみた非戦を選ぶ演劇人の会の「すべての国が戦争を放棄する日」では、最後に機動隊員が制服を脱いで市民の隊列に加わったが、そんなことは起こりようがない。
もちろん機動隊と自衛隊とは違う。3年前に元自衛官の講演で聞いた話だが「警察の目的は犯人を確保することだが、自衛隊は抹殺すること」だそうだ。機動隊員は「排除」ですむが、これが自衛隊員なら相手を殺していたかもしれない。
●プレ企画 街中芝居「どうなるの?日本国憲法」は、時代に合わせて憲法を変えるべき、アメリカの押し付けでつくられた憲法を日本人の手でつくり直す、緊急事態条項など憲法改正の論点にひとつずつわかりやすく反駁し、自民党の意図や国民投票の問題点を6分あまりで伝えるものだった。
2008年の非戦を選ぶ演劇人の会「9条は守りたいのに口ベタなあなたへ…」を実際に路上でやるとこんな感じかと思わせた。そういえば10年ほど前、千歳烏山の駅前で路上演劇に参加したことがあった。