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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

「傾城阿波の鳴門」と「冥途の飛脚」

2012年09月27日 | 観劇など
2度目の文楽を国立劇場でみた。9/8(土)初日16時の回だった。やはりほぼ満席だった。この日の演目は「傾城阿波の鳴門」と「冥途の飛脚」。前回、2月のときは菅原伝授手習鑑の「寺入り」と「寺子屋」そして「日本振袖始」だった。途方もなく荒唐無稽なお話だった。
それで文楽というのはそういうものかと思った。「傾城阿波の鳴門」はやはりこの路線だった。

「ム、シテその親達の名は何と云う」「アイ、父様(ととさま)の名は十郎兵衛、母様(かかさま)はお弓と申します」。この部分だけは子どものころから知っている。

徳島藩のお家騒動に絡んで、阿波の十郎兵衛・お弓の夫婦は主君の盗まれた刀を詮議するため大阪玉造に盗賊銀十郎と名を変え住んでいる。そこへ巡礼姿の娘お鶴がはるばる徳島から父母を尋ねて来る。お弓は我が子と分かるが、そこで親子の名乗りをしたのでは、我が子にどんな災いが来るとも限らない。お弓は涙を飲んで別れる。名残惜しげに見送るのだが、ここで別れては今度いつ会えるか分からぬと追いかける。ここまでが順礼歌の段。十郎兵衛住家の段では、お弓と別れたあと、十郎兵衛はお鶴と出会う。我が娘とは知らない十郎兵衛は、金欲しさに我が子に手をかけ殺してしまう。(このあらすじはこのサイトから引用)。実の子を絞殺したことはすぐ女房にばれる。2人で嘆き悲しんでいるところに捕っ手が大勢現れる。十郎兵衛は一人でバッタバッタと切り殺す。娘の遺体に障子を重ねたいまつで火をかけたところで幕となる。
「冥途の飛脚」はまったく異なり心中ものである。

大和新口(にのくち)村の百姓孫右衛門の子忠兵衛は,訳あって大坂の飛脚宿亀屋の養子となり,商才を発揮していた。しかし新町槌屋の遊女梅川になじみ遊興費にも事欠く有様。その梅川に身請け話が持ち上がり忠兵衛は向うを張って梅川を請け出そうとする。金に困った忠兵衛は友人丹波屋八右衛門のもとに届けられた為替金五十両を着服,手付けに当てる。事情を知った八右衛門は忠兵衛の行く末を案じ廓に行って一切を語り彼を寄せつけぬようにと頼む。それを立ち聞きした忠兵衛は立腹し,男の面目を立て梅川の無念を晴らそうと懐中していたお屋敷の為替金三百両の封を切って八右衛門にたたきつけ梅川を請け出して新口村に落ちて行く。2人は孫右衛門によそながら別れを告げて逃げ延びようとする。(世界大百科事典平凡社)
しかし新口村にはすでに追手の手が回っているようだ。忠兵衛が笠を上げたところで幕となる。(あらすじはこのサイトより)

この作品は何がよいのかよくわからなかった。現金輸送車の会社(あるいは担当者)が強盗をしたのでは話にならない。カネがなくなっているのだからすぐバレるに決まっている。江戸時代でも土地財産は没収、主人は引回しのうえ即刻獄門、死刑だった。刑場は千日前にあった。
心中なので「道行」が見せ場のはずだが、この芝居は死の場面までいきつかない。しかし道行は次のような凝った名文で始まる。
 翠帳紅閨(すいちょう こうけい)に 枕並べし閨(ねや)の内
 馴れし衾(ふすま)の夜すがらも 四つ門の跡夢もなし さるにても我が夫(つま)
 秋より先に必ずと あだし情の世を頼み 人を頼みの綱切れて
 夜半の中戸も引き替へて 人目の関にせかれ行く

今回の席は前から4列目の左端だった。前回の反省に立ち今回はオペラグラスを持参した。しかしこれだけ前なので人形はよく見える。三味線を弾く女郎の人形の棹の上の指までよく見えた。ただ字幕は見上げないと読めない。床本(ゆかほん)集があるから見なくてよいといえばよいのだが・・・。
イヤホンガイドはセリフや人形の解説のほかにいろんなことを教えてくれる。「東西、東西」という掛ことばは「皆さま方、お静かに」という意味で、引き続き大夫と三味線、人形遣を紹介する。また当時の三大遊郭は江戸の吉原、京都の島原、大阪の新町で新町はいまの四ツ橋交差点の北のほうにあった。また花車(かしゃ)とは女将のこと、禿(かむろ)は女郎たちの世話をする10歳くらいの女の子のことだそうだ。

2月のときより女性客の比率が高く9割くらいだった。女性が多かったのは「傾城阿波の鳴門」と心中ものという出し物のせいだったからか。あるいは、大劇場で藤蔭静枝リサイタル・ふじかげ会という日本舞踊のリサイタルがあったせいかもしれない。女性で和服姿の人が多いのは当然だが、男性も結構和服の人がいた。

昼間、国立劇場にくることはめったにない。夜は軒先の赤いちょうちんが印象的だが、昼は前面の緑が美しい。
大阪の橋下徹市長は2回目の文楽鑑賞で補助金中止を決断したそうだ。1度目は2009年初めて文楽を鑑賞した際「二度と観に行かない」と酷評し補助金を削減した。2度目は今年7月26日の夜、国立文楽劇場で「曽根崎心中」を鑑賞した。橋下市長は「古典として守るべき芸だと分かったが、新規のファンを広げるためには台本が古すぎる」と現代風に演出をアレンジするなどの工夫を求めたという。
国立文楽劇場は2年に一度研修生を募集する。今年の応募者はゼロだったそうだ。毎回7-8人応募があり、前回は15人だった。市長の任期はまだ4年近くあるので、きっと文楽の伝統は500年で途絶するだろう。また大阪国際児童文学館を廃止し、オーケストラや吹奏楽団の補助金もカットしているので、大阪には吉本と落語以外の芸能は残らないと思う。
あとで後悔しないように、こんな市長にはさっさと退陣してもらったほうがよいと思う。
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