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教科書展示会でみた扶桑社・自由社の歴史教科書

2009年06月23日 | 日記
練馬区総合教育センターで教科書展示会をみた。
教科書展示会は「教科書の発行に関する臨時措置法」第5条で「都道府県の教育委員会は、毎年、文部科学大臣の指示する時期に、教科書展示会を開かなければならない」と定められている。文科省のHP「教科書採択の方法」によれば、学校の校長及び教員、採択関係者の調査・研究のため毎年、6月から7月にかけて一定期間、教科書展示会を行っており、この展示会は、各都道府県が学校の教員や住民の教科書研究のために設置している教科書の常設展示場(教科書センター)等で行われている。なお教科書センターは1956年から設置されており、2007年1月現在、全国に839(採択地区数は591)、そのうち東京には35(採択地区数は54)ある。

中学歴史教科書では、教育出版、東京書籍、帝国書院、扶桑社、自由社、日本文教出版(旧・大阪書籍とあわせ2種)の7種類が展示されていた(このほか日本書籍新社、清水書院があるはず)。
日露戦争の単元で紙面を比較してみた。まず、扶桑社と自由社はみるからによく似ている。というのも図版と写真がほぼ同一で配置もほぼ同様だからだ。3pのなかに写真が3点、図が2点、コラムが2つ(そのなかに写真が2点)ある。「開戦前の日露両軍の戦力配置」の図は歩兵、騎兵、火砲などのマークの形を変え、色を変更(扶桑社は紫、自由社は褐色と青)しただけだ。ポーツマス講和会議の写真は、自由社はやや横長という点が異なる。「日露戦後の日本の領土と権益」の図も共通、日比谷の焼打ちの絵が扶桑社はモノクロ、自由社はカラー(江戸東京博物館所蔵)、コラムの「日英同盟の利点(小村意見書から)」は共通で、コラム内の写真2点のうち小村寿太郎の写真は扶桑社は顔だけ、自由社はバストアップ、もう1点が、扶桑社は「日英同盟の更新を記念する絵はがき」の写真、自由社は「日露の軍艦の実力を比べる」という新聞記事であることが異なるだけである。写真がまったく違うのは扶桑社はボクシングの風刺画、扶桑社は戦艦三笠(横須賀港)を入れていることぐらいである。5つある注まで同じだ。
3つある小見出し(「日英同盟」「日露開戦と戦いのゆくえ」「世界を変えた日本の勝利」)も本文も、ざっと見比べた範囲では同じだった。
4ページ目には両社ともごていねいに「日本海海戦」の1pコラムを掲載している。コラムのタイトルを、扶桑社は「歴史の名場面」、自由社は「その日歴史は」と異なるだけで、連合艦隊の指揮を取る東郷平八郎(三笠保存会)の絵もほぼ同じ大きさで、海戦史の教科書にみえる。「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊はただちに出動、これを撃滅せんとす」「本日、天気晴朗なれども波高し」という電文まで記載している。まるで靖国神社「遊就館」の日露戦争の展示のような教科書である。

本文だけでなくレイアウトもそっくり 上・自由社、下・扶桑社
一方、東京書籍は、「占領後の旅順港」の写真、与謝野晶子とビゴーの風刺画、増税に泣く国民の絵、日清・日露の死者と軍費の比較グラフを掲載している。「占領後の旅順港」の写真には「写っているのはどこの国の人たちかな」「旅順の占領にはどんな意味があったのかな」という吹き出しが付いている。小見出しは義和団事件と日露戦争の2つである。
帝国書院は、ボクシングの風刺画、地図、兵士の体験記(義務教育による識字能力の向上を示す)、増税に泣く国民の絵、条約改正の経緯の年表、日露戦争の軍事費の調達先(イギリスからの借金が40%)、列強の関係図、コラムで開戦論(東大七博士)と内村鑑三の非戦論を対比させている。「やってみよう」という課題に、「日露戦争を支持した理由と反対した理由をできるだけ挙げてみよう」とある。
教育出版は、日清日露戦争の動員兵力・死者・戦費の比較グラフ、旅順を攻撃する日本軍の絵(ミラノ市ベルタレッソ印刷博物館蔵 「この戦争の戦場はおもにどこだったのかな」という説明が付いている)、日露戦争での日本軍の進路の地図、ポーツマス条約調印式の写真、与謝野晶子の写真が掲載されている。小見出しは、日露戦争のはじまり、戦局の推移、日露講和と国際的影響の3つである。
東京書籍の本文には幸徳秋水や内村鑑三が登場する。一方帝国書院には与謝野晶子が登場する。写真と本文で補完するかたちになっている。
細かいところだが、東京書籍、帝国書院、教育出版等の大陸の地図は、戦場がロシアではなく中国、朝鮮であったことを示すものだ。一方、扶桑社、自由社は、日本軍は韓国のソウル近辺だけ、一方ロシアは東清鉄道沿線や旅順、北京に義和団事件後も軍隊を置いていたこと示す日露両軍の戦力配置図である。日本軍が圧倒的に劣勢だったことを示す地図で、掲載意図がまったく異なる。
教科用図書(教科書)は「学習指導要領」に基づいてつくられるので、大筋を変えることはできない。ただ、ふつうの教科書を使えば、生徒は海外派兵や戦争と市民の問題に関心の目を向ける可能性がある。ところが扶桑社、自由社の教科書は、「東郷平八郎司令長官の指揮のもと、兵員の高い士気とたくみな戦術でバルチック艦隊を全滅させ、世界の海戦史に残る驚異的な勝利を収めた」「日露戦争は日本の生き残りをかけた戦争だった。日本はこれに勝利して、自国の安全保障を確立した。近代国家として生まれてまもない有色人種の国日本が、当時世界最大の陸軍大国だった白人帝国ロシアに勝ったことは、植民地にされていた民族に、独立の希望を与えた。しかし、他方で、黄色人種が将来、白色人種をおびやかすことを警戒する黄禍論が欧米に広がるきっかけにもなった」と自画自賛、戦争賛美、欧米との対立をあおる本文になっている。生徒は何も考えず「日本軍の戦勝」を賛美することを意図した編集方針である。

自由社が唯一扶桑社版を全面改定したというページだというので「明治の文化」の単元をみてみた。「大学と科学研究」「新しい日本の文学」「芸術の動き」という3つの小見出しは同じである。ただ自由社は「女性の活躍」を追加しているのと「芸術の動き」を「西洋と東洋の美の出会い」に名称を変えているところが違う。自由社のほうが改善されているのは確かだ。しかし本文は扶桑社のほうが格調が高い。たとえば「文学」の書き出しは、自由社は「西洋の思想や言葉の大量流入、四民平等・・・」なのに対し、扶桑社は「日本の新しい文学の出発点となったのは、坪内逍遥の『小説神髄』で、それまでの道徳的な内容からはなれて、写実を重んじることを主張した」である。

☆名簿が置いてあり、この5日間に中学校教科書の部屋を訪れた人は7人、一般が2人、中学教員は5人だった(小学校教科書の採択は1年前に終了し部屋も別室)。なお千代田区教科書センターでは、小中高すべて同じ部屋に置いてあった。
総合教育センターの建物は鉄筋4階建てだがかなり古くみえた。校庭に当たるところは狭かったので、小規模小学校かと思ったが、係りの人に聞いてみると、区立の結婚式場(練馬福祉会館グリーンプラザ)だったとのことである。
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