東京芸大では、12月から2月初めにかけて美術学部の卒業・修了作品展、音楽学部の卒業試験・学位審査会公開演奏会が行われる。公開なのでもちろん一般の人も鑑賞できる。
昨年初めて美術学部作品展を見に行った。今年は音楽学部演奏会も聴きに行った。なお音楽学部のホール内撮影はいっさい禁止だったが、美術学部のほうは原則OKだったので、写真は作品展のものを多く掲載した。
公開演奏は、ほとんどは(新)奏楽堂で行われるが、一部4号館の第6ホールで聴いた。
まず年明けの1月6日声楽の午前の一部、ソプラノ2人、アルト、テノール、バスが各1人を聞いた。これは声楽科のパート比率にだいたい一致しているようだ。器楽の場合、楽器の良しあしはあまり問題にならないが、声楽は自分の体そのものが楽器なので、声量や音色の違いが生まれる。さらに器楽と同様表現方法、技術の違いもあるので、聞くうえで多くののポイントがあることがわかった。わたしには新たな発見だった。
なお声量が大きいと、弱い音も客席まで届くので細部の表現までよく聞こえ、音楽を豊かに伝えられることがわかった。
リートを1曲、オペラの曲を1曲、合計2曲という選曲になっているようだった。オペラは芝居のなかの曲なので、歌詞はセリフの一種であり、物語全体の一ピースでもある。そもそも歌詞の位置づけがリートとオペラでは違うことがわかった。また役になりきるとか、身振り手振りといった演技力もおおいに関係する。したがって、この人はどうやらオペラ向きの人、オペラのほうが得意そうな人という「向き不向き」もありそうなことがわかった。
またプログラムで「指揮」があるのを見つけ、9日に聞いた。どんなことをするのか興味津々だったが、観客からすると普通のオーケストラのコンサートを聞くようなものだった。ここで一番驚いたのは藝大フィルハーモニアの演奏だった。てっきり学生オーケストラだと思ったのだが、人に聞くと、立派なプロのオケでオーディションもあるそうだ。
とてもバランスのよいオケだった。一人ひとりの技量が高いうえに、パートごとのまとまりが大変よく、すばらしいオケだと思った。しいて似たタイプのオケを挙げれば、サイトウ・キネン・オケだろうか。
ぜひもう一度聞きたいと、16日のマスターの学位審査会公開演奏の指揮者の部も聞いた。演目はストラヴィンスキーの「火の鳥」(1919年版)だった。もっときらびやかな演奏のほうがよいかとも思ったが、たぶん指揮者が熱狂タイプでなく、学究タイプの方だったのではないかと思う。なお、シロフォン、タンバリンなども含めパーカッションの演奏に感心した。本来は指揮に注目すべきなのだが、どうしてもオケの演奏に聞き入ってしまった。今回学部も含め3人の指揮をみたが、それぞれ個性が違うことがよくわかった。
芸大フィル定期演奏会のほか、毎月奏楽堂モーニング・コンサートで2曲ずつソリストを加えた演奏会があるそうだ。今回の卒業試験公開演奏会のように「教育」のためのオケという側面もあるようだ。機会があればまた聴きに行きたい。
その他、12月上旬だったがピアノ3人(モーツァルト、シューマンなど)とサックス4人(イベール、トマジなど)の演奏を聞いた。あまり多いとコンクールを聞くような比較の仕方をしてしまうので反省した。
廻転する不在
さて掉尾を飾り、一番楽しかったのは1月30日に美術と音楽の両方を見聞きできたことだった。昨年卒展のデザイン学科の作品をみて「綺麗な会話のキャッチボール」といった日常会話や「ねばねば、ぱりぱり」といった食感を可視化できるよう変換した作品、観客が単語を任意に選び想起される地名の地図をプリントアウトし、観客が地図を切り抜き解説文を付けて掲示する観客参加型の作品など、たいへん刺激的な体験をした。
今年は総合工房棟屋外に、自転車20台近くを空中につなげた作品(東弘一郞「廻転する不在」・先端美術)が展示され、いちばん前の高い自転車に乗り、ペダルを踏む作者の姿はまさに空中ブランコ男で、オッと驚いた。
ナラティブブック秋田は「患者さんの情報は患者さん自身のもの」「その患者さんだけの物語」というコンセプトで、病院システムのロゴマークに始まり、リーフ、パンフ、さらにブックまでデザインをシステム的に展開していた。昨年も佐賀大学医学部付属病院と「働く想い」「心に残った仕事の体験」を顕在化し組織の強化につなげる共同デザイン研究作品が出展されていたので、伝統になっているようだった。
1945年の広島の原爆被爆時のモノローグとイラスト画と現在の映像の「Intimate Moments/Monologue」という作品があった。広島出身あるいは深い縁のある学生の作品かと思ったら
シクスティ・パルク・カキンダさんというアフリカ出身の方の作品だった。グローバルアートプラクティス科(GAP)という院だけの学科で、海外からの学生が半分くらいの科だそうだ。先端芸術表現と何が違うのか聞くと、ロンドンとパリにユニットがあり、共同プロジェクトを進めているのが特色だそうだ。本拠地は取手のようだが、たしかにこの大学で外国人の姿をよくみかけた。
「机」と「いす」 Typecollage
今年気がついたいくつかの特徴を紹介する。
文字を多用したり、物語になった作品をいくつも目にした。油画ですら、大きなキャンバスの裏に「バスの中で流れていく風景をドローイングする」と始まり、タブローが完成するまでのプロセスを文字で記述した作品をみた。工芸でも金属箔を巻物の文に見立て筆で文字を書いた作品をみた。「机」「棚」という漢字、「いす」というひらがな、「テープ」というカナを切り抜いた木製の立体作品「タイプコラージュ」もあった。漱石の「夢十夜」のそれぞれを江戸時代の「雛型本」という見本帳に出ているさまざまな書体を利用し表現した作品があった。
また文字をさらに発展させ物語にした作品もあった。唐櫃(かろうと)由来譚という民話のようなテーマで絵と写真と木製棺桶があり、さらに由来譚を巧みなデザインで記述した作品もあった。
とくに学部で気がついたのは、ほのぼのした作品、ユーモアを感じる作品、ちょっと楽しくなる作品が多くあり、マスターよりかえって古いというか懐かしい感じの作品がいくつも見られたことだ。たとえば「福々来たり」という幼女のお祭りのような300号の作品、「絵を描かなくなった大人が絵を描く愉しさを見出すための道具」という「はんこ」でつくられた「愉しむ手」、「南田是造」(なんだこれぞう)という架空のヒーローの半生を語る「南田記念博物館」、映像でみせる「イケメンすぎるゴリラ」などである。
>
この日、音楽学部のほうはオペラ科修士課程学位審査の「ニュルンベルグのマイスタージンガー」のザックス、「ナクソス島のアリアドネ」のツェルビネッタ、「ファウスト」のマルグリートの3つを聴いた。学部とは、大道具・小道具付き、衣装もまとい相手役もいるのが違う。ほぼオペラの舞台そのものだがオケの代わりにピアノ1台という点だけが異なる。
フルートとサックスも1人ずつ聞くことができた。フルートのバッハのソナタははチェンバロ伴奏だった。チェンバロの演奏を生で聴くのは初めてだと思う。ピアノより少し小型で音量のダイナミクスはないが、これはこれで上品でよいように感じた。
一日でこれだけ見たり聴いたりすると楽しいが、かなり疲れた。デザイン、GAP、先端芸術表現に集中してみたので、文化財保存学はパス、油画、日本画、彫刻、建築もほとんどパスだった。なお昼食は時間を急いていたせいもあり、音楽学部の食堂で盛合せ定食を食べた。大浦食堂とほぼ同じ価格帯、メニューかと思ったが、メニューは大浦食堂のほうが豊富だった。ただ雰囲気は音楽学部のほうが上品だと感じた(たんなる気のせいかもしれないが)。
たまたま1月に2つのアマオケのコンサートを聞いた。ひとつは18日のJR東日本交響楽団第28回定期演奏会(小泉智彦指揮 ミューザ川崎シンフォニーホール)
プログラムはサン=サーンス/交響詩「死の舞踏」、ラフマニノフ/「パガニーニの主題による狂詩曲」(ピアノ:中野孝紀)、チャイコフスキー/交響曲 第6番 ロ短調「悲愴」でアンコールがチャイコフスキー/「くるみ割り人形」より「パ・ド・ドゥ」だった。
はじめて聞いたがバランスのよいオケだった。なお「死の舞踏」はじめ、コンマスの男性がきわだって上手だった。
もうひとつは26日の高田馬場管弦楽団第95回定期演奏会(阿部未来指揮 ティアラこうとう大ホール)。曲目は、 J.シュトラウス2世/「皇帝円舞曲」、ラヴェル/「ラ・ヴァルス」、ドヴォルザーク/交響曲第7番二短調、アンコールがドヴォルザーク「スラブ舞曲第2集第8番」だった。
こちらは何度も聞いているオケだ。今回は ドヴォルザーク/交響曲第7番がいちばんよく仕上がっていた。練習の成果が表れていたのだと思う。
☆ミューザ川崎に行った機会に、短時間だったが京急川崎駅近くの「立飲天下」に立ち寄った。わたしは山芋千切り(250円)と熱燗(270円)、追加で白ワイン(280円)とポテサラ(250円)を注文した。どうもつまみは原則として250円(ハムカツ、竹輪天ぷら、塩辛など)、刺身や煮込みはもう少し高いようだった。わたしが行った時間は、マスターと女性の2人で切り盛りされていた。聞くと、この場所で10年、その前にもっと駅近くで30年、創業40年の店とのこと。たいへん腰が低く、客に気を遣ってくださるマスターだった。そういう点にも長続きする秘訣があると思った。わたくしは浜田さんの「居酒屋礼賛」で知った店だが、〇印がついているだけのことはあった。
またもう少しゆっくり立ち寄りたい店だった。
●アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。
昨年初めて美術学部作品展を見に行った。今年は音楽学部演奏会も聴きに行った。なお音楽学部のホール内撮影はいっさい禁止だったが、美術学部のほうは原則OKだったので、写真は作品展のものを多く掲載した。
公開演奏は、ほとんどは(新)奏楽堂で行われるが、一部4号館の第6ホールで聴いた。
まず年明けの1月6日声楽の午前の一部、ソプラノ2人、アルト、テノール、バスが各1人を聞いた。これは声楽科のパート比率にだいたい一致しているようだ。器楽の場合、楽器の良しあしはあまり問題にならないが、声楽は自分の体そのものが楽器なので、声量や音色の違いが生まれる。さらに器楽と同様表現方法、技術の違いもあるので、聞くうえで多くののポイントがあることがわかった。わたしには新たな発見だった。
なお声量が大きいと、弱い音も客席まで届くので細部の表現までよく聞こえ、音楽を豊かに伝えられることがわかった。
リートを1曲、オペラの曲を1曲、合計2曲という選曲になっているようだった。オペラは芝居のなかの曲なので、歌詞はセリフの一種であり、物語全体の一ピースでもある。そもそも歌詞の位置づけがリートとオペラでは違うことがわかった。また役になりきるとか、身振り手振りといった演技力もおおいに関係する。したがって、この人はどうやらオペラ向きの人、オペラのほうが得意そうな人という「向き不向き」もありそうなことがわかった。
またプログラムで「指揮」があるのを見つけ、9日に聞いた。どんなことをするのか興味津々だったが、観客からすると普通のオーケストラのコンサートを聞くようなものだった。ここで一番驚いたのは藝大フィルハーモニアの演奏だった。てっきり学生オーケストラだと思ったのだが、人に聞くと、立派なプロのオケでオーディションもあるそうだ。
とてもバランスのよいオケだった。一人ひとりの技量が高いうえに、パートごとのまとまりが大変よく、すばらしいオケだと思った。しいて似たタイプのオケを挙げれば、サイトウ・キネン・オケだろうか。
ぜひもう一度聞きたいと、16日のマスターの学位審査会公開演奏の指揮者の部も聞いた。演目はストラヴィンスキーの「火の鳥」(1919年版)だった。もっときらびやかな演奏のほうがよいかとも思ったが、たぶん指揮者が熱狂タイプでなく、学究タイプの方だったのではないかと思う。なお、シロフォン、タンバリンなども含めパーカッションの演奏に感心した。本来は指揮に注目すべきなのだが、どうしてもオケの演奏に聞き入ってしまった。今回学部も含め3人の指揮をみたが、それぞれ個性が違うことがよくわかった。
芸大フィル定期演奏会のほか、毎月奏楽堂モーニング・コンサートで2曲ずつソリストを加えた演奏会があるそうだ。今回の卒業試験公開演奏会のように「教育」のためのオケという側面もあるようだ。機会があればまた聴きに行きたい。
その他、12月上旬だったがピアノ3人(モーツァルト、シューマンなど)とサックス4人(イベール、トマジなど)の演奏を聞いた。あまり多いとコンクールを聞くような比較の仕方をしてしまうので反省した。
廻転する不在
さて掉尾を飾り、一番楽しかったのは1月30日に美術と音楽の両方を見聞きできたことだった。昨年卒展のデザイン学科の作品をみて「綺麗な会話のキャッチボール」といった日常会話や「ねばねば、ぱりぱり」といった食感を可視化できるよう変換した作品、観客が単語を任意に選び想起される地名の地図をプリントアウトし、観客が地図を切り抜き解説文を付けて掲示する観客参加型の作品など、たいへん刺激的な体験をした。
今年は総合工房棟屋外に、自転車20台近くを空中につなげた作品(東弘一郞「廻転する不在」・先端美術)が展示され、いちばん前の高い自転車に乗り、ペダルを踏む作者の姿はまさに空中ブランコ男で、オッと驚いた。
ナラティブブック秋田は「患者さんの情報は患者さん自身のもの」「その患者さんだけの物語」というコンセプトで、病院システムのロゴマークに始まり、リーフ、パンフ、さらにブックまでデザインをシステム的に展開していた。昨年も佐賀大学医学部付属病院と「働く想い」「心に残った仕事の体験」を顕在化し組織の強化につなげる共同デザイン研究作品が出展されていたので、伝統になっているようだった。
1945年の広島の原爆被爆時のモノローグとイラスト画と現在の映像の「Intimate Moments/Monologue」という作品があった。広島出身あるいは深い縁のある学生の作品かと思ったら
シクスティ・パルク・カキンダさんというアフリカ出身の方の作品だった。グローバルアートプラクティス科(GAP)という院だけの学科で、海外からの学生が半分くらいの科だそうだ。先端芸術表現と何が違うのか聞くと、ロンドンとパリにユニットがあり、共同プロジェクトを進めているのが特色だそうだ。本拠地は取手のようだが、たしかにこの大学で外国人の姿をよくみかけた。
「机」と「いす」 Typecollage
今年気がついたいくつかの特徴を紹介する。
文字を多用したり、物語になった作品をいくつも目にした。油画ですら、大きなキャンバスの裏に「バスの中で流れていく風景をドローイングする」と始まり、タブローが完成するまでのプロセスを文字で記述した作品をみた。工芸でも金属箔を巻物の文に見立て筆で文字を書いた作品をみた。「机」「棚」という漢字、「いす」というひらがな、「テープ」というカナを切り抜いた木製の立体作品「タイプコラージュ」もあった。漱石の「夢十夜」のそれぞれを江戸時代の「雛型本」という見本帳に出ているさまざまな書体を利用し表現した作品があった。
また文字をさらに発展させ物語にした作品もあった。唐櫃(かろうと)由来譚という民話のようなテーマで絵と写真と木製棺桶があり、さらに由来譚を巧みなデザインで記述した作品もあった。
とくに学部で気がついたのは、ほのぼのした作品、ユーモアを感じる作品、ちょっと楽しくなる作品が多くあり、マスターよりかえって古いというか懐かしい感じの作品がいくつも見られたことだ。たとえば「福々来たり」という幼女のお祭りのような300号の作品、「絵を描かなくなった大人が絵を描く愉しさを見出すための道具」という「はんこ」でつくられた「愉しむ手」、「南田是造」(なんだこれぞう)という架空のヒーローの半生を語る「南田記念博物館」、映像でみせる「イケメンすぎるゴリラ」などである。
>
この日、音楽学部のほうはオペラ科修士課程学位審査の「ニュルンベルグのマイスタージンガー」のザックス、「ナクソス島のアリアドネ」のツェルビネッタ、「ファウスト」のマルグリートの3つを聴いた。学部とは、大道具・小道具付き、衣装もまとい相手役もいるのが違う。ほぼオペラの舞台そのものだがオケの代わりにピアノ1台という点だけが異なる。
フルートとサックスも1人ずつ聞くことができた。フルートのバッハのソナタははチェンバロ伴奏だった。チェンバロの演奏を生で聴くのは初めてだと思う。ピアノより少し小型で音量のダイナミクスはないが、これはこれで上品でよいように感じた。
一日でこれだけ見たり聴いたりすると楽しいが、かなり疲れた。デザイン、GAP、先端芸術表現に集中してみたので、文化財保存学はパス、油画、日本画、彫刻、建築もほとんどパスだった。なお昼食は時間を急いていたせいもあり、音楽学部の食堂で盛合せ定食を食べた。大浦食堂とほぼ同じ価格帯、メニューかと思ったが、メニューは大浦食堂のほうが豊富だった。ただ雰囲気は音楽学部のほうが上品だと感じた(たんなる気のせいかもしれないが)。
たまたま1月に2つのアマオケのコンサートを聞いた。ひとつは18日のJR東日本交響楽団第28回定期演奏会(小泉智彦指揮 ミューザ川崎シンフォニーホール)
プログラムはサン=サーンス/交響詩「死の舞踏」、ラフマニノフ/「パガニーニの主題による狂詩曲」(ピアノ:中野孝紀)、チャイコフスキー/交響曲 第6番 ロ短調「悲愴」でアンコールがチャイコフスキー/「くるみ割り人形」より「パ・ド・ドゥ」だった。
はじめて聞いたがバランスのよいオケだった。なお「死の舞踏」はじめ、コンマスの男性がきわだって上手だった。
もうひとつは26日の高田馬場管弦楽団第95回定期演奏会(阿部未来指揮 ティアラこうとう大ホール)。曲目は、 J.シュトラウス2世/「皇帝円舞曲」、ラヴェル/「ラ・ヴァルス」、ドヴォルザーク/交響曲第7番二短調、アンコールがドヴォルザーク「スラブ舞曲第2集第8番」だった。
こちらは何度も聞いているオケだ。今回は ドヴォルザーク/交響曲第7番がいちばんよく仕上がっていた。練習の成果が表れていたのだと思う。
☆ミューザ川崎に行った機会に、短時間だったが京急川崎駅近くの「立飲天下」に立ち寄った。わたしは山芋千切り(250円)と熱燗(270円)、追加で白ワイン(280円)とポテサラ(250円)を注文した。どうもつまみは原則として250円(ハムカツ、竹輪天ぷら、塩辛など)、刺身や煮込みはもう少し高いようだった。わたしが行った時間は、マスターと女性の2人で切り盛りされていた。聞くと、この場所で10年、その前にもっと駅近くで30年、創業40年の店とのこと。たいへん腰が低く、客に気を遣ってくださるマスターだった。そういう点にも長続きする秘訣があると思った。わたくしは浜田さんの「居酒屋礼賛」で知った店だが、〇印がついているだけのことはあった。
またもう少しゆっくり立ち寄りたい店だった。
●アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。