7月5日~8日に有明の東京ビッグサイトで開催された第14回東京国際ブックフェアを見た。入場者はすごかったが、もうひとつ勢いがなかった。

第一の原因は、講談社、小学館、集英社、文藝春秋などコマの大きい大手がやる気がなかったこと。小学館は児童書フェアで出展しているし、文藝春秋は藤沢周平の展示のみなのだから。各社お付き合いで出展している様子だった。
第二に、デジタルパブリッシングフェアも、目玉がなかったこと。ひと昔前には、デジタルブックやデジタル印刷が目玉だったのだが。今年はイラストレーターやインデザインで有名なアドビシステムズも、もうひとつだった。あえて言えば今年は「携帯マンガ」か。しかしそれもモノクロの絵を小さい画面でみるのはどんなものか、という感想だった。なお今年は凸版印刷のブースがなかった。
わたくしが感じた元気のよい出版社はまず文芸社、今後著者との間でトラブルを起こす可能性もある商法だが、こういうところから「売れる本」も出てくるかもとの期待を抱かせた。装幀に関しては大手と比べてまったく遜色がない。きっと若い装幀デザイナーが山のようにいるのだろう。
次にアートン、どこがという説明はできないが、スタッフが若かった。渋谷にある出版社で「ディア・ピョンヤン」(梁英姫)を出版した会社。(昨年はトランスビューが元気がよいように感じた)
その他、大学出版部協会が力を付けてきた。専門書で、かつレベルの高い書籍はすでにこういう所からしか出版しにくいのかもしれない。
今年の特色は宗教系の出版が多かったこと。例年のようにキリスト教系だけでなく、天理教、本願寺出版社、浄土宗出版、東京佛光山寺など
わたくしが好きなのはみすず書房、未来社、白水社、勁草書房、河出書房新社など(今年の岩波はちょっとおざなり)。

第41回造本装幀コンクールの入選作をじっくりみた。
「おかしな二人組」(講談社)は大江健三郎の3冊本(「取り替え子(チェンジリング)」「憂い顔の童子」「さようなら、私の本よ!」)をセットにしたもの。ケースが2つに別れ、立体デザインの作品のようだった。
「100 Books」(ひつじ工房)は1907年から2006年に出版された書籍、雑誌、マンガ、辞典、図鑑など1冊ずつ選びその1pを抜き刷りして1冊の本に製本したもの。紙質もサイズも違うものを製本するのだから大変な手間だったと思う(展示してあったものは44/100とあったので100冊だけ手製本したのだろう)。
「狂骨の夢」(講談社)は小口に色を付け白ヌキで幽霊を浮き上がらせる装幀。「ぼくのウンチはなんになる?」(ミチコーポレーション)は象の糞を製紙した「ぞうさんペーパー」という紙を使い、内容もどのように紙をつくるかをイラストで描いたもの、その名も「世界初!ぞうのウンチでできた絵本」。
「北の出土刀を科学する」は札幌?の医師が自費出版したらしい。地方でも立派な上製本が出来るという見本のような本。
韓国の絵本「とらとほしがき」(光村教育図書)は迫力のある絵だった。
かつて装幀コンクールというと、杉浦康平、田中一光、勝井三雄など巨匠がデザインした豪華本のケースや表紙のデザインを鑑賞させていただくコンクールだった。 いまやアイディアや素材で勝負するコンクールになったようだった。ピュアアートでも過去同じような経緯があった。同じ経過をたどるとすれば、装幀の将来は、光と影、香り、音など情感に訴えるようになるのだろうか。
☆大日本印刷からとうとう活版がなくなったそうだ。市谷工場で最後まで活版でやっていたのは、丸善の「学燈」、「本の雑誌」など定期刊行物4種類だったとのこと。その代わり秀英体の初号活字をデジタル化してよみがえらせ見本を展示していた。
消えてしまった「ポイント」がDTPでよみがえったり、どっこい活版はそう簡単には消えるものではない。

第一の原因は、講談社、小学館、集英社、文藝春秋などコマの大きい大手がやる気がなかったこと。小学館は児童書フェアで出展しているし、文藝春秋は藤沢周平の展示のみなのだから。各社お付き合いで出展している様子だった。
第二に、デジタルパブリッシングフェアも、目玉がなかったこと。ひと昔前には、デジタルブックやデジタル印刷が目玉だったのだが。今年はイラストレーターやインデザインで有名なアドビシステムズも、もうひとつだった。あえて言えば今年は「携帯マンガ」か。しかしそれもモノクロの絵を小さい画面でみるのはどんなものか、という感想だった。なお今年は凸版印刷のブースがなかった。
わたくしが感じた元気のよい出版社はまず文芸社、今後著者との間でトラブルを起こす可能性もある商法だが、こういうところから「売れる本」も出てくるかもとの期待を抱かせた。装幀に関しては大手と比べてまったく遜色がない。きっと若い装幀デザイナーが山のようにいるのだろう。
次にアートン、どこがという説明はできないが、スタッフが若かった。渋谷にある出版社で「ディア・ピョンヤン」(梁英姫)を出版した会社。(昨年はトランスビューが元気がよいように感じた)
その他、大学出版部協会が力を付けてきた。専門書で、かつレベルの高い書籍はすでにこういう所からしか出版しにくいのかもしれない。
今年の特色は宗教系の出版が多かったこと。例年のようにキリスト教系だけでなく、天理教、本願寺出版社、浄土宗出版、東京佛光山寺など
わたくしが好きなのはみすず書房、未来社、白水社、勁草書房、河出書房新社など(今年の岩波はちょっとおざなり)。

第41回造本装幀コンクールの入選作をじっくりみた。
「おかしな二人組」(講談社)は大江健三郎の3冊本(「取り替え子(チェンジリング)」「憂い顔の童子」「さようなら、私の本よ!」)をセットにしたもの。ケースが2つに別れ、立体デザインの作品のようだった。
「100 Books」(ひつじ工房)は1907年から2006年に出版された書籍、雑誌、マンガ、辞典、図鑑など1冊ずつ選びその1pを抜き刷りして1冊の本に製本したもの。紙質もサイズも違うものを製本するのだから大変な手間だったと思う(展示してあったものは44/100とあったので100冊だけ手製本したのだろう)。
「狂骨の夢」(講談社)は小口に色を付け白ヌキで幽霊を浮き上がらせる装幀。「ぼくのウンチはなんになる?」(ミチコーポレーション)は象の糞を製紙した「ぞうさんペーパー」という紙を使い、内容もどのように紙をつくるかをイラストで描いたもの、その名も「世界初!ぞうのウンチでできた絵本」。
「北の出土刀を科学する」は札幌?の医師が自費出版したらしい。地方でも立派な上製本が出来るという見本のような本。
韓国の絵本「とらとほしがき」(光村教育図書)は迫力のある絵だった。
かつて装幀コンクールというと、杉浦康平、田中一光、勝井三雄など巨匠がデザインした豪華本のケースや表紙のデザインを鑑賞させていただくコンクールだった。 いまやアイディアや素材で勝負するコンクールになったようだった。ピュアアートでも過去同じような経緯があった。同じ経過をたどるとすれば、装幀の将来は、光と影、香り、音など情感に訴えるようになるのだろうか。
☆大日本印刷からとうとう活版がなくなったそうだ。市谷工場で最後まで活版でやっていたのは、丸善の「学燈」、「本の雑誌」など定期刊行物4種類だったとのこと。その代わり秀英体の初号活字をデジタル化してよみがえらせ見本を展示していた。
消えてしまった「ポイント」がDTPでよみがえったり、どっこい活版はそう簡単には消えるものではない。