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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

『たたかう!社会科教師』出版記念会

2008年03月18日 | 集会報告
3月15日夕刻、増田都子さんの新刊『たたかう!社会科教師――戦争の真実を教えたらクビなのか?(社会批評社 263p 1700円+税 2008年2月)の出版記念会が中野勤労福祉会館レストラン欅で開催された。

この本は2005年7月千代田区立九段中学で起きた紙上討論「ノ・ムヒョン大統領への手紙」事件と8月の戒告処分と隔離研修、2006年3月31日の分限免職処分について、本人の克明な記録をもとにまとめたドキュメンタリーである。
じつはこの処分の伏線は、すでに10年をさかのぼる1997年の足立十二中卒業式の不起立問題や足立十六中での沖縄米軍基地・紙上討論事件にある。98年8月、産経新聞が増田批判キャンペーンを繰り広げ、土屋たかゆき(民主・板橋)、古賀俊昭(自民・日野)田代ひろし(自民・世田谷)の3都議が都議会で追求し、都教委が頭を下げ、99年9月から2年半の長期隔離研修を断行した。これと同じ三位一体攻撃の構図は、このあと2000年の国立二小・五小卒業式、2003年七生養護・性教育問題、2003年日の丸君が代強制を命じる10.23通達、2004年板橋高校卒業式「君が代」刑事弾圧など数限りなく出現し、東京都の平和教育や教育の自由は破壊されていった
「ノ・ムヒョン大統領への手紙」事件の懲戒処分の理由は、生徒の紙上討論を大統領に発送した際、増田教諭があとがきに書いた文章のなかの2つの文言、すなわち2004年10月26日古賀議員が都議会文教委員会で発言した「(我が国の)侵略戦争云々というのは、私は、全く当たらないと思います」と議事録を引用したうえで書いた「古賀都議その他の歴史偽造主義者達」という文言と「侵略の正当化教科書として歴史偽造で有名な扶桑社の歴史教科書」という文言が特定の公人や出版社に対する「不適切な文言」に当たる信用失墜行為に該当する(地方公務員法33条違反)というものだった。
この処分理由自体、不当なので不服申し立てが行われた。しかしそれにもまして、いやがる校長に5回も書き直させたうえ事故報告書を無理やり提出させたり、8月31日校長も本人も研修理由を知らぬまま隔離研修を命じたため学校が大混乱を来たしたりと、処分に至る経緯は強引で異様なものだった。
また9月20日から翌年3月末の分限免職までの目黒の東京都教職員研修センター(2006年3月に水道橋に移転)で実施された研修は、研修とは名ばかりの監視付きの収容所生活だった。1室6人研修生がいたが、一人一人の席はついたてで隔離され、背後には80―110分交代で監視員(指導主事)が付く。トイレやゴミを捨てるため室外に出るときにはそのたびに監視人の許可を取り、監視人は分刻みで行動記録を取るというものだった。(こうしたエピソードは2005年と06年に「目黒残酷物語」というコントで上演されたことがある)。p125,132には写真が掲載され、その他指導主事との会話を数多くテープ起こしして掲載されており貴重なデータになっている。
紙上討論の実際(p38~79)には「アジア・太平洋戦争の戦争責任」、ビデオ「我が闘争」「ガンジー」「侵略」をみて、「3・1演説を読んで」などをテーマにした中学生の賛否両論の意見が生で掲載されている。普通の大人と変わらない立派な意見が多い。また「先生から」というコメントをみると、いわゆる「偏向教育」とはかけ離れたものであることがよくわかる。本来、紙上討論は何度も討論をしあって意見がどんどん深化していくのだが、夏休み明けに突然増田さんが教壇から強制隔離されてしまったため残念ながらその跡をみることはできない。
また生徒からの手紙やメール(p173~182)には心に響く文章が並んでいる。たとえば「私はずっと自分の意見を言うことが苦手だったので、始めはあの白い紙に書くことにとまどっていました。みんなで、意見を読み合いアンダーラインを引く作業も正直嫌でした。しかし、回を重ねるごとにたくさんの人のいろいろな考え方が出ている意見を読むのが楽しくなりました。とても参考になる意見や共感できる意見、自分と正反対な意見など、いろいろな人の意見を読むことで学んだことはたくさんあったし、だんだんと自分自身の意見を持つこともできるようになりました。紙上討論をきっかけにして社会に興味をもつようにもなったりしました」「私は、社会があまり好きではなくて、歴史も興味を持てなかったのですが、増田先生の紙上討論をしているうちに、みんなの意見を聞いて、自分の意見も、しっかりとした意見を持ちたいと思うようになり、積極的に勉強するようになりました。本当に感謝しています」というものである。。
2005年9月の増田さんの研修命令は人民日報(中国)、ハンンギョレ新聞(韓国)、クリスチャンサイエンスモニター(アメリカ)などで報道され、06年3月の分限免職処分は韓国KBS、SBSのニュースで報道され、その後の闘いもイギリスのCH4のテレビドキュメントで紹介された。

出版記念会には60人弱の人が集まった。労働運動家、教育問題を闘っている方、政治家、詩人、牧師など十数人の方からお祝いと激励のスピーチがあった。また福島みずほ党首(社民党)の祝辞が朗読された。
そして音楽教師山川龍次さんのバイオリン演奏「タイスの瞑想曲」、二宮一朗牧師の台湾・アミ族の歌、作曲家・青英権さんの独唱「君死にたまふことなかれ」、ノレの会の韓国労働歌「岩のように」が披露され、パーティを盛り上げた。
増田さんは、98年11月都教組足立支部(全教)が所属組合員である増田さんに行った攻撃や都教委の無法さを説明し「都教委の暴走にブレーキをかけられるは私だ」と今後の決意を表明した。
最後に増田さんのテーマソング「We shall overcome」をノレの会の歌唱指導で全員で歌い、会を閉じた。

ノレの会の歌唱指導で全員で「We shall overcome」を合唱
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