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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

シール・エミコの「チベットの名もなき花のように」

2008年03月14日 | 集会報告
2月29日夜、新宿区立新宿スポーツセンターで行われた地平線報告会で、エミコ&スティーブ・シール夫妻のチベット・雲南省自転車旅行を聞いた。
エミコさんは1988年、23歳のときオートバイによる世界一周旅行をスタートし、オーストラリアのケアンズで自転車旅行中のスティーブに出会い、以降、自転車2人旅で世界を走り続けた。南北アメリカ、アフリカ、ユーラシアを経て旅も終盤のカラコルム・ハイウェイにさしかかった2000年11月腰の激痛に襲われた。帰国して精密検査すると悪性の子宮がん。5年生存率20%未満、余命半年の宣告を受けたが、みごとに病気を克服し、2004年12月末から旅を再開した。
今回は2007年5月チベットのラサからチョモランマ登山のベースキャンプ(BC)を目指した。その間に5000m前後の峠が3つもあった。空気が平地の半分と薄く高山病で意識はもうろうとする。気圧が低いので湯も沸騰せずインスタントラーメンもべちゃべちゃの出来上がり。高地では自転車が吹き飛ぶような猛烈な強風が吹き、気温は夜間マイナス10度、日中は50度近いという過酷な自然環境だった。テレビのドキュメントフィルムをみたがエミコは何度も「死にそう」と弱音を吐き、ときにスティーブが「死ぬと言うな」と本気で怒ることもあった。「山の女神に受け入れられていないのではないか」「しかし自分も自然の一部なので自然の流れに逆らいたくない」と感じつつ、2週間かけてBCにたどりついた。BCでパーッと景観が開け、一瞬風が止んた。「すべてが試されていた。お釈迦さまの手のひらにいた孫悟空を思い出した」と語った。
一度ラサに戻り、今度は雲南省に向け東チベットを走る。通常描くチベットのイメージとは大違いで緑と水の地域、牛が歩き、ポタラ宮への一生一度の巡礼旅をしている3世代家族もいた。
しかし雲南省との境では落石、土砂崩れ、雨、大水、悪路に見舞われ、きわめつけは72の連続ヘアピンカーブがある全長41kmの上り坂、くじけそうな心を支えてくれたのは、道端に咲く名もない花だった。 
こうしてたどりついた雲南省・シャングリラ(桃源郷を意味する県名)の穏やかな街並み、民族衣装で輪になった踊り、白いいやし犬がいて、すっかり気に入り2週間も滞在した。
2005年のパキスタン・インドの旅のときよりはましだったが、今回も1か月に1度は寝込み、とくにラオス滞在12日のほとんどはベッドだったという。病気で免疫力が落ちている。しかし、病気をして初めて「いまを大切に」「亡くなった人が生きたかった2時間、あるいは1日なのだ、たいせつに生きていこう」と考え方が変わり「病気の『せい』ではなく、病気の『おかげ』と思うようになった」とポジティブな人生観を語った。さらに、おまけの人生なので自分のお役目がわかりかけてきた、できることを還元していきたい、それをもらってほしいと、具体的に、ネパールの貧しい子どもたちの教育費支援を目的とする「笑み基金」をスタートさせた。この日も手作り石鹸(2個500円)を120個持参され、あっという間に完売した。

☆世界1周自転車旅行をしている人なので、ゴツい冒険家だろうと予測していたが、みかけもお話もチャーミングな方だった。今年は9月21日に関空を出発し、7か月7000キロを自転車旅行する予定。21年がかりの世界一周旅行のゴールは09年4月1日春の大阪城の予定と
のこと。さらに次の予定を聞かれたスティーブは「世界一周」ならぬ自転車の町「
堺一周」との返事。はじめの自己紹介でも「ごーしゅうじん(豪州人&ご主人)のスティーブです」。この日は2時間半のスピーチ、280枚のスライドショーだったが全編「上方の夫婦(めおと)漫才」コンビの楽しい2時間半だった。
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