汐留の電通本社(カレッタ汐留)地下にあるアドミュージアム東京を見学した。2002年12月開館、2017年12月に全面リニューアルした。売りは「世界でただひとつの広告ミュージアム」で、延べ床面積1078平方メートル、収録資料は30万点を超える。
常設展は「ニッポン広告史」だった。明治以降の広告の歴史を、時期を5つに分けて展示していた。
●明治時代の広告
文明開化で、ザンギリ頭、洋装など洋風の文化が広まった。新聞広告を取り次ぐ広告代理店が誕生し、紙巻きたばこ、薬などの商品が広告合戦を繰り広げた。広告は文明開化の姿と、その変化を映していった。殖産興業の世の中だったので、内国勧業博覧会など博覧会が多数の観客を集めた。
●大正から昭和前期の広告
好景気のなか、都市化が進み大衆消費社会の芽が生まれた。大正モダニズムが開花し、食品、化粧品、医薬品、衣料品、などの分野でブランドが生まれ、広告を展開した。たとえばキリンビール、味の素、仁丹、福助足袋などだ。
三越の宣伝を担当した杉浦非水、壽屋(現在のサントリー)、森永製菓などの広告を制作した片岡敏郎、福助足袋、グリコ、桃谷順天館などのコピーや広告を担当した岸本水府など、スター・クリエイターが生まれた。
●戦中・戦後の広告
「進め 一億火の玉だ」「撃ちてしやまん」「買はないで、すませる工夫」「何がなんでもカボチャを作れ」など国威発揚、戦意高揚のコピーのポスタ―ばかりが並んでいた。明らかに他の時期とは異なる。広告「冬の時代」とあった。ただし国策推進という観点からとらえると、いま広告会社が業務として請け負っていると推測される政府イベントや政権PRと一脈通じる点があると思った。平井卓也、中山泰秀など何人か電通出身の代議士もいる。代理店出身ではないが、世耕弘成経産相はNTT勤務時代にボストン大学コミュニケーション学部大学院でマスターを取得し、党のメディア対策をしていたことで有名だ。なぜか安倍昭恵(母が森永製菓創業家)も結婚前には電通で働いていた。
敗戦後、紙が足りず新聞も雑誌もページ減になったのが業界として痛かったと、説明があった。
●戦後復興期から平成の広告 1951-2000
50年の時期区分はいくらなんでも長すぎると思ったら1951-60年、1961-70年、1971-89年、1990-2000年の4つの時期に小区分されていた。
1)「ラジオ・テレビの登場が広告を一変させた」(1951-60)
民間ラジオの放送開始は1951年、民放テレビ局の本放送開始が1953年なので、51年のさくらフィルム「僕はアマチュアカメラマン」(小西六 40秒 1951)や精工舎の時計「ニワトリ/時報」(服部時計店 30秒 53)はCM最初期のものだろう。
「ワ・ワ・ワとワが3つ バトンガール」(ミツワ石鹸 15秒 1957)、「ヤン坊マー坊天気予報(風船)」(ヤンマー 55秒 1959)、子グマがダンスする「カステラ一番、電話は二番」(文明堂 60秒 1961)などは、コマーシャルソングを聞きながら画像をみると非常になつかしかった。
2)「広告が高度成長をパワーアップ」(1961-70)
しかしなんといってもCM最高潮は「広告が高度成長をパワーアップ」の時期の前田美波里の資生堂「ビューティケイク」(1966)や小川ローザ「Oh!モーレツ」の丸善石油(1969)、三船敏郎の「男は黙ってサッポロビール」のポスター(1970)などだ。隅のほうにライオンの表紙の週刊プレイボーイ創刊号(66年11月15日号)が掲出されていた。これも見覚えがあった。
テレビCMの山本直純「大きいことはいいことだ」(森永製菓エールチョコレート 30秒1968)、大橋巨船「はっぱふみふみ」(パイロット万年筆エリートS 15秒 1969)、71年エメロンクリームリンス「ふりむき」(ライオン油脂 60秒 71)などもなつかしいCFだった。
3)「広告がライフスタイルをリードする」(1971-89)
この時期はたしかに広告にパワーがあり社会を牽引していた感がある。「DISCOVER JAPAN」(国鉄 1971)、「金曜日はワインを買う日」(サントリー、72)、マリリン・モンローの肖像付きの「帰らざる傘」(営団地下鉄 76)、糸井重里の「不思議、大好き。」(西武百貨店 81)、石岡瑛子の「女性よ、テレビを消しなさい」の角川文庫(76)、夢を牽引するような広告が次々に生まれ話題を呼んだ。
80年代のフジカラープリント「お名前」(富士写真フイルム 30秒 1980)。ミノルタX-7「美子、水着」(ミノルタ 30秒 80)、小学一年の「ピカピカの一年生」(小学館 60秒 84)、「タンスにゴン 町内会」(大日本除虫菊 86)などCFの名作といってよい。この時期にはCMの名作が多かったからか、テレビは76―79年を飛ばし、ポスターは80-84年を飛ばしていたのが残念だった。
しかし東海旅客鉄道「クリスマス・エクスプレス89」(15秒)になると、バブル最高潮の時期だが、わたしはCMとしては黄昏どきの感じがした。
4)「社会の矛盾と向き合う新しい広告」(1990-2000)とある。ボルボの「私たちの製品は、公害と、騒音と、廃棄物を生みだしています。」(1990)という文字広告や阪神大震災の被災地神戸を応援する「ファイト ナショナルのあかり」(松下電器 1995)などを指すようだが、それほどのものではなかった。
その他、サルのイラスト入りの「バザールでござーる」(日本電気 1992)、「そうだ京都、行こう 哲学の道」(JR東海 97)などのポスター、トヨタ・エコプロジェクト「あしたのために、いままやろう」(15秒 97)などが展示されていた。
●21世紀の広告(2001―)
21世紀の主要メディアはインターネットやスマートフォン、SNSである。ただユニクロ「UNIQLOCK」(130秒 2007)にせよKDDI「Full Control Your City」(105秒 2013)にせよ、70―80年代の広告に比べるともうひとつパワーに欠ける。「明日があるさ 登場」(ジョージア 30秒 2000)、カロリーメイト「見せてやれ、底力」(大塚製薬 120秒 歌・岡村孝子「夢をあきらめないで」 2000)は歌は大流行したが、CMの熱気は冷めていた(ただし完成度は高いかもしれない)。
展示されていたのは、1)「人がつながる人から広がる」として資生堂「スラムダンク」(197秒 2004)、ナイキ「Nike Cosplay」(120秒 2006)など、2)「アイデアで、社会の課題を解決する」として「Rice Code」(青森県田舎館村 2013)、ホンダのインターナビ「Connecting Lifelines」(180秒 2011)、Yahoo!Japanの「さわれる検索」(135秒 2013)、3)「テクノロジーが生み出す新しい広告」としてリオ・オリンピック閉会式の日本のセレモニー(595秒 2016)など。面白いことは面白いし目新しいのは確かだが、どうもピンとこなかった。現在進行形だからか、あるいは自分が時代のトレンドに追いついていけていないからか、それはわからない。
この常設展を通して見て、「着眼」が優れていると思った。具体的に3つ、わたくしが気づいたことを上げる。
まず各時代の主要メディアを、明治は新聞、大正は雑誌、昭和はラジオ、敗戦直後は「ローマの休日」など映画、1960年代後半以降はテレビ、21世紀はネット、と明確に規定し、それに沿った展示にしていることだ。
ポスターやCFなど「モノ」そのものに語らせ、説明文は必要最小限に留めている
次に、明治の前に、「江戸時代の広告(1603-1867)」というかなり大きいスペースをつくり紹介していることだ。「マーケティングは世界に先駆けて、三井高利によってはじまる」というドラッカーの言葉を引用し、「現金掛け値なし」「正札販売」などを始めた呉服店・越後屋(のちの三越)の三井高利(1622―1694)をクローズアップする。広告の原点・看板、元祖チラシの引き札、歌舞伎役者はアイドルで広告の顔、歌舞伎のセリフに商品広告を滑り込ませる企業タイアップ、など江戸時代に広告のルーツともいえる考え方や手法が生まれた、と説明する。
3番目に、視聴ブース「4つのきもち」というコーナーだ。
Yeah! 元気がでる広告、Love 心あたたまる広告、Wow びっくりする広告、Hmm... 考えさせられる広告の4つのジャンルに分け、代表的なCFを見られるようになっていた。たとえば「元気」なら湖池屋「ストリート・オブ・ドン・タコス」(1994)、サッポロ黒ラベル「温泉卓球編リベンジ」(30秒、2000)。
「心あたたまる」はSoftBankモバイル「キャメロン・ディアス 雪の中」篇(30秒、2006)、「びっくりする」はナショナル電球「光のメニュー」や東京海上「ビリヤード 危険がいっぱい」(30秒、82)、「考えさせる」は日本ユニセフ「ハッピーバースデイ3.11」、「#LikeAGirl」(P&G これは実際に日本で放映されたのかどうかはわからない。しかし優れた作品だということはわたくしにもわかった)。
この4つのキーワードは、コマーシャルに限らず、絵でも小説でも人を感動させる4要素だと思う。CMの基本は動画なので「びっくりする」に強く、(スポンサーの関係もあり)「考えさせる」は力不足の感じはあるものの着眼には確かなものがある。
また優れたCFの条件は、コピーと映像と音楽それぞれが優れていて、かつバランスがとれていることであることも実感した。
これらの展示はB2で展示されているが、B1のライブラリーは2万7000点もの主として広告関連の書籍・雑誌が収集されている専門図書館になっている。関心がある人にとっては、大いに使い出があると思った。
これは見ものである。たとえばわたくしは、「情報メディア白書2019」(電通メディアイノベーションラボ編、ダイヤモンド社)をみて、書籍・雑誌だけでなく広告費も2007年7兆191億円が2017年6兆3907億へ9%減、とりわけ新聞、雑誌がほぼ半減プロモーション広告も25%減と、ここ10年の落込みがひどいことを知った。
☆特別展としてTCC賞展2019を開催中だった。TCCとは東京コピーライターズクラブで、コピーライター、CMプランナーの団体だが、年に1度TCC賞展を開催し、新人賞を受賞してはじめて会員になれるシステムになっている。新人賞のほか、TCC賞、グランプリ、審査委員長賞が選ばれる。今年の新人賞は22作品だった。わたくしが一番気にいったのはTCC賞の油まみれの水鳥の写真「ウソつきは、戦争の始まり」(宝島社 新聞広告)だった。これはもちろん1991年の湾岸戦争のさい、アメリカが大宣伝した写真のことだ。しかし2013年9月のIOC総会で原発事故を「アンダーコントロール」と説明してオリンピックを招致し、2015年9月には「戦争法」を強行採決した安倍首相への強烈な皮肉にみえた。制作にあたって作者の思いとして「嘘についてあらためて考えてほしい。そして嘘に立ち向かってほしい」とあった。
☆アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。
アドミュージアム東京
住所:東京都港区東新橋 1-8-2 カレッタ汐留
電話:03-6218-2500
開館日:火曜日~土曜日(臨時休館あり HPで確認)
開館時間:11:30~16:00
入館料:無料
常設展は「ニッポン広告史」だった。明治以降の広告の歴史を、時期を5つに分けて展示していた。
●明治時代の広告
文明開化で、ザンギリ頭、洋装など洋風の文化が広まった。新聞広告を取り次ぐ広告代理店が誕生し、紙巻きたばこ、薬などの商品が広告合戦を繰り広げた。広告は文明開化の姿と、その変化を映していった。殖産興業の世の中だったので、内国勧業博覧会など博覧会が多数の観客を集めた。
●大正から昭和前期の広告
好景気のなか、都市化が進み大衆消費社会の芽が生まれた。大正モダニズムが開花し、食品、化粧品、医薬品、衣料品、などの分野でブランドが生まれ、広告を展開した。たとえばキリンビール、味の素、仁丹、福助足袋などだ。
三越の宣伝を担当した杉浦非水、壽屋(現在のサントリー)、森永製菓などの広告を制作した片岡敏郎、福助足袋、グリコ、桃谷順天館などのコピーや広告を担当した岸本水府など、スター・クリエイターが生まれた。
●戦中・戦後の広告
「進め 一億火の玉だ」「撃ちてしやまん」「買はないで、すませる工夫」「何がなんでもカボチャを作れ」など国威発揚、戦意高揚のコピーのポスタ―ばかりが並んでいた。明らかに他の時期とは異なる。広告「冬の時代」とあった。ただし国策推進という観点からとらえると、いま広告会社が業務として請け負っていると推測される政府イベントや政権PRと一脈通じる点があると思った。平井卓也、中山泰秀など何人か電通出身の代議士もいる。代理店出身ではないが、世耕弘成経産相はNTT勤務時代にボストン大学コミュニケーション学部大学院でマスターを取得し、党のメディア対策をしていたことで有名だ。なぜか安倍昭恵(母が森永製菓創業家)も結婚前には電通で働いていた。
敗戦後、紙が足りず新聞も雑誌もページ減になったのが業界として痛かったと、説明があった。
●戦後復興期から平成の広告 1951-2000
50年の時期区分はいくらなんでも長すぎると思ったら1951-60年、1961-70年、1971-89年、1990-2000年の4つの時期に小区分されていた。
1)「ラジオ・テレビの登場が広告を一変させた」(1951-60)
民間ラジオの放送開始は1951年、民放テレビ局の本放送開始が1953年なので、51年のさくらフィルム「僕はアマチュアカメラマン」(小西六 40秒 1951)や精工舎の時計「ニワトリ/時報」(服部時計店 30秒 53)はCM最初期のものだろう。
「ワ・ワ・ワとワが3つ バトンガール」(ミツワ石鹸 15秒 1957)、「ヤン坊マー坊天気予報(風船)」(ヤンマー 55秒 1959)、子グマがダンスする「カステラ一番、電話は二番」(文明堂 60秒 1961)などは、コマーシャルソングを聞きながら画像をみると非常になつかしかった。
2)「広告が高度成長をパワーアップ」(1961-70)
しかしなんといってもCM最高潮は「広告が高度成長をパワーアップ」の時期の前田美波里の資生堂「ビューティケイク」(1966)や小川ローザ「Oh!モーレツ」の丸善石油(1969)、三船敏郎の「男は黙ってサッポロビール」のポスター(1970)などだ。隅のほうにライオンの表紙の週刊プレイボーイ創刊号(66年11月15日号)が掲出されていた。これも見覚えがあった。
テレビCMの山本直純「大きいことはいいことだ」(森永製菓エールチョコレート 30秒1968)、大橋巨船「はっぱふみふみ」(パイロット万年筆エリートS 15秒 1969)、71年エメロンクリームリンス「ふりむき」(ライオン油脂 60秒 71)などもなつかしいCFだった。
3)「広告がライフスタイルをリードする」(1971-89)
この時期はたしかに広告にパワーがあり社会を牽引していた感がある。「DISCOVER JAPAN」(国鉄 1971)、「金曜日はワインを買う日」(サントリー、72)、マリリン・モンローの肖像付きの「帰らざる傘」(営団地下鉄 76)、糸井重里の「不思議、大好き。」(西武百貨店 81)、石岡瑛子の「女性よ、テレビを消しなさい」の角川文庫(76)、夢を牽引するような広告が次々に生まれ話題を呼んだ。
80年代のフジカラープリント「お名前」(富士写真フイルム 30秒 1980)。ミノルタX-7「美子、水着」(ミノルタ 30秒 80)、小学一年の「ピカピカの一年生」(小学館 60秒 84)、「タンスにゴン 町内会」(大日本除虫菊 86)などCFの名作といってよい。この時期にはCMの名作が多かったからか、テレビは76―79年を飛ばし、ポスターは80-84年を飛ばしていたのが残念だった。
しかし東海旅客鉄道「クリスマス・エクスプレス89」(15秒)になると、バブル最高潮の時期だが、わたしはCMとしては黄昏どきの感じがした。
4)「社会の矛盾と向き合う新しい広告」(1990-2000)とある。ボルボの「私たちの製品は、公害と、騒音と、廃棄物を生みだしています。」(1990)という文字広告や阪神大震災の被災地神戸を応援する「ファイト ナショナルのあかり」(松下電器 1995)などを指すようだが、それほどのものではなかった。
その他、サルのイラスト入りの「バザールでござーる」(日本電気 1992)、「そうだ京都、行こう 哲学の道」(JR東海 97)などのポスター、トヨタ・エコプロジェクト「あしたのために、いままやろう」(15秒 97)などが展示されていた。
●21世紀の広告(2001―)
21世紀の主要メディアはインターネットやスマートフォン、SNSである。ただユニクロ「UNIQLOCK」(130秒 2007)にせよKDDI「Full Control Your City」(105秒 2013)にせよ、70―80年代の広告に比べるともうひとつパワーに欠ける。「明日があるさ 登場」(ジョージア 30秒 2000)、カロリーメイト「見せてやれ、底力」(大塚製薬 120秒 歌・岡村孝子「夢をあきらめないで」 2000)は歌は大流行したが、CMの熱気は冷めていた(ただし完成度は高いかもしれない)。
展示されていたのは、1)「人がつながる人から広がる」として資生堂「スラムダンク」(197秒 2004)、ナイキ「Nike Cosplay」(120秒 2006)など、2)「アイデアで、社会の課題を解決する」として「Rice Code」(青森県田舎館村 2013)、ホンダのインターナビ「Connecting Lifelines」(180秒 2011)、Yahoo!Japanの「さわれる検索」(135秒 2013)、3)「テクノロジーが生み出す新しい広告」としてリオ・オリンピック閉会式の日本のセレモニー(595秒 2016)など。面白いことは面白いし目新しいのは確かだが、どうもピンとこなかった。現在進行形だからか、あるいは自分が時代のトレンドに追いついていけていないからか、それはわからない。
この常設展を通して見て、「着眼」が優れていると思った。具体的に3つ、わたくしが気づいたことを上げる。
まず各時代の主要メディアを、明治は新聞、大正は雑誌、昭和はラジオ、敗戦直後は「ローマの休日」など映画、1960年代後半以降はテレビ、21世紀はネット、と明確に規定し、それに沿った展示にしていることだ。
ポスターやCFなど「モノ」そのものに語らせ、説明文は必要最小限に留めている
次に、明治の前に、「江戸時代の広告(1603-1867)」というかなり大きいスペースをつくり紹介していることだ。「マーケティングは世界に先駆けて、三井高利によってはじまる」というドラッカーの言葉を引用し、「現金掛け値なし」「正札販売」などを始めた呉服店・越後屋(のちの三越)の三井高利(1622―1694)をクローズアップする。広告の原点・看板、元祖チラシの引き札、歌舞伎役者はアイドルで広告の顔、歌舞伎のセリフに商品広告を滑り込ませる企業タイアップ、など江戸時代に広告のルーツともいえる考え方や手法が生まれた、と説明する。
3番目に、視聴ブース「4つのきもち」というコーナーだ。
Yeah! 元気がでる広告、Love 心あたたまる広告、Wow びっくりする広告、Hmm... 考えさせられる広告の4つのジャンルに分け、代表的なCFを見られるようになっていた。たとえば「元気」なら湖池屋「ストリート・オブ・ドン・タコス」(1994)、サッポロ黒ラベル「温泉卓球編リベンジ」(30秒、2000)。
「心あたたまる」はSoftBankモバイル「キャメロン・ディアス 雪の中」篇(30秒、2006)、「びっくりする」はナショナル電球「光のメニュー」や東京海上「ビリヤード 危険がいっぱい」(30秒、82)、「考えさせる」は日本ユニセフ「ハッピーバースデイ3.11」、「#LikeAGirl」(P&G これは実際に日本で放映されたのかどうかはわからない。しかし優れた作品だということはわたくしにもわかった)。
この4つのキーワードは、コマーシャルに限らず、絵でも小説でも人を感動させる4要素だと思う。CMの基本は動画なので「びっくりする」に強く、(スポンサーの関係もあり)「考えさせる」は力不足の感じはあるものの着眼には確かなものがある。
また優れたCFの条件は、コピーと映像と音楽それぞれが優れていて、かつバランスがとれていることであることも実感した。
これらの展示はB2で展示されているが、B1のライブラリーは2万7000点もの主として広告関連の書籍・雑誌が収集されている専門図書館になっている。関心がある人にとっては、大いに使い出があると思った。
これは見ものである。たとえばわたくしは、「情報メディア白書2019」(電通メディアイノベーションラボ編、ダイヤモンド社)をみて、書籍・雑誌だけでなく広告費も2007年7兆191億円が2017年6兆3907億へ9%減、とりわけ新聞、雑誌がほぼ半減プロモーション広告も25%減と、ここ10年の落込みがひどいことを知った。
☆特別展としてTCC賞展2019を開催中だった。TCCとは東京コピーライターズクラブで、コピーライター、CMプランナーの団体だが、年に1度TCC賞展を開催し、新人賞を受賞してはじめて会員になれるシステムになっている。新人賞のほか、TCC賞、グランプリ、審査委員長賞が選ばれる。今年の新人賞は22作品だった。わたくしが一番気にいったのはTCC賞の油まみれの水鳥の写真「ウソつきは、戦争の始まり」(宝島社 新聞広告)だった。これはもちろん1991年の湾岸戦争のさい、アメリカが大宣伝した写真のことだ。しかし2013年9月のIOC総会で原発事故を「アンダーコントロール」と説明してオリンピックを招致し、2015年9月には「戦争法」を強行採決した安倍首相への強烈な皮肉にみえた。制作にあたって作者の思いとして「嘘についてあらためて考えてほしい。そして嘘に立ち向かってほしい」とあった。
☆アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。
アドミュージアム東京
住所:東京都港区東新橋 1-8-2 カレッタ汐留
電話:03-6218-2500
開館日:火曜日~土曜日(臨時休館あり HPで確認)
開館時間:11:30~16:00
入館料:無料