多面体F

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

野上照代の「母べえ」

2008年04月04日 | 読書
母べえ野上照代 中央公論新社 2007年12月 1155円)を読んだ。吉永小百合の映画「母べえ」の原作である。

山田洋次監督は「シナリオはエピソードとエピソードを次女の照べえのナレーションで繋いでゆく。その場合エピソードの内容をなるべく繋げない(略)ナレーションを多用したシナリオ構成の原則を守る(略)シナリオには、野上さんの原作にある大切な場面はほとんどそのまま写されている。(略)登場人物もほとんど原作どおり」と序文に書いている。
まさにその通りだった。
主な登場人物はもとより、父の突然の検挙、留置場での面会、拘置所へのウチワや書籍の差し入れ、手紙のやりとり、奈良のおじさんを初べえが嫌うエピソード、出征兵士を送る人達が駅頭で万歳を叫ぶ光景、11月3日の明治節の歌、金の供出、「菩提樹」の歌など、まったくそのままだった。
原作でディテールがはっきりわかったことは収穫だ。
父、巌は1901年11月3日別府生まれ、26年大学を卒業し日大予科教授に就任したが、32年治安維持法違反で検束され大学を追放された。1901年11月生まれというと、村山知義が同年1月生まれなので、学年は異なるが同世代だ。村山が1回目に検束されたのは1930年5月、2回目が32年4月、3回目は40年8月だった。
また「杉四小学校にラジオ体操に行った」とあるので自宅は高円寺北口、環七に近いところのようだ。映画では新宿から電車に乗る設定だったので小田急か京王沿線かと思っていたので意外だった。中野は空襲にあったと聞いたことがあるので、女性の多い一家の被災はたいへんだっただろうと思う。
通っていた女学校は「1時間近くの道を歩いて帰る習慣」とあるので、富士(第五)ではないかと思われる(そうでなければ、荻窪(杉並高等家政)か都立家政)。
もちろんシナリオで変えたところもある。同居している叔母(映画ではチャコちゃん、原作はエミちゃん)は美術学校生ではなく、日本橋高島屋勤務、山ちゃんは出版社勤務ではなく、プロレタリア音楽同盟(PM)の仕事をしつつ紙芝居のアルバイトをしており、住まいは大和町で自転車で野上家にやってきた。映画の浅野忠信のキャラクターからすると、むしろ紙芝居屋さんのほうがよかったかもしれない。村山は日本プロレタリア劇場同盟(プロット)だったので親戚筋になる。
また検束されたのは1940年2月ではなく、37年12月の第一次人民戦線事件のときだ。ただそのまま警察署をたらい回しされ巣鴨の拘置所に入ったのは40年5月なので、そこから先は合っている。
映画と比べ、際立って光っているのは照べえ(女学校1年)の手紙だ。下記は1944年7月末、女学校1年のときのものである。
「父ちゃん。お元気ですか。私は元気ピンピンです。(略)午後はエミちゃんも入って三人で、“柱の傷はおととしのォ――”なんて歌いながら、背の丈を測りました。それで誰が一番高かったと思う?なんと、かく申すわが輩であったのです。エミちゃんなんて、へんだわねえ、へんだわねえと口惜しがっていたけど本当なんですもの。今度父べえが帰って来たら私とどっちが高いか比べてみましょうね。
そこへ山ちゃんが自転車に紙芝居の道具をのっけて「こんちはあ」とやって来ました。エミちゃんのお休みの日は必ず来るのよね。判るでしょう?それにいつも紙芝居が新しいのに替わると練習をしに家へ寄ることになっています。
(略)ハッサンは昨日、武者小路実篤の『愛欲』というのを読んで、夜こわくなって御不浄に行けなくなっちゃったのよ。
どうぞお体御大切になさいませ。お返事ちょうだいね」
という愉快なものだ。
それに対する父の返信は「照ベエへ――照代の手紙はいつも朗らかで絵も面白いが時々誤字があるのはどうしたことか。よく字引を引いて誤字を少なくするように気をつけなさい。検閲官の方から、娘さんは絵が上手だね、といわれたからこっちは合格らしいが。(略)」というものだ。
こういう手紙が5往復、父からの単独便が2通収められている。どうしてこんなに刻銘な記録が残っていたかというと、父が獄中の手紙のやりとりを「ある家族のある時の往復書簡」と題するボロボロの4冊の大学ノートに書き写していたせいだとある。
これは書かないほうがよいかもしれないが、父は1940年年末に獄中で急死したのではない。逆に、保釈され出所した。著者が応募した「第5回読売ヒューマン・ドキュメンタリー」大賞カネボウスペシャルは、テレビドラマのためのノンフィクション・ストーリーを求めていたので「私もなるべく当選するように、やや事実を変えて、ドラマティックな最後にした」そうだ。父は54歳で亡くなったとあるので、戦後の1955年か56年のことである。
映画の感想に「あの時代」の世間の「空気」をリアルに描いていると書いたが、山田監督は、「映画は編集を終えると時として焼物のように窯変をおこす、つまり作者が予想もしていなかった不思議な色合いが作品の上に現れることがある。ぼくたちの作品の窯変は1940年から41年にかけてのあの不気味な「時代」だったといっていいのかもしれない」と書いている
さて、昨年はプリンスホテルの会場解約問題、今年は映画「靖国」上映自主規制問題が起きた。右派の隠然たる圧力が、社会をじわじわと窒息させかかっている。父べえが拘置所に移された1940年とはいわないまでも、1930年の状況に近いのではないだろうか。
4月24日からNHK裁判最高裁口頭弁論が始まるが、3月31日(月)の参議院総務委員会で世耕弘成参議院議員は番組編集権に関する質問で「昭和天皇を戦争犯罪人で裁くとんでもない番組をやっていた」と発言した。映画「靖国」で表に出ているのは稲田朋美らだが、そのうち安倍晋三や中川昭一が復権し、ファシズムへの道を再始動させるのはほぼ確実だ。「母べえ」の教訓を生かす必要がある。

なお父の恩師や実父に対する母の毅然とした態度や水泳のエピソードは原作にはない。山田監督の主演女優・吉永小百合へのサービスだったのだろう。溺れた山ちゃんをクロールで助けに行くエピソードがないのは言うまでもない。あのシーンのロケは奄美大島で、クランクアップの昨年5月のものだったそうだ。
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