昨年の井上道義指揮オーケストラ・アンサンブル金沢の「ペーターと狼」(プロコフィエフ)が楽しいコンサートだったので、今年も丸の内のラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)に行った。今年はラムルー管弦楽団と仲道郁代の2つのチケットが取れた。しかし今年もチケット取得は大変だった。売り出し初日にぴあにチャレンジしたがちっともネットがつながらず。夜になってやっとつながった。しかし聞きたいプログラムはすでに売り切れだった。ところが数日後にチケットぴあの店に行くとちゃんと買えた。それどころか当日券も結構売っていたようで、チケット取得のコツがまだよくわからない。なおこのコンサートのチケットは高くても3000円くらいだ。安い理由はコンサートの時間が1時間以内だからだ。普通はその2倍なので値段も2倍になる。
東京国際フォーラムのAは1階3000席、2階2000席という巨大な容量のホールだ。舞台の左右に大きなスクリーンがあり、宮?あおいと宮沢りえの「青の伊右衛門」や「GREEN DA・KA・RA」(サントリー)のCMなどやっていたので、映画の前篇のCMのようなものかと思った。しかしそうではなく、演奏が始まると、指揮者の横顔やオーケストラの団員のアップがテレビ中継のように映し出された。
プログラムの「パリの喜び」は、オッフェンバックの作品から有名なものをセレクトし、指揮者のロザンタールが編曲したものだ。演奏されたのは19曲で、もちろん有名な「天国と地獄」のアレグロやヴィーヴォ、「ホフマンの舟歌」もある。アンコールでもカンカンをやった。指揮のカルイが客席に向かって、「ここは静かに」「ここはもっと盛り上げて」「ここは一拍目だけ大きく」などと手拍子をコントロールする。もともと楽しい曲なので客も大喜びだった。正面のチェロの女性も楽しそうに首を振りながら演奏していた。
もうひとつグノーのファウストから短い曲を3曲演奏した。うち「古風な踊り」、「フリネの踊り」の2曲は中学の時に吹奏楽でやった曲で、なつかしかった。
客の拍手が鳴りやまなかったが、フェイサル・カルイは最後に「お休み」のジェスチャーをして退場した。
ラムルー管弦楽団は2010年まで佐渡裕が首席指揮者だったそうだ。フェイサル・カルイは1971年生まれということなのでまだ40代になったばかりだ。ヒゲ面なのでもっと年上にみえる。馬場管の森山崇さんと同じく指揮台の上で踊るタイプの指揮者だった。その「踊り」はさすがパリ仕込みというか、垢抜けていた。
仲道郁代のほうは、ドビュッシーの「子どもの領分」と「前奏曲集第1巻」の数曲だった。会場はよみうりホール、後ろから2列目、左端から2つ目のいう悪い席だったせいもあるのだろうが、やや退屈であまりよいコンサートとは思わなかった。
この音楽祭は無料のプログラムが充実している。
小学生バンド・イズミノーツ
今年は、ルセロ・テナのトークとカスタネット、チェリーボーイズのディキシーランドジャズ、酒井茜のドビュッシーとラベルのコンサートを聞けた。また千代田区立和泉小学校のジャズビッグバンド・イズミノーツの演奏を聴いた。曲目は「アルルの女」「シング、シング、シング」など。各パートのトップ、ソロを演奏したのは、ドラムセットを除いてすべて女子だった。昨年はチョビ渋という子どもバンドを聞いた。日本の音楽界の未来は明るい。
リハーサル中のチェリスト
その他、マスタークラスを2つ聞けた。公開レッスンというものがあることは知っていたが、見るのは初めて。生徒は音大生。だいたい桐朋で、少し芸大と上野学園の人がいた。
海老彰子さんのマスタークラスの生徒は桐朋学園2年の女性で、わたくしには十分上手に聞こえた。この日の課題曲はラヴェルの「夜のガスパール」から「スカルボ」で、レッスン時間は1時間弱だった。
先生は「もっと不気味に」「こわさが足りない」「こわくするにはどうすればよいか」と言う。「体に力が入っているから音が鳴らない」、「体重が指にかかるといい音が出る」、「太い音を出すには、おなかから弾かないといけない」、「これはスタインウェイのピアノだが、破壊していいから」と言っていた。かつて中村紘子さんの「展覧会の絵」を聞いて、ピアノが壊れそうなくらいの迫力の演奏を聞いたことがある。山下洋輔ではないから本当に破壊することはできないだろうが、言っていることは理解できた。「音が一瞬、的に当たれば力が抜ける」、「ピアノは打楽器だ。弦はまっすぐなので弦に向かって指がまっすぐ入るようにすればよい」、というようなことを具体的にフレーズに沿って繰り返し指摘していた。また「ラベルはどんな時代に生きたのか、どんな人と交流したのか。サティ、ドビュッシー、マラルメ・・・。そういうことも勉強してほしい」とも言っていた。
もうひとつはチェロのロラン・ピドゥのクラスだった。課題曲はドビュッシーのチェロソナタだった。「表情を出しすぎないよう」「重くなりすぎたり、ゆっくりしすぎたり、うたいすぎないように」「品のない表現がひとかけらも出ないように」ということを繰り返し言っていた。よく耳にするのと逆だったので興味深かった。またピアノの伴奏付きなのだが、ピアノが主導するところではピアニストを指導していて面白かった。
東京国際フォーラムのAは1階3000席、2階2000席という巨大な容量のホールだ。舞台の左右に大きなスクリーンがあり、宮?あおいと宮沢りえの「青の伊右衛門」や「GREEN DA・KA・RA」(サントリー)のCMなどやっていたので、映画の前篇のCMのようなものかと思った。しかしそうではなく、演奏が始まると、指揮者の横顔やオーケストラの団員のアップがテレビ中継のように映し出された。
プログラムの「パリの喜び」は、オッフェンバックの作品から有名なものをセレクトし、指揮者のロザンタールが編曲したものだ。演奏されたのは19曲で、もちろん有名な「天国と地獄」のアレグロやヴィーヴォ、「ホフマンの舟歌」もある。アンコールでもカンカンをやった。指揮のカルイが客席に向かって、「ここは静かに」「ここはもっと盛り上げて」「ここは一拍目だけ大きく」などと手拍子をコントロールする。もともと楽しい曲なので客も大喜びだった。正面のチェロの女性も楽しそうに首を振りながら演奏していた。
もうひとつグノーのファウストから短い曲を3曲演奏した。うち「古風な踊り」、「フリネの踊り」の2曲は中学の時に吹奏楽でやった曲で、なつかしかった。
客の拍手が鳴りやまなかったが、フェイサル・カルイは最後に「お休み」のジェスチャーをして退場した。
ラムルー管弦楽団は2010年まで佐渡裕が首席指揮者だったそうだ。フェイサル・カルイは1971年生まれということなのでまだ40代になったばかりだ。ヒゲ面なのでもっと年上にみえる。馬場管の森山崇さんと同じく指揮台の上で踊るタイプの指揮者だった。その「踊り」はさすがパリ仕込みというか、垢抜けていた。
仲道郁代のほうは、ドビュッシーの「子どもの領分」と「前奏曲集第1巻」の数曲だった。会場はよみうりホール、後ろから2列目、左端から2つ目のいう悪い席だったせいもあるのだろうが、やや退屈であまりよいコンサートとは思わなかった。
この音楽祭は無料のプログラムが充実している。
小学生バンド・イズミノーツ
今年は、ルセロ・テナのトークとカスタネット、チェリーボーイズのディキシーランドジャズ、酒井茜のドビュッシーとラベルのコンサートを聞けた。また千代田区立和泉小学校のジャズビッグバンド・イズミノーツの演奏を聴いた。曲目は「アルルの女」「シング、シング、シング」など。各パートのトップ、ソロを演奏したのは、ドラムセットを除いてすべて女子だった。昨年はチョビ渋という子どもバンドを聞いた。日本の音楽界の未来は明るい。
リハーサル中のチェリスト
その他、マスタークラスを2つ聞けた。公開レッスンというものがあることは知っていたが、見るのは初めて。生徒は音大生。だいたい桐朋で、少し芸大と上野学園の人がいた。
海老彰子さんのマスタークラスの生徒は桐朋学園2年の女性で、わたくしには十分上手に聞こえた。この日の課題曲はラヴェルの「夜のガスパール」から「スカルボ」で、レッスン時間は1時間弱だった。
先生は「もっと不気味に」「こわさが足りない」「こわくするにはどうすればよいか」と言う。「体に力が入っているから音が鳴らない」、「体重が指にかかるといい音が出る」、「太い音を出すには、おなかから弾かないといけない」、「これはスタインウェイのピアノだが、破壊していいから」と言っていた。かつて中村紘子さんの「展覧会の絵」を聞いて、ピアノが壊れそうなくらいの迫力の演奏を聞いたことがある。山下洋輔ではないから本当に破壊することはできないだろうが、言っていることは理解できた。「音が一瞬、的に当たれば力が抜ける」、「ピアノは打楽器だ。弦はまっすぐなので弦に向かって指がまっすぐ入るようにすればよい」、というようなことを具体的にフレーズに沿って繰り返し指摘していた。また「ラベルはどんな時代に生きたのか、どんな人と交流したのか。サティ、ドビュッシー、マラルメ・・・。そういうことも勉強してほしい」とも言っていた。
もうひとつはチェロのロラン・ピドゥのクラスだった。課題曲はドビュッシーのチェロソナタだった。「表情を出しすぎないよう」「重くなりすぎたり、ゆっくりしすぎたり、うたいすぎないように」「品のない表現がひとかけらも出ないように」ということを繰り返し言っていた。よく耳にするのと逆だったので興味深かった。またピアノの伴奏付きなのだが、ピアノが主導するところではピアニストを指導していて面白かった。