多面体F

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

遠くの戦争――日本のお母さんへ

2009年08月25日 | 観劇など
今年も非戦を選ぶ演劇人の会のピースリーディングが8月17日・18日の2日間開催され、18日に観劇した。全労済ホール・スペース・ゼロにつくられた階段席はほぼ満席となった。

第1部 朗読劇「遠くの戦争――日本のお母さんへ」(作:篠原久美子/構成・演出:渡辺えり)
主人公は、パレスチナの難民アブドゥール君(占部房子)、パレスチナの子供の里親運動に参加し毎月5000円ずつアブドゥール君に送金し続ける日本の母(キムラ緑子)、派遣の仕事を切られた20代の息子(植田真介)の3人である。
13歳のアブドゥール君は難民キャンプで暮らす。仕事がみつからなかった兄は行方不明、難民は医師、弁護士、会計士などの職にはつけないのでアブドゥール君の将来の希望も限定されている。しかし日本でも派遣切りが進行し、息子は人に役立つ仕事をしたいと、ついに自衛隊入隊を決意する。若者に希望がないという点では、日本もパレスチナも同様なのだ。母は息子にメールを送り、思いとどまるよう必死に説得する。自分の子を戦場に送りたくないのは、子どもを死なせたくないからだが、それだけではない。息子に人殺しをさせたくないからだ。
劇は、日本のお母さんとパレスチナとの往復書簡を中心に進行し、経済的に送金の継続が難しくなってきた最後の母の手紙には「日本にはたしかにパレスチナと同じように爆撃を受けた広島があるが、いまの日本は人の痛みを感じないイスラエルに近づいてきている」と危機を露わにした文面が綴られる。
これに、2008年12月27日の空爆で150人が爆死し09年の正月にはイスラエルの地上軍が侵攻し2週間で1417人(うち民間人923人)が殺されたガザの話、トラック運転手の仕事に応募してイラクに送られ、劣化ウラン弾で汚染した水を飲み体内被曝し白血病を発症したアメリカ人マイケル(大沢健)の話、過労で65キロの体重が52キロになり、23歳で首つり自殺した派遣社員の息子をもつ母親(根岸季衣)の話、里親運動を始めた広河隆一に「子どもたちが勉強の機会を与えられるとゲリラにならない。飢えた戦士になるべきだ」と殺害予告が届いたが、とんでもない話だとアブニダル派の事務所にデモをかけたパレスチナの母親たちの話、元イスラエル将兵の青年が2004年に加害行為を告白する写真展「沈黙を破る」を開催した話が交えられる。そして雨宮処凛(円城寺あや)、赤木智弘(板倉光隆)、土井敏邦(宇梶剛士18日)、堤未果(明樹由佳)、小西誠(猪熊恒和)、大江健三郎(金内喜久夫18日)という役名の人物も登場し、著書を引用し朗読する。
黄色いヒマワリ畑の後方に立つアブドゥール君の姿が印象的だった。
登場した役者はじつに37人。かなり複雑な構成だったが、現代の日本とパレスチナの問題は地続きで、それをつなぐのが母の思いであることが十分表現されていた。
役者では、大塚道子、根岸季衣、キムラ緑子らベテランがしっかりした演技をしていた。また石井正則、大沢健、鈴木弘秋、丸尾聡、山口馬木也が好演だった。
夢の遊眠社のスター女優だった円城寺あやを久し振りにみた。キルに出ていた深沢敦は、体型で得していると思った。
オープニングで山崎ハコが「しゃれこうべと大砲」をギター弾き語りで歌い、エンディングで毬谷友子がキーボードを弾きながら「教訓」を歌った。毬谷がこれほど歌がうまいとは知らず驚いた。その他「死んだ男の残したものは」の曲やパレスチナの音楽が流れていた。

第2部 ドキュメンタリー映画『沈黙を破る』の土井敏邦さんへのインタビュー
(聞き手は渡辺えりさんと篠原久美子さん)
土井さんは、キブツで半年暮らしたあとパレスチナを訪れ「キブツはだれのものか知っているか」と聞かれたことが人生の転換点となった。「戦場の村」(本多勝一)を読みジャーナリストを志した。1985年からパレスチナを何度も訪れ、2009年ドキュメンタリー映画「沈黙を破る」を発表した。
この映画は、2002年イスラエル軍のヨルダン西岸侵攻のなかの難民キャンプの模様と、2004年にテルアビブで写真展を開催した元イスラエル将兵の青年たちへのインタビューからなる。難民キャンプでは、爆撃の様子、爆死した男たちの死体を前に泣く女性、瓦礫を掘り起こし住民を探す人びと、「シャロンの家で自爆することが希望」と答える少年、狂ったように泣き叫ぶアメリカ人ボランティア女性らが映し出される。
また自分が行った加害行為を告白するイスラエルの青年たちは「世界で最も道徳紀律が高い」と教えられた軍隊の実態、難民に絶対的な力をもつなかでどんどん権力意識が高まった様子、「死の確認」は兵士の基礎なので、たとえ少女にも止めの銃弾を連射したこと、教科書ではアパルトヘイトはいけないと教えられたのにヘブロンでは違っていたことに衝撃を受けたこと、などと語った。
土井さんは、ジャーナリストの役割のひとつは、読者を現場に連れて行き、読者が想像できる素材をそっと差し出すことだという。
ボランティアのアメリカ人女性が泣き叫んでいたシーンについて「個人は国を背負っている。元慰安婦の方からみれば、自分も日本人の一人だ。だから愛国心をいうなら、負の歴史を背負う覚悟をもってから言ってほしい」と語った。
「自爆が希望」という少年について「人間にとって一番こわいのは希望を失い、自暴自棄になることだ。イスラエルの人は『パレスチナの人は、子どもを自爆するテロリストに育てるから卑怯だ』と非難する。しかし、どうして子どもが自爆することが希望、などという声を上げざるをえなくなったのか、理由を考えるべきだ」と説明した。
また日本とパレスチナに共通するのは「人間が人間らしく生きる権利を取り戻す」ことだといい、
「平和とは戦争でない状態という人には腹が立つ。今年初めのガザ空爆と地上軍侵攻のときは世界の注目が集まったが、いまだれも報道しない。しかし封鎖されているガザにはミルクもガソリンも入ってこない。仕事もなく留学することもできない。じわじわ真綿で首を絞めるように生きる基盤を壊し、人間の尊厳を奪い取る。いまが一番苦しい時期だ」と強調した。
この映画で伝えたかったのは「パレスチナ人も人間だ。死んだ1400人の人にも、アマル、モハマドなど一人ひとり名前があり、家族があり、家族の悲しみがある人間だということを感じてほしい。本当の国際人とは、国境を越えて同じ人間であることを感じ取る感性をもつ人のことだ」
「歴史で、被害から教え始めると、われわれは何をしなければいけないかという話になる。ホロコーストから始めると何でもやってよいことになり、アパルトヘイトしていることをだれも言わなくなる」
「わたしがパレスチナのことを人びとに伝えたいのは、かわいそうだからではない。人間がどう生きるか、生きる根本を教えられたからだ。わたしにとって、ジャーナリストとしても人間としても、パレスチナは学校だ」
と語った。

なおゲストに予定された森光子さんは残念ながら京都から戻れず、ビデオメッセージが寄せられた。
2003年2月に始まったピースリーディングは、今回で13回目だそうだ。会場では、アマルちゃん募金パレスチナ子供の里親運動JVC(日本国際ボランティアセンター)の3団体へのカンパが行われた。
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