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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

未来志向の渡来人歴史館

2009年08月28日 | 博物館など
大津駅から西に5分ほど歩いた国道1号線とJR琵琶湖線の狭間に4階建ての渡来人歴史館がある。この歴史館は、河炳俊さんが代表を務める近江渡来人倶楽部が6年がかりで準備し、2006年5月オープンした。

河さんは1948年生まれ、25歳のとき不動産会社を設立し、36歳で大津JCの理事長に就任した実業家である。渡来人倶楽部は、在日コリアンや外国籍住民が「地域社会の一員として心豊かに暮らすことのできる多文化共生社会」の実現をめざし設立した。マイノリティの先輩として、就労、教育問題など何かニューカマーにできることはないかということが動機だったという。
わたくしはこれまで高麗博物館在日韓人歴史資料館をみたが、この歴史館が他と大きく違うのは未来志向である点だ。
「過去と正面から向き合うことによって、不幸な歴史を繰り返さない」「正確で客観的な東アジア関係史」という点は他の2館と共通だが、「明日のために歴史を知ろう」「歴史館の学習とは、過ちを指摘するものではなく、責任を問うものでもない」という方針を大きく打ち出している。
そこで韓国・朝鮮人などと限定せず「渡来人」という名称を館名に付けている。先輩渡来人である在日コリアンだけでなく、いま増えているブラジル人、中国人の将来にも目を向けている。2007年の登録外国人統計によれば滋賀県にいる外国人は3万1458人、うち韓国・朝鮮人は6242人(20.1%)である。一方ブラジル人は1万4342人、ペルー人が1931人で合計すると51.7%を占め、中国人は4580人となっている。

2階の展示は檀君神話(熊が神に頼んで人間の女になり、その女性が生んだ子どもが朝鮮王朝をつくったという神話)とイザナギ・イザナミの日本神話の比較から始まる。展示室は110平方メートルあり、向って右の「近江と渡来人」と左の「日本と朝鮮半島との関係」に大きく分かれる。
645年の大化の改新のあと難波長柄豊碕宮(大阪市中央区)を経て、667年天智天皇(もとの中大兄皇子)は近江大津宮に遷都した。近江神宮南側の錦織という地である。それより4年前の663年、百済・倭の連合軍は白村江の戦いで唐・新羅に敗れた。百済の高官は近江朝廷に多数仕え、665年に神崎郡に400人、669年蒲生郡に700人もの渡来人が集住した。そこで滋賀県には百済寺、鬼室神社、高麗寺など多くの渡来文化に関連する社寺、文化財がある。なお天智天皇は遷都5年後の672年1月死去し壬申の乱がおこり、672年9月都は大津から飛鳥浄御原宮に移った。
「日本と朝鮮半島との関係」の近現代の歴史は、「韓国併合・日帝強占」「光復、解放、分断の戦後」「他民族共生社会」の3枚のパネルからなる。
「韓国併合・日帝強占」には1894年日清戦争で清とのつながりを断たれ、1904年日露戦争によりロシアとの関係を断たれ、1905年乙巳保護条約で独立性を奪われた。独立を守ろうとする義兵部隊の抗日戦争がはげしくなり1909年安重根が伊藤博文をハルビン駅で射殺した、と韓国併合への道を解説していた。
このなかの「1894年日清戦争で清とのつながりを断たれ、1904年日露戦争によりロシアとの関係を断たれ」という部分は日清・日露戦争の本質をじつにシンプルに言い当てていると感心した。侵略戦争の本質は侵略された側の記録をみてはじめて十分理解できる。
またたった3枚のパネルの1枚を「他民族共生社会」に充てているところに、この館の未来志向の方針がよく表れている。近くて遠い国から遠くて近い国へ。人権尊重にかなう施策と住民レベルでの相互理解と書かれていた。

3階には「世界と日本」の年表が展示されている。年表は3部に分かれている。まず15世紀の大航海時代から18世紀のアメリカ独立、産業革命まで。そして「世界化rみたニッポン 近代100年の歴史」に続く。上段が「開国から戦争への道」(近代化政策の結果)、下段が「アジアからの期待と批判」(大東亜共栄圏構想の本質)の2段の年表である。日本とアジア諸国双方の見方の違いを示す鋭い着眼であった。

右側の壁に、改訂大東亜共栄圏詳図(大阪毎日新聞社)が掲示されていた。地図の範囲は、北はカムチャッカから南はオーストラリア、東はハワイから西はアフガニスタンまでである。どんな図法なのかわからないが、いまわたしたちが普通にみるメルカトル図法の地図に比べ、フィリピン、ボルネオ、スマトラ、ニューギニアが大きく強調されている。地図の真ん中には、左からヤップ支庁、トラック支庁、ポナペ支庁、ヤルート支庁が並ぶ。まったく同じ形の縦長長方形で、その左上にサイパン支庁がある。当時は世界に冠たる大日本帝国の領土とながめられていたのだろうが、いまみるとじつに広大な地域を侵略し、軍人が多くの住民に武力を振るい、多大な迷惑をかけていたことが想像される。
3階入り口には伊藤博文から高橋是清までの歴代首相の肖像写真と金九漢氏の「流浪の民の望郷」が陳列されていた。この陶器の彫像は、沖縄の小島に住む元従軍慰安婦をモデルにしたである。同じものは3体あり、ドイツ、大久保の高麗博物館、そしてここにある。

住所:滋賀県大津市梅林2丁目4番6号
電話:077-525-3030
開館日:水曜日~日曜日(月曜、火曜は休館)
開館時間:10:00-17:00(入館は16:30まで)
入館料:200円(高校生以下は無料)
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2 コメント

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鬼室神社、行きました。 (吉川真司)
2009-08-29 03:48:39
司馬遼太郎のエッセイ『街道をゆく』は近江路から始まりますね、そこに鬼室神社が登場します。私の母方の祖父母の出身が、高松塚古墳で有名な飛鳥の南端、桧前(ひのくま)という所です。古代朝鮮からの二大渡来系氏族として秦氏と漢氏が知られていますが、桧前は漢氏が住み着いたとされる場所です。百済からの亡命者がやってくる以前の話です。

ですから私にも大陸のDNAが入っている可能性は濃厚で、まあ所詮日本人はほとんど混血だと思っている私は声高にジャポニズムを叫ぶ輩とは距離を置きたいですね。北方から、はたまた黒潮に乗って南方から、幾多に渡って人々が流れ着いてて来たのがこの日本です。ここから先はどでかい太平洋しかありません。言ってみれば吹き溜まりなのです。

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在特会と韓国・朝鮮人 (Nippon)
2010-09-03 05:16:04
『在日特権を許さない市民の会』と『韓国・朝鮮人』との関係展示をぜひ渡来人歴史館でやってほしい。
『在特会』の未来が明日の『日本国』を象徴するだろう!!
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