8月15日午後、恒例の8.15集会とデモが行われた。この日の集会の趣旨は、国家による慰霊追悼を許さず、進行する戦争国家化に反対するものである。「祝日法改正」は解散総選挙で成立しなかったが、9月召集の新議会で優先して成立が図られる可能性が高い。奉祝20年キャンペーンは断固阻止しなければならない。
一方、在日特権を許さない市民の会(以下「在特会」)や主権回復を目指す会の排外主義運動が高まりつつある。この日の集会には、こうした動きに対抗する大きなパペットが登場した。パペットの目には、靖国の扉にある大きな菊の紋章がはめ込まれていた。
全水道会館で行われた今回の集会タイトルは「アキヒト天皇制20年『戦争国家で安心安全』を問う8.15行動へ!」だった(主催 8.15行動実行委員会、参加170人)。
まず小倉利丸さん(富山大学教員)の講演があった。
戦後象徴天皇制は質的に変わらざるをえない時期に来ている。
戦後象徴天皇制の役割は、国家イベントのための、目に見えるかたちでの国民統合だった。天皇制は戦前・戦中・戦後に日本が侵したさまざまな過ちを隠ぺいし「日本人」というナショナリズムを再生産してきた。「日本人でよかった」という実感とはなにかといえば、1960年代の高度成長、70年代の一億総中流意識という経済的な豊かさだった。戦後象徴天皇制は、経済的豊かさをナショナリズムの中核に据えてきたといえる。そして在日コリアン、在日中国人、炭鉱を離職し都市の日雇い労働に出た人など、豊かさから排除された人を覆い隠す役割を果たした。
対外的にみると、豊かさの源泉は朝鮮戦争やベトナム戦争を支える日米同盟および特需だった。とくに60年代後半以降は日本資本が国際化し、東南アジアを市場とし「第二の侵略」とまで呼ばれた。天皇の「お言葉」は、さまざまな構造的な問題を隠ぺいし、日本は豊かさを謳歌した。
ところが冷戦以降、日本はグローバルな資本主義に取り込まれ一億総中流という幻想を維持できなくなった。貧困と格差の高まりで階級的分断を持ち込まざるをえなくなった。
では新しい国民統合の軸をどこに求めればよいのか。安直で古い選択だが、おそらく軍事、安全保障の側面に軸を見出さざるをえなくなるだろう。たとえば北朝鮮の脅威とか、その背後にある中国の脅威といったことだ。
新しい象徴天皇制をつくりえていないという点では危機だが、しかしゆるやかな危機にすぎない。その理由は現行憲法に象徴天皇制が規定されており、それを支える機構が制度として現実に社会で機能しているからだ。現在、支配層は今後どのように天皇制を利用していくか模索している。天皇制の危機は、皇室や皇族という問題ではなく、国民の動員体制といような国家体制全体の問題なのである。
象徴天皇制が抱える問題はもうひとつある。日本企業の多国籍化で欧米や新興国の企業との競争が激しくなり、アキヒトは皇室外交で、繰り返し海外へ出かけた。しかし在特会や旧来の右翼の自民族中心主義や排外主義とは相容れない側面がある。また日本企業の進出を支えるメンタリティは、多国籍企業のなかで、主役は日本人、担い手は日本人という「日本人」の物語である。
欧米諸国は、そもそも多民族性を前提として建国の理念をつくりあげてきた。一方日本には建国の理念そのものがない。あるのは単一民族国家の幻想や偏見だけで、いまだに多くの日本人の底流になっている。市民運動のかたちをとる在特会の排外主義や民族主義を煽る活動もそのひとつだ。これは資本がグローバリズムを進めるうえでネックになっている。開明的な支配層は、多文化共生を制度に取り込むことを考えているのではないだろうか。これがいまの状況だ。
ここで、戦後の日本とドイツの比較について言及したい。ドイツは、日本と違いなぜ戦争責任に向き合えたのか。倫理や道徳的側面だけでなく、資本の論理の側面もある。ドイツは復興する時期に、フランスやイギリスと対抗し主導権を握る必要があり、そのひとつのプロセスとして、戦争責任の問題を避けられなかった。一方日本は、中国が社会主義国家となり、朝鮮は分断されたため、戦争責任に向かい合わなくても存続できた。日米同盟のもと、国内の豊かさ達成を第一にし、東南アジアに再進出することができた。つまり日本もドイツもともに、戦前も戦後も市場獲得と搾取を一貫し、資本主義を動かしてきたのにすぎない。
マスメディアによる大衆動員の力は低下し、それに代わるものとしてインターネットが注目されている。ネット右翼はユーチューブによる動画やメールを駆使しているもののセンセーショナルな映像やメッセージで終わっている。大衆を動員するためには、どこかでしっかりした組織がからまないとうまくいかないだろう。特に在特会のように、あからさまな民族差別や醜悪な言動を繰り返すと、上から組織化することが難しくなる。
ただ人々が偏見を持ち続け、それがネットを通じて「朝鮮人帰れ!」などと公然と噴出したことは考えるべき大きな問題である。それに対しわたしたちが、こちら側からきちんと対抗的なメッセージを出していく必要がある。わたしたちは文章を考えたり、集会を開いて発言することは得意だが、発信し流通させる回路が限定されている。既成のマスメディアには頼れないので自前でつくる必要がある。こういう回路をつくれれば受身に立たされている状況も変えられる。
今年は奉祝20年、おめでとう一色の状況だが、天皇制にはマイノリティの意見発信をちゅうちょさせたり、自己規制させる抑圧的な側面がある。自由に「ノー」といえる回路、多様な価値観を発信できる回路をつくる必要がある。
リレートーク
●入管法改悪問題 平野良子さん
7月8日、改悪入管法と入管特例法が参議院を通過し成立した。2001年の9.11へのテロ対策を口実に入管法はほとんど毎年のように改悪されている。「いい外国人」と「悪い外国人」を徹底的に選別することが目的だ。2003年小泉首相は5年で違法滞在者を半減させると公言し、たしかに25万人を12万人(08年)に減少させた。その陰には、警察や入管職員がアパートや駅で張り込み、外国人登録証を提示させたり、マスコミが外国人犯罪キャンペーンを行ったことがあった。しかし外国人犯罪数は、統計的には事実ではなかった。
07年11月にはUSヴィジット日本版が施行され、入国・再入国する外国人に、指紋と顔画像の情報提供を義務づけた。しかしアメリカですらテロ容疑者は1人も摘発されず、むしろ人権活動家の入国排除に利用されている。
今回の改悪は、3ヵ月以上日本に滞在する外国人に在留カードを発行するものだ。ビザのない人や難民申請を申請中の人には適用されず、不存在となる。いままではビザのない人にも自治体が重病者や、子どもの学校など一定の行政サービスを独自に行ってきた。また労働関係法が適用され、労災や賃金不払いが救済された。在留カードのせいで、そういうことは表に出にくくなる。
こういう説明を、すでに日本に滞在する外国人にいっさい説明せず、意見も聞かず政府は改悪法制定を強行した。そして、代わりに技能実習という資格を整備した。しかし研修生、実習生には悲惨な実例が多い。
この法律は3年後に施行される。その間に、外国人の生存権ができるだけ侵害されないような方向を現場で模索しなければいけない。今回の法改正でますます排除と管理が強化され、それを背景に在特会のような排外主義の動きが強まっている。これを現場から跳ね返すことも課題のひとつである。
●外国人排斥問題 K介さん
今日は、このでかいパペットとヒロヒトの小さいパペットをつくって持ってきた。在特会や主権回復を目指す会は「外国人が日本に住んでいるだけで犯罪だ。帰化したくないなら祖国に帰れ」という。やつらは右翼だが、外国人排斥運動をする連中は市民運動のかたちをとり、ウヨクっぽくないデモをする。それにだまされ右翼のデモとは思わず普通の人が参加している。そしてデモの生中継を動画で配信したり、終了してから編集してユーチューブに公開する。こういう新しい戦術に長けているので甘くみてはいけない。
しかしやつらにパペットという文化は、いまはまだない。先日の靖国キャンドルデモにパペットをもっていったらやつらは怒り狂って、今日これを破壊すると宣戦布告している。こちらもデモを進化させないといけない。
仲間から「ふざけたことをするな」と言われることもある。しかし日本人らしさのなかで、彼らは「長いものにまかれろ」に同調するが、こちらはそれに対抗し「日本人のお祭り好き」に訴えて、パペットやサウンドデモを続けていきたい。
●国民保護法問題 池田五律さん
この20年を振り返ると、犯罪が増えているとかテポドンが飛んでくるとか、大地震が起きるとかテロがあるとか、不安と恐怖をあおり、非常事態の際に憲法の制約を無視して国家権力を発動し危機管理体制をつくる動きが着々と進行してきた。それを民衆に受け入れさせ、積極的に協力させる体制がつくられている。
大規模震災に関しては90年代初めに自衛隊がビッグレスキューという演習を行った。ポスト冷戦で防災に目を向けたものだ。この東京版は「首都を守れ」といっているが、けして「都民を守れ」ではない。自衛隊は政府中枢機能を防衛する。都民は自助共済の方針で、自ら避難し自主防災組織をつくれというかたちだ。2003年武力攻撃事態法ができ、武力攻撃事態災害(けして戦災とはいわない)が発生すると、国民保護法に基づき自ら避難し相互に監視しあう仕組みになっている自然災害であれ戦災であれ、彼らが守るのは天皇と政治経済の中枢であり、市民の命ではない。
またこの間目立つのは、警察の軍事化と自衛隊の警察化である。警察は自主防犯を組織化するため、生活安全に力を注いだ。有事になる前に平素から予防し有事に即応する体制づくりを進めた。自衛隊は情報収集と情報管理の徹底、つまり防諜と諜報を強化した。テロを口実に軍隊が安全対策に乗り出すことに注意すべきだ。オバマが言っているのは「国際法を守らないやつは処罰する。テロ対策という呼び方はやめ、犯罪者に対する治安維持のため軍隊を出動させる。犯罪者相手なら何をやってもよい」ということだ。海賊は犯罪だという言い方で、犯罪対策としての海外派兵が拡大されていくことに警戒すべきである。
今年暮れ防衛大綱を見直して、陸上自衛隊に陸上総隊を設置し統合運用を図る。そして内も外も一元的に管理するといっている。また民主党のマニフェストにも、危機管理庁をつくるなど危機管理国家の強化が含まれており、政権が変わっても方向は変わらない。防災と防犯と国民保護、それらが全部重なり合ったところで進む相互監視体制、危機管理体制に断固反対していこう。
●靖国問題 戦闘的ゴジラ主義者
靖国解体企画は、93年ごろから毎年8月15日正午ころにデモを行っている。今年は市ヶ谷駅から靖国神社南門に向かおうとした。ところが駅を出ると警官が集結しており、取り囲まれ、東郷公園に誘導され、そこから出られなかった。いままでで一番遠いところからの抗議になり悔しい思いをした。
靖国神社は戦争のための動員施設だ。あいつも死んだから、お前も続いて死んでこいと、国のためわたしたちを動員していくシステムだ。似た施設として各県に護国神社、各市町村に忠魂碑がある。
集会前に白山通りに集結した右翼の街宣車
☆8月15日なので全国各地で集会が開催された。いくつかメッセージが読み上げられた。国立追悼施設に反対する宗教者ネットワークのものを紹介する。
民主党・鳩山党首、岡田幹事長、社民党・保坂副幹事長が政権を獲得すれば国立追悼施設建設を推進すると言っている。鳩山は「陛下が心安らかに行かれる施設が好ましい」という。しかしこの施設は戦争で殺された死者を再び国家に捧げようとするものである。天皇が戦争で殺された人と向かい合って心安らかになる場所など、けして容認できるものではない。
☆集会のあとデモが行われた。私は参加していないが、在特会のメンバーが九段下で待ち伏せしていた。ユーチューブをみると「水晶の夜」(1938年11月9日)も遠からず来るのではないかという気がする。また一般市民が民家に押し入り、男性を絞殺し、女性を裸にして縛り上げるマックス・ベックマンの「夜」という絵が目に浮かんだ。
一方、在日特権を許さない市民の会(以下「在特会」)や主権回復を目指す会の排外主義運動が高まりつつある。この日の集会には、こうした動きに対抗する大きなパペットが登場した。パペットの目には、靖国の扉にある大きな菊の紋章がはめ込まれていた。
全水道会館で行われた今回の集会タイトルは「アキヒト天皇制20年『戦争国家で安心安全』を問う8.15行動へ!」だった(主催 8.15行動実行委員会、参加170人)。
まず小倉利丸さん(富山大学教員)の講演があった。
戦後象徴天皇制は質的に変わらざるをえない時期に来ている。
戦後象徴天皇制の役割は、国家イベントのための、目に見えるかたちでの国民統合だった。天皇制は戦前・戦中・戦後に日本が侵したさまざまな過ちを隠ぺいし「日本人」というナショナリズムを再生産してきた。「日本人でよかった」という実感とはなにかといえば、1960年代の高度成長、70年代の一億総中流意識という経済的な豊かさだった。戦後象徴天皇制は、経済的豊かさをナショナリズムの中核に据えてきたといえる。そして在日コリアン、在日中国人、炭鉱を離職し都市の日雇い労働に出た人など、豊かさから排除された人を覆い隠す役割を果たした。
対外的にみると、豊かさの源泉は朝鮮戦争やベトナム戦争を支える日米同盟および特需だった。とくに60年代後半以降は日本資本が国際化し、東南アジアを市場とし「第二の侵略」とまで呼ばれた。天皇の「お言葉」は、さまざまな構造的な問題を隠ぺいし、日本は豊かさを謳歌した。
ところが冷戦以降、日本はグローバルな資本主義に取り込まれ一億総中流という幻想を維持できなくなった。貧困と格差の高まりで階級的分断を持ち込まざるをえなくなった。
では新しい国民統合の軸をどこに求めればよいのか。安直で古い選択だが、おそらく軍事、安全保障の側面に軸を見出さざるをえなくなるだろう。たとえば北朝鮮の脅威とか、その背後にある中国の脅威といったことだ。
新しい象徴天皇制をつくりえていないという点では危機だが、しかしゆるやかな危機にすぎない。その理由は現行憲法に象徴天皇制が規定されており、それを支える機構が制度として現実に社会で機能しているからだ。現在、支配層は今後どのように天皇制を利用していくか模索している。天皇制の危機は、皇室や皇族という問題ではなく、国民の動員体制といような国家体制全体の問題なのである。
象徴天皇制が抱える問題はもうひとつある。日本企業の多国籍化で欧米や新興国の企業との競争が激しくなり、アキヒトは皇室外交で、繰り返し海外へ出かけた。しかし在特会や旧来の右翼の自民族中心主義や排外主義とは相容れない側面がある。また日本企業の進出を支えるメンタリティは、多国籍企業のなかで、主役は日本人、担い手は日本人という「日本人」の物語である。
欧米諸国は、そもそも多民族性を前提として建国の理念をつくりあげてきた。一方日本には建国の理念そのものがない。あるのは単一民族国家の幻想や偏見だけで、いまだに多くの日本人の底流になっている。市民運動のかたちをとる在特会の排外主義や民族主義を煽る活動もそのひとつだ。これは資本がグローバリズムを進めるうえでネックになっている。開明的な支配層は、多文化共生を制度に取り込むことを考えているのではないだろうか。これがいまの状況だ。
ここで、戦後の日本とドイツの比較について言及したい。ドイツは、日本と違いなぜ戦争責任に向き合えたのか。倫理や道徳的側面だけでなく、資本の論理の側面もある。ドイツは復興する時期に、フランスやイギリスと対抗し主導権を握る必要があり、そのひとつのプロセスとして、戦争責任の問題を避けられなかった。一方日本は、中国が社会主義国家となり、朝鮮は分断されたため、戦争責任に向かい合わなくても存続できた。日米同盟のもと、国内の豊かさ達成を第一にし、東南アジアに再進出することができた。つまり日本もドイツもともに、戦前も戦後も市場獲得と搾取を一貫し、資本主義を動かしてきたのにすぎない。
マスメディアによる大衆動員の力は低下し、それに代わるものとしてインターネットが注目されている。ネット右翼はユーチューブによる動画やメールを駆使しているもののセンセーショナルな映像やメッセージで終わっている。大衆を動員するためには、どこかでしっかりした組織がからまないとうまくいかないだろう。特に在特会のように、あからさまな民族差別や醜悪な言動を繰り返すと、上から組織化することが難しくなる。
ただ人々が偏見を持ち続け、それがネットを通じて「朝鮮人帰れ!」などと公然と噴出したことは考えるべき大きな問題である。それに対しわたしたちが、こちら側からきちんと対抗的なメッセージを出していく必要がある。わたしたちは文章を考えたり、集会を開いて発言することは得意だが、発信し流通させる回路が限定されている。既成のマスメディアには頼れないので自前でつくる必要がある。こういう回路をつくれれば受身に立たされている状況も変えられる。
今年は奉祝20年、おめでとう一色の状況だが、天皇制にはマイノリティの意見発信をちゅうちょさせたり、自己規制させる抑圧的な側面がある。自由に「ノー」といえる回路、多様な価値観を発信できる回路をつくる必要がある。
リレートーク
●入管法改悪問題 平野良子さん
7月8日、改悪入管法と入管特例法が参議院を通過し成立した。2001年の9.11へのテロ対策を口実に入管法はほとんど毎年のように改悪されている。「いい外国人」と「悪い外国人」を徹底的に選別することが目的だ。2003年小泉首相は5年で違法滞在者を半減させると公言し、たしかに25万人を12万人(08年)に減少させた。その陰には、警察や入管職員がアパートや駅で張り込み、外国人登録証を提示させたり、マスコミが外国人犯罪キャンペーンを行ったことがあった。しかし外国人犯罪数は、統計的には事実ではなかった。
07年11月にはUSヴィジット日本版が施行され、入国・再入国する外国人に、指紋と顔画像の情報提供を義務づけた。しかしアメリカですらテロ容疑者は1人も摘発されず、むしろ人権活動家の入国排除に利用されている。
今回の改悪は、3ヵ月以上日本に滞在する外国人に在留カードを発行するものだ。ビザのない人や難民申請を申請中の人には適用されず、不存在となる。いままではビザのない人にも自治体が重病者や、子どもの学校など一定の行政サービスを独自に行ってきた。また労働関係法が適用され、労災や賃金不払いが救済された。在留カードのせいで、そういうことは表に出にくくなる。
こういう説明を、すでに日本に滞在する外国人にいっさい説明せず、意見も聞かず政府は改悪法制定を強行した。そして、代わりに技能実習という資格を整備した。しかし研修生、実習生には悲惨な実例が多い。
この法律は3年後に施行される。その間に、外国人の生存権ができるだけ侵害されないような方向を現場で模索しなければいけない。今回の法改正でますます排除と管理が強化され、それを背景に在特会のような排外主義の動きが強まっている。これを現場から跳ね返すことも課題のひとつである。
●外国人排斥問題 K介さん
今日は、このでかいパペットとヒロヒトの小さいパペットをつくって持ってきた。在特会や主権回復を目指す会は「外国人が日本に住んでいるだけで犯罪だ。帰化したくないなら祖国に帰れ」という。やつらは右翼だが、外国人排斥運動をする連中は市民運動のかたちをとり、ウヨクっぽくないデモをする。それにだまされ右翼のデモとは思わず普通の人が参加している。そしてデモの生中継を動画で配信したり、終了してから編集してユーチューブに公開する。こういう新しい戦術に長けているので甘くみてはいけない。
しかしやつらにパペットという文化は、いまはまだない。先日の靖国キャンドルデモにパペットをもっていったらやつらは怒り狂って、今日これを破壊すると宣戦布告している。こちらもデモを進化させないといけない。
仲間から「ふざけたことをするな」と言われることもある。しかし日本人らしさのなかで、彼らは「長いものにまかれろ」に同調するが、こちらはそれに対抗し「日本人のお祭り好き」に訴えて、パペットやサウンドデモを続けていきたい。
●国民保護法問題 池田五律さん
この20年を振り返ると、犯罪が増えているとかテポドンが飛んでくるとか、大地震が起きるとかテロがあるとか、不安と恐怖をあおり、非常事態の際に憲法の制約を無視して国家権力を発動し危機管理体制をつくる動きが着々と進行してきた。それを民衆に受け入れさせ、積極的に協力させる体制がつくられている。
大規模震災に関しては90年代初めに自衛隊がビッグレスキューという演習を行った。ポスト冷戦で防災に目を向けたものだ。この東京版は「首都を守れ」といっているが、けして「都民を守れ」ではない。自衛隊は政府中枢機能を防衛する。都民は自助共済の方針で、自ら避難し自主防災組織をつくれというかたちだ。2003年武力攻撃事態法ができ、武力攻撃事態災害(けして戦災とはいわない)が発生すると、国民保護法に基づき自ら避難し相互に監視しあう仕組みになっている自然災害であれ戦災であれ、彼らが守るのは天皇と政治経済の中枢であり、市民の命ではない。
またこの間目立つのは、警察の軍事化と自衛隊の警察化である。警察は自主防犯を組織化するため、生活安全に力を注いだ。有事になる前に平素から予防し有事に即応する体制づくりを進めた。自衛隊は情報収集と情報管理の徹底、つまり防諜と諜報を強化した。テロを口実に軍隊が安全対策に乗り出すことに注意すべきだ。オバマが言っているのは「国際法を守らないやつは処罰する。テロ対策という呼び方はやめ、犯罪者に対する治安維持のため軍隊を出動させる。犯罪者相手なら何をやってもよい」ということだ。海賊は犯罪だという言い方で、犯罪対策としての海外派兵が拡大されていくことに警戒すべきである。
今年暮れ防衛大綱を見直して、陸上自衛隊に陸上総隊を設置し統合運用を図る。そして内も外も一元的に管理するといっている。また民主党のマニフェストにも、危機管理庁をつくるなど危機管理国家の強化が含まれており、政権が変わっても方向は変わらない。防災と防犯と国民保護、それらが全部重なり合ったところで進む相互監視体制、危機管理体制に断固反対していこう。
●靖国問題 戦闘的ゴジラ主義者
靖国解体企画は、93年ごろから毎年8月15日正午ころにデモを行っている。今年は市ヶ谷駅から靖国神社南門に向かおうとした。ところが駅を出ると警官が集結しており、取り囲まれ、東郷公園に誘導され、そこから出られなかった。いままでで一番遠いところからの抗議になり悔しい思いをした。
靖国神社は戦争のための動員施設だ。あいつも死んだから、お前も続いて死んでこいと、国のためわたしたちを動員していくシステムだ。似た施設として各県に護国神社、各市町村に忠魂碑がある。
集会前に白山通りに集結した右翼の街宣車
☆8月15日なので全国各地で集会が開催された。いくつかメッセージが読み上げられた。国立追悼施設に反対する宗教者ネットワークのものを紹介する。
民主党・鳩山党首、岡田幹事長、社民党・保坂副幹事長が政権を獲得すれば国立追悼施設建設を推進すると言っている。鳩山は「陛下が心安らかに行かれる施設が好ましい」という。しかしこの施設は戦争で殺された死者を再び国家に捧げようとするものである。天皇が戦争で殺された人と向かい合って心安らかになる場所など、けして容認できるものではない。
☆集会のあとデモが行われた。私は参加していないが、在特会のメンバーが九段下で待ち伏せしていた。ユーチューブをみると「水晶の夜」(1938年11月9日)も遠からず来るのではないかという気がする。また一般市民が民家に押し入り、男性を絞殺し、女性を裸にして縛り上げるマックス・ベックマンの「夜」という絵が目に浮かんだ。