野良暮らし ねこ暮らし

田舎暮らしを夢見て、こつこつとお金を貯めています。

遥かなるニペソツ山

2012-04-14 20:47:13 | 山歩き・山の写真
ふと思い出したように忘れていた歌が頭に浮かぶことがあります。
そんな時、不思議とそこにはあるはずの無い匂いや、湿っぽい風だのがはっきりと感じられたりします。
それは思い出というにはあまりにも平凡な過去の出来事であったり、とりとめのない日常の一場面であったりと。
しかし、あざやかにその時の情景が、自分がその場にいるように見えてくるものです。

 昼休み、いつものように鼻歌を歌いながらの散歩道、ふと思いもよらぬ歌が頭をよぎり、
懐かしくもおぼろげにうかぶその曲を丹念に紡いでいると、しっとりとしたそれでいてきりっとした北国の深い森の空気が、
湿り気といっしょに鼻腔の中に広がってきました。針葉樹の油っぽい匂いまでもが、自分が其処にいるかのように感じられたのです。

 もうずいぶんと昔のこと、登山を思い立ち夜明け前に夜行列車を帯広で下車、薄明の町を抜け十勝川を渡ったところでヒッチハイクを試みました。
大型トラック、クレーン車、一般車と乗り継いで降り立ったところは山深い十勝三又の集落。
ここから西へ向かう林道を登山道めざし歩き出してまもなく、1頭の犬が近寄ってきました。無視して歩いていてもしつこく後を着いて来てしまいます。
しかたなしにそのままに、いづれは帰っていくだろう・・・と。
長い林道歩きから開放され、いよいよ登山道歩きが始まりました。まもなく飲み水を補給する為に立ち寄った沢筋に登山者の遺留品?が散乱していました。
傍らの流れにはエゾノリュウキンカの黄色い花が、訪れた遅い春に目を覚ましたところです。
なぜこんなものがあるのか?不安も覚えましたが、今日は頼もしい連れもできた事だしひとまずは安堵。
連れとはこれから先下山の時まで、後になり先になりの登山をすることになったわけです。

ユニ石狩岳の山腹はダケカンバの美しい森です。


遠くにはこれから向かう石狩岳からジャンクションピークへの尾根が見えます。


 寝不足の頭をだましながら高度を稼いでいくと、森はトドマツの混生林からダケカンバへと姿を変え、そしてハイマツへ移って峠です。
たどり着いた峠からは、振り返れば雄大な混生林の森が遠くどこまでも続き、その中に今朝降り立った三又の集落がぽつんと小さく見えます。
稜線を東に辿ればそこはユニ石狩岳の山頂へ、これから進む西を辿れば音更山から石狩岳、
さらには遠く南には遥かニペソツ山、ウペペサンケの山々が三又を取り囲むように連なっています。

深い森の遥か向こうにはニペソツ山とウペペサンケ山が。


今夜の宿を探しながら音更山に向かって歩き出したのは日も傾きかけた頃だったでしょうか、
しばらく歩くと広がった尾根に雪田もあり、この場所を一夜の宿ときめ後は夜の準備です。
お天気もまずまず、夕暮前の明るいうちに連れと一緒に早めの夕食にしました。

6月初旬、夜もそれほどには気温も下がらず、快適な夜明けを迎えることができました。
快晴とまではいきませんが、早々に朝食を済ませ先へ進みます。
誰もいない音更山の山頂ではしばし感傷に浸ったり、石狩岳へと続く雄大な景色を写真に収めたりしていました。
しばらくして後を追うようにH大のパーティーが近づいてきたので、石狩岳を目指して進みます。

朝日の中の石狩岳からジャンクションピークへの尾根


雲海の向こうにニペソツ山、これから遠く滝雲のかかる尾根へ向かいます。


音更山から石狩岳へと続く尾根は雄大です。人も多くは訪れることも無いようで、登山道もそれほどは荒れてはいません。
何よりもコケモモがいっぱいに敷き詰められた斜面が、遠くどこまでも続いています。
厳しい冬を越し未だ実を落とすことないコケモモの一大群落です。頬張ってみれば甘酸っぱさが口いっぱいに広がります。ちょっと梅干のようです。
やがて左側の音更川から直登している登山道を合流させ石狩岳山頂に到着です。

音更山からの石狩岳


緑の東大雪に比べ、大雪山はまだ雪の中です。


西方には大雪三からトムラウシ山を経て十勝山系まで白い長大な山並みが連なって見えます。
振り返れば足元から辿ってきた山並みが大きくユニ石狩岳、さらにその先の三国山まで続いています。
そしてこれからの苦難を想像しながら、ニペソツ山へと続く稜線を、さらにはその先の台地をしっかりと目に焼き付けておきます。
しばし連れと2人だけの山頂で時間をつぶし、痩せ尾根に気を使いながらのんびりと先のピークを目指します。

ジャンクションピーク付近から振り返ると、稜線は石狩岳から遠く音更山へと


忠別岳から大雪山へ白い大地が続きます。


ここはジャンクションピーク、東大雪と大雪山系そしてニペソツ山への分岐点です。
ここからほぼ真西に向かえば沼ノ原湿原へ降り、さらに登り返して五色が原へ。
南へ向かえば尾根はやがてだだっ広い台地へと変わり、再び尾根が現れニペソツ山の山腹へと消えていきます。
眼下に広がるハイマツの斜面には、これから辿っていく踏み跡が心細く先の方へと続いています。
このジャンクションピークから気持ちのよい斜面を一気に下り、踏み跡の続く尾根をしばらく進むとやがて最後の小さなピークです。
その先の斜面に続く踏み跡は藪の中へと消えてしまっています。これからはほぼ郡界線に忠実に進むことになります。
踏み跡も無い藪の中では連れと離れ離れにならないよう、常に目で居場所を確認しながら進んでいきます。
連れも道案内のつもりなのか、チシマザサの中を先へさきへと進むあまり離れ離れになることもしばし、
大声で居場所を伝えると笹をがさがささせながら戻ってきてくれます。
ヒグマの生息域に居るわけですから、連れをこんなにも心強く思ったことはありません。
なおも続く笹薮にコンパスで方角を確認しながら、そろそろ今夜の宿を決めなくてはならない時間になりました。
だだっ広い藪の中にも残雪が所々に残っているので、そのような場所にテントを設営することにします。

ここは今どの辺りなのでしょうか、見通しも利かずおおよその位置でしか推測することができません。
永遠に続くのではないかと思えるほどの笹藪の中に、少しは見通しの利く雪田に出くわしました。ここを今夜の宿にすることにしましょう。
地図で確認するとだだっ広い台地の南端近く、すぐ西側は音更川へ落ちる急斜面になっている辺りの筈です。
テントを設営の後は残雪を溶かしての水つくり、そして早めの夕食の支度に取り掛かります。
 そうそう大事なことがあります。
ここはヒブマのアパート、食べ物の匂いに誘われたヒグマが現れても困るので、爆竹で人間がここに居るということを知らせておかなければなりません。
連れは爆竹の音に多少驚いたのか、それとも自らの存在をヒグマに教えているのか、何度も森の茂みに向かって大声で吠えています。
今夜も彼女のおかげで安心して眠ることができます。
さて、出来上がった夕飯を連れに差し出してみましたが食べてはくれません。
香辛料を利かせての味付けなので、連れには食い物として認めてもらえなかったようです。
仕方なく昨日同様に行動食の食パンを、今日のお礼を兼ねてたっぷりとはいきませんが食べてもらいました。
深い森の中といっても北国の6月、なかなか暗くなってはくれません。
寝袋に入ってからも、遠く聞こえる沢音や梢を通り抜ける風の音が、そして夜行性の鳥の泣き声が頭の中でくるくるとめぐるばかりです。
何一つ人工音の立つことの無い森の中がこんなにも豊かな声に満ちているものなのかとつくづく感じます。
静寂というのは本当はこんな感じなんだろうな、なんて考えているうちに意識が沈んでいきました。

 昨日の夕刻に森も深いガスが立ち込めることがありましたが、今朝は快晴とまでは行きませんが、薄い雲をすかして太陽の見えるまずまずの天気です。
今日はこのだだっ広い森ともお別れ、ニペソツ山へと続く尾根へ向かいます。
早々に連れと朝食を済ませ、行動に必要な飲み水をつくり昨晩の宿を後にします。出発してまもなく尾根とわかる地形になってきました。
左を見れば音更川の雪渓が間近に見えてきました。植生もチシマザサの密藪からダケカンバへと代わっています。
順調に高度を稼ぎながらようやく藪漕ぎから開放され、音更川の雪渓脇に出たところで今日はじめての休憩です。もう先を急ぐ必要はありません。
ザックに腰を下ろしゆっくりと今まで歩いてきた森を目で辿ってみます。よくここまで歩いてきたな、と自分と連れを褒めてあげます。
彼女には本当に感謝です。すると近くで雪に埋もれていたダケカンバの枝が音を立てて跳ね上がりました。
彼女は驚いたのかそれともヒグマだと思ったのか、大きく吠え始めました。あまりにも執拗に吠え続けるのでもしやヒグマか?と自分まで不安になってきました。
そのとき猟犬である彼女に向かって大丈夫だよとなだめたことが、今でも滑稽に思えてしまいます。
さて暫くはダケカンバの潅木の続く雪の斜面を上を目指して歩きました。
やがて雪渓から離れいよいよニペソツ山の前衛峰である天狗岳への急な登りになります。
ハイマツと大きな岩が累々と敷き詰められた斜面は一気に高度を稼ぐことができます。がしかし彼女にとっては話はそう簡単ではありません。
下のほうから悲しげな声でパートナーを呼んでいます。振り返れば目をまん丸にして訴えています。
わたしには登れません、と!その姿にこっちも思わず声にして笑ってしまいました。しかしことは重大です。
この累々と続く岩の斜面でどうやって彼女を登らせることができるのか。
自分は彼女のところまで戻り、両の手を使って彼女を持ち上げなが、一つひとつの岩を乗り越え始めました。
彼女は大きなセッター、力いっぱい持ち上げなければ、どうにも先へと進むことはできません。
ここまで一緒だたのだからと自分も必死になりました。しばらくして彼女も自身で歩ける地形になり、ようやく天狗岳の山頂へとたどり着きました。

ニペソツ山頂へ向かう登山道からの天狗岳、手前の山頂に小さくオレンジのテントが


天候は相変わらず高曇りのままですが、すぐに崩れることもなさそうです。
広い尾根は所々にハイマツが生えている程度で、どこにでもテントを張ることができそうです。
天狗岳は広い頂上が2つあり、その間は岩が累々とした気持ちのよい広いコルになっています。
そこに降りてみると累々とした岩の間から水音が聞こえてきました。覗いて見ると、手の届く所に水の流れがあります。
雪渓まで雪を取に行かなければと思っていましたので、これで今夜の水の心配はなくなりました。
しばしそのコルで休息を取っていると、ナキウサギの鳴く声が聞こえてきました。初めて聞く声です。
目を鷹のように凝らしてじっと待っていると、岩の間をあっちにこっちにと動き回るナキウサギを、貴重にも見ることができました。
さてコルを登った先のもう一つの広い尾根に、峯を伝う風に気をつけてテントを張ることにします。
時間はまだまだ早いのでニペソツ山のてっぺんまで行ってみることにします。

天狗岳からニペソツ山頂


てっぺんまではいったん天狗岳から先のコルへ下ります。
そこからしばらくして左側が幌加川に切れ落ちた急斜面を見ながらの痩せた尾根歩きが始まります。
頂上は気の遠くなっるような遥か彼方のに尖って見えます。ハイマツだけの植物もまばらな火山性の石ころの斜面が続きます。
誰もいない頂上は畳み数畳の広さ、誤って幌加川への断崖を落ちてしまいそうです。
ここは絶頂、南東側にはウペペサンケ山が大きく壁を作り、遥か東の果てには阿寒の山、北側にはこれまで歩いてきた東大雪の音更山や石狩岳が、
さらに西側は残雪の大雪山系からトムラウシ山を経て十勝岳へつづく山並みが見えます。

ニペソツ山頂近くから、遠くにはこれまで辿ってきた東大雪の山々が

十勝岳は数日前に大正火口が小規模な噴火を起こし、その噴煙でここからも十勝岳だと容易に分かります。
やがて一人登山者がやってきて連れと合わせて3人の頂上になりました。
しばらくして、登山者は一足先に頂上を離れ、今日はこれ以上来客は無さそうです。
この日は2千メートルに届きそうな尾根の上で、風も無く静かな最後の夜を迎えることができました。
 翌朝、もう一度頂上まで行き、この雄大な北海道の景色を目に焼きつけ名残を惜しみながら下山の途につきました。
天狗岳の下り樹林帯へ降りる辺りで数名のパーティーとすれ違うと、あろうことか連れのやつ、
パートナーを見捨て彼らと再び天狗岳頂上へ登り始めてしまったのです。
しばらく登山道に腰を下ろして連れの帰りを待っていたのですが、どうにも戻りそうも無さそうです。
再び腰を上げ軽くなったザックを背負い直し下り始めると、正面には針葉樹の疎林越しに阿寒の山が昨日よりも高く見えます。
トドマツ?辺りは油っぽくそしてしっとりと爽やかな匂いが漂っています。登山道はエゾマツの薄暗く深い森の中へと続いていきます。
やがて沢を流れる水の音が近づいてきました。
そして、この山歩きも終わりが近づいてきました。
三又の集落が近づいてきたころ、この4日間持ちこたえてくれたお天気もようやく終わりが来ました。