何という名の街道かは知らないが、昔、足尾から中宮祠へ通じるたいそう栄えた道らしい。
昭和の初めころの話かと思うが、たぶんこの街道にあるH峠で遭遇した出来事を書いたものと思われる山の紀行文がある。
以下抜粋してみると、
・・・・・略
H峠といえば、そのロマンチックな名とそこから見晴らせるC湖の展望とで名を得ているが、あまり交通の便のよいところではない。
K市からバスにゆられ、その終点にある汚い旅籠に泊まり、僕がその峠へかかったのは、山々が秋から冬へ移ろうとするあの境目、
十一月初旬の空気が最も澄明になろうとするころのある朝だった。 ・・・中略
その時、この二人にあったのだ。
大きい山毛欅(ぶな)の根元に腰をおろして遠くの方からじっと、、僕の近づくのを待っている風だった。
・・・中略
峠まで、もう、二、三十分のところである。 ・・・・
で、その二人とは一人は男、一人は女で、男はH峠の裏にあるA鉱山の鉱夫で女は付近の酌婦ということだ。
お定まりの通りの道順を踏んで、あげくの果てがこの朝の道行になった。 らしい云々。
とある。
全文を読んでみると、方向がちぐはぐなような気もするのだが、H峠は半月峠、C湖は中禅寺湖、A鉱山は足尾銅山、K市は桐生市と読めなくも無い。
これを読み知ったのが、今から30年以上前のこと。
ロマンチックな名前にロマンチックな出来事にと、この峠への道がずっと気になってはいた。
これは是非歩いてみなくてはと思い立って30数年、やっとその思いがかなう時がやって来たというわけだ。
それともう一つ、深沢集落跡を見ておきたかった。
で、
爽やかな5月の朝、スタートはいつものここから。
説明するまでも無い、A鉱山(銅山)の象徴の一つ。
仕事で忙しい母親にだだをこねて、足尾へ連れてきてもらったのが小学5年生の夏。
銅山が閉山になってまだ2年も経たない頃だったと思う。
もちろんのことだが、今よりずっと大きな音が聞こえていたように思う。
赤い屋根はお風呂屋さんだったところ。
学校行事で神子内を発って小さな峠を越え、深沢集落へたどり着いたことがある。
峠からどういう道筋を辿ったかは忘れてしまったが、確かにこの集落に下り立ったのだ。
40年以上前に、あの水場で確かに水を補給したし、盥の中にスイカが冷やしてあるのを見たのだ。
集落跡を目の当たりにし、実際の地形が記憶を掘り起こしてできたイメージと全く合わないし、あの小さな峠はいったいどこだったのだろうか?
確かに深沢集落だったはずだが・・・
さて、先を進もう。
道は林道終点から沢沿いを歩くようになる。
桂の巨木、
こんな山奥に神社跡が、 かつてここには茶店もあったそうな。
間違いない、フジスミレだ。
道は沢を離れて、植林地?へ
落葉松林の九十九折を登る。
やはり咲いている。
シロヤシオ
往時にはいったどれほどの人が、ここを行き来したのだろうか。
どこまで行ってもシロヤシオが咲いている。
斜面のあっちこっちでトウゴクミツバツツジとシロヤシオが咲いている。
休憩を兼ねてそれらの撮影をする。
何時のまにやら、頭の中はすっかりシロヤシオ一色になっている。
で、
ここを抜ければH峠こと半月峠
ひょいと出たのが半月峠。
イメージと違い、ずいぶんと狭い峠だ。
80年以上も経っているからか、ここへ来るまで大きな山毛欅の木なんてなかった。
ここを駆け落ちをした二人が越えたというのか・・・ ?
到底絵になるような峠ではないので、写真は撮らずじまいだ。
ほんで、阿世潟峠へ
ピンクの御仁に感謝しながら、久蔵沢の林道へと下りる。
ちょいとのんびりしすぎた。
初めて歩いた深沢から半月峠へと続く道は、
往時の繁栄を偲ばせる多くの遺構に、かつてここを行き来した人々の悲哀をも感じさせるような道だ。
また季節を変えて是非歩きたい。
ほんで、本日の収穫は
Nikon D700 AF-S NIKKOR 16-35mm f/4G ED VR