彼は出来る限り物音を立てないように注意しながら、話されていることを一言も洩らすまいと耳をそばだてた。
今話しているのは女で---男爵夫人であろう---その澄んだ冷淡な声は苛立ちを懸命に抑えようとして抑えきれないのか、震えていた。
「パリで指折りの金満家の妻であっても何の意味もないわね。必要な物を買うのに、こんな風にいちいち難癖をつけられたり、出し惜しみされたりするのではね」
次に男の声が聞こえてきたが、ドイツ語訛りときつい発音により、オランダ出身のファン・クロペンのものと分かった。
「そうですとも。ぜぇったいてきな必需品です。それに、お怒りになる前にですね、男爵閣下、わたくしの一覧をお調べになっていただきたいもので……」
「要らぬ! そんなものはうんざりだ! くだらん議論に時間を費やしている暇はないのだ。ホイスト(トランプゲーム。二人ずつ組み、四人で行う)の仲間を待たしているのだ」 これを言ったのはこの邸の主人、トリゴー男爵だ。パスカルにはその声とぎくしゃくした喋り方の癖で分かった。
「男爵様におかれましては、せめて明細だけでもお聞きになって頂きたいものです」とクロペンが言った。「ものの一分で済みますので」
そして、それに対する罵りがまるで承認ででもあったかのように、彼は読み上げ始めた。
「では六月分でございます。ハンガリー風衣裳、コートとベルト付き。裳裾付きドレス二着、レースのエントゥル・ドゥと装飾付き。メディチ風ケープ、乗馬服、単走用衣裳、乗馬用スカート、ダービー用キルティング。朝用のドレス二着、ヴェレーダ風衣裳、夜会用ドレス……」
「六月は何度も競馬場に行かなくちゃなりませんでしたの」と男爵夫人が説明した。
しかし名高い婦人服デザイナーは既に先を続けていた。
「七月分でございます。朝用のベスト二着、海岸の散歩用、セーラー・ブラウス。ワトー風女羊飼いドレス、ポンパドゥール風水着、パラソル用生地の付属品付き、同素材のアンクルブーツ。海用水着、レース飾り付きトゥルーヴィル風小物、部屋着、メディチ風マント、カジノ夜会用ドレス二着、水浴用衣装……」
「言っておきますけど」と男爵夫人が付け加えた。「私が七月を過ごしたトゥルーヴィルでは、私よりエレガントなファッションの方々が大勢いらしてよ……」
クロペンは先を続けていた。
「八月はもう少し嵩が増します。朝用のドレス、鉄道旅行用裳裾付きドレス……」 彼はどんどん羅列を続けていった。彼が苦心の末編み出した愚かしい作品に付けた滑稽な名前を奇妙な発音で息が切れるまで読み上げ続け、割り込むものとしては時折男爵の口から洩れる罵りとテーブルをバシンと叩く音ぐらいであった。8.11