アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

きくち体操考-3

2023-02-17 21:57:39 | 冥想の準備neo

◎きくち体操はすごい

(2022-09-27)

 

きくち体操を始めて1か月経過。諸事情であまりあからさまに書けない効果もあるが、中野ジェームズ修一氏流ストレッチや古神道の振魂、鳥船では伸び悩んでいたのが、めきめきと効果が出てきている。

 

1.頭がはっきりしてきた。

2.普通股で歩けるようになった。歩行スピードも速くなった。

3.腰をかがめる等の何気ない姿勢がより自然にできるようになった。

等々。

※きくち体操本を見ると無数の治癒例が載っています。

 

菊池和子先生曰く、老いるとは筋肉や血管が縮んで痩せていくこと。痩せ始めるとすごい勢いで筋肉が落ちていく。そうなると、歩けなくなったり、紙おむつになったりする。

 

菊池和子先生(87歳)は老人ホームにお住まいで、そうした人を多数見ており、同年配の人に「どうすれば治るでしょうね」と問われて、「どうですかね」などとはぐらかす由。言外に、きくち体操で治せるとしても相当に時間がかかったり、どうしようもないことを知っている雰囲気を感じさせられる。

 

だからレッスン中に「身体の動くうちに一生懸命やるのよ」という言葉になるのだろう。

 

だが、実際に彼女の「らくスクワット」の本を見ると、それこそ寝たきりになった人がどのようにきくち体操をやるかまで、身体が不自由になった人にまで、レベルを落としに落として、文字どおり老婆親切な方向性で教えてくれている。

 

それときくち体操の要諦は、ポーズと回数、ポーズの継続時間ではないということ。実際は、明らかにあるポーズを何秒以上やろうという意図は感じられるものの、根本思想は、手指、手首、足指、足首を意図的随意的に動かさないと筋肉ができてこないから、それを「脳を使いなさい、頭を使いなさい」としている部分。だから他人とおしゃべりしながらやったり音楽を聴きながらやったりしてはいけない。身体各部がちゃんと動けるようになるように、祈り、さわって、本気で慈しむことを求めている。

 

つまりポーズと回数は半分で、そうした気持ちの持ち方が半分なのだ。だからご本人がきくち体操50年やったわりにあまり広まらなかったのは、それが原因などとおっしゃっている。

 

だが、素直にそれをやれば、まだある程度身体が動くうちであれば、めざましく効果が出る場合があるのではないだろうか。

 

全体として、レッスンの中で動かなくなった身体の部分を自分で発見させ、自分で治させるというのがよい。

 

ただ、老化で一旦痩せて縮んだ筋肉を戻していくというのは、大変なこと。そのためには、それなりに本気で取り組むことは勿論のこと、当該の筋肉を日常生活の中で使って維持していくことで、はじめて戻った筋肉を使えるようになることをご自分の体験から説明している。(片足が動かなくなり感覚がなくなった時期に必死に足首回しをやったが、足を動かす感覚が戻らず筋肉も痩せていく一方だったが、実際に歩き出してから感覚も筋肉も戻った由)

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きくち体操考-2

2023-02-17 21:54:10 | 冥想の準備neo

◎老化と癒し、パーツと身体全体の調整

(2022-08-31)

 

きくち体操を始めてから1週間程度だが、明らかに何十年鍛えていなかった、ふくらはぎ裏、もも裏、足首回りの筋肉が痛いのと、手指の一部の血行がよくなっている感触がある。

 

菊池和子氏は、ひざ裏などを延ばすことに熱心であり、中野ジェームズ修一氏が筋肉は15秒過ぎてから自分で延びて来るとするのだが、きくち体操では、平気で1分くらい延ばさせたりもしている。

 

きくち体操は、時により足の指広げと握り・放しとマッサージと足首回しだけで15分以上かけたりするのだが、これが必ず毎回メニューの最初に入って来る。

 

椅子生活中心に変化した現代人が最も触らない部位は足裏であり、足裏・足指から鍛え始めるというのは、きくち体操の発見であり、オリジナルであるというのは、もっともなことであると思う。

 

冥想に関心を持ち始めるのは、大体が10代、20代の頃。一般に20代前半では老化ということは念頭にはないが、20代後半には、老化が始まる。

 

実際に老化が問題になってくるのは40代後半であって、それまで激重のカバンを持ち歩いていたのを、軽量なのに変えていくことは、自分でもそうだったし、他人でもよく見かけたシーンである。

 

駅前ヨーガ教室の中心メンバーは、せいぜい50代以前であり、きくち体操の主要対象は60代以上などと言われるのだが、60代以上は、整形外科や街の整体が中心なのだろう。整形外科や街の整体をおおまかに「他力」と呼び、きくち体操は、自ら「自力」と呼ぶ。冥想の準備として、20代の健常者向けの柔軟中心の片手間メニューと、老化が相当に進んだ60代以降向けでは自ずと体操メニューの力点は異なるべきである。

 

菊池和子氏の話のはしばしに、老人ホームで、身体が硬くなり相当に動かなくなった人の身体をどうにかしようとした体験が出てくる。たとえばブリッジも10cm20cm高以上は危なくてやらせられないなど。

 

中国では、戦後歴史的に食料も医師も人口比不足していて、太極拳を中心とした気功を国家的に進めることで対応してきたところがある。これは、「自力」の対応の一種。

 

癒しを冥想技法で、観想法や、エーテル体以下の技法でやる技術は確かにある。メディスンマンのそれや、白隠軟酥の法である。きくち体操では、手足の指先を起点として体操で刺激し、かつ「意識」して肉体運動をやらせ身体全体の調整を狙うところが、「他力」系のものとは異なる。

 

きくち体操のメニューには、「らくスクワット」というヒンズー・スクワットとは異なり、動かさない相撲の四股みたいなものがあるが、これなども筋力が弱った人向けの優しいメニューである。

 

きくち体操のメニューはこうした結構身体が硬くなって筋力が弱った人向けのものがそろっており、かつ彼女の老人向けの50年の指導経験が反映したものとなっている。

 

朝日新聞に“連載 「いっしょに! きくち体操」” https://www.asahi.com/relife/series/11032509

があり、これに29メニュー上がっていて大要はこれでわかるし、youtubeでも20本くらいメニューの断片を拾うことができる。だが実際のところは、各ポーズで、力まないとか、ここを伸ばしたままにするとか、どこを意識するとか、口伝の部分がある。

 

きくち体操体験談集が単行本に載っているが、慢性病や医者に匙を投げられた多種多様な病気が軽快している例が多数ある。彼女は、まず数か月の継続を求めている。

 

人口の三分の一が老人という人類未体験の環境である。そこにはこうしたオリジナルな技術が登場すべきなのだろうと思う。

 

それにしても崑崙山中の500歳の神仙はどんな体操で健康維持していたのだろう。

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きくち体操考-1

2023-02-17 21:50:33 | 冥想の準備neo

◎ハタ・ヨーガ以前の状況だがいろいろなトライもある

(2022-08-16)

 

きくち体操は、中高年、どちらかと言えば老人向きの体操。最近YouTubeできくち体操の動画を集め、早速全体の三分の二くらいやってみた。同時に『日めくりきくち体操』というのも購入し、全体のメニューも確認し、YouTubeに上がっていないポーズも確認している。

 

私は若い時から八段錦とか脚の屈伸とかスクワットなどは毎朝欠かさずやってきているのだが、60代になってどうも体操メニューが足りないという印象を持っていた。

 

そこで中野ジェームズ修一氏の『体が硬い人のための柔軟講座』(ストレッチ系)を買ってきてNHKの番組を録画で確認したが、すべてのメニューの半分もできないことがわかり、追加で『ものすごく体が硬い人のための柔軟講座』を買ってここ2,3年やってきている。

 

これは、最初の半年くらいは効果が出たもののその後はかばかしくなく、ネットで見つけた十種程度の歩行強化用メニュー(筋トレ系)を追加したところ足腰の筋肉はついてきたという効果は感じられるようにはなったが、何かとスムーズではない感じが残っている。

 

また古神道の振魂と天の鳥船を1年くらい前から始めたが、回数が少なかったのと、渾身で行っていなかったので、最近は下方三チャクラを意識して上下のバランスをとる狙いで、回数を増やし渾身でやることを意識して、それなりの効果が挙がっている。

 

これでもまだ不足感があり、お昼の情報番組や朝日新聞に掲載されている『きくち体操』に取り組んでみることにした。すると驚いたことに、平素その姿勢をやりたがらないことからできないポーズが結構あり、衝撃を受けると同時にそうしたポーズは数分程度やったそばから効果を感じて、これは相当なものであると思った。

 

白隠ではないが上下のバランスを崩したり、老いれば筋肉は一様に落ちる。『きくち体操』はネーミングがキャッチーではないが、手足の指先の血液の流れを感じ取るとか、指とか筋肉などの部位を自分でさわるとか、動かさずにポーズを固定したままにすることが多いとか、各部位の動きを意識するとか、エーテル体の動きも促進する注意点も散りばめられており、見かけ以上に効果があるように思う。それと開祖の菊池和子さんが「人の身体は千差万別」と強調しているのもよい。対策も千差万別。

 

思えば、このブログでも冥想の準備として

⑴ラジオ体操

⑵太極拳

⑶八段錦(太極拳の一種)

⑷ハタ・ヨーガ

 通常10種類程度のアサナで十分。

  屍アサナ、前屈、コブラ、魚、ねじり、弓、首立ち、スキなど。

⑸インディアン体操

 

などを挙げているが、基本的にせいぜい20代、30代までの基礎体力にあまり問題のない世代が柔軟性強化のためにやるものばかりであった。今自分が老化してきて筋肉も落ち柔軟性も以前とはくらべものにならないくらい落ちてきた段階を思えば、自ずと筋肉強化、柔軟性強化のメニューも変えたり増やしたりして行かなければならないと痛感している。

 

一日の正味の余暇が30分程度の生活を過去何十年続け、また休日に暇があれば読書やら資料探しを優先する生活をしていれば身体も硬くもなろう。

 

この話は、毎度LAVAとかTipnessとかアシュタンガに通っているような元気な人には無用の話だと思うが、老人向けの『ものすごく体が硬い人』のための体操メニューが意外に見つかりにくいということから、自分の現状と遍歴を紹介してみた。

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三位一体と西洋の二位一体

2023-02-17 03:27:36 | 両性具有or天国と地獄の結婚

◎海幸彦と山幸彦の予言

 

出口王仁三郎は、三位一体の三にはこだわっておらず、あくまで神人合一を目標とすることに揺るぎはない。

 

以下の文のとおり、キリスト教は太母なき実質二位一体だが、太母を認めれば三位一体の完成を見るだろうとしている。実際にカトリック教会は、1950年に聖母被昇天を認めた。

『ミロク三会

 

天のミロク、地のミロク、人のミロクと揃ふた時がミロク三会である。天からは大元霊たる主神が地に下り、地からは国祖国常立尊が地のミロクとして現はれ、人間は高い系統をもつて地上に肉体を現はし、至粋至純の霊魂を宿し、天のミロクと地のミロクの内流をうけて暗黒世界の光明となり、現、幽、神の三界を根本的に救済する暁、即ち日の出の御代、岩戸開きの聖代をさしてミロク三会の暁と云ふのである。要するに瑞霊の活動を暗示したものに外ならぬのである。天地人、又法身、報身、応身のミロク一度に現はれると云ふ意味である。法身は天に配し、報身は地に配し、応身は人に配するのである。昔から法身の阿弥陀に報身の釈迦、キリスト其他の聖者が現はれたけれ共、未だ自由豁達進退無碍の応身聖者が現はれなかつた。故に総ての教理に欠陥があり、実行が伴ひ得なかつたのである。ミロク三会の世は言心行一致の神の表はるる聖代を云ふのである。人間にとれば天は父であり、地は母であり、子は人である。

 

キリストは三位一体と説いて居るが、その三位一体は父と子と聖霊とを云ふて居る。聖霊なるものは決して独立したものでなく、天にも地にも人にも聖霊が主要部を占て居る、否聖霊其ものが天であり、地であり、父であり、母であり、子であり、人である。故に三位一体といつても其実は二位一体である。キリスト教には父と子はあつても母が無い。マホメツト教も亦其通りである。仏教は一切が無であつて、父も無ければ母もなく、唯人間あるのみと説いてゐる。なぜならば唯心の阿弥陀に己心の浄土と云つて居るでは無いか。今日までの既成宗教は総て父があつても母が無かつたり、母があつても父がなかつたり、変性男子があつても女子が無かつたり、不完全極まる教理であつた。天の時来つて真の三位一体即ちミロク三会を説く宇宙大本教が出現したのである。

 ああ惟神霊幸倍坐世。』

(水鏡/)出口王仁三郎から引用)

 

そして、神人合一を目指すことを述べる。

『元来宗教なるものは、仏教にもあれ、基督教にもあれ、人と神(仏と人、大我と小我)との融合一致に重きを置くものなり。即ち四諦観といひ、三位一体説といふも、其の意義に於て異ることあるなし。所謂天人合一を主とするに在るのみ。』

(出口王仁三郎全集 第2巻 第2章 宗教の害毒から引用)

 

このように出口王仁三郎は、三位一体を完成形と見ている。

※三位一体:天之御中主大神、高皇産霊大神、神皇産霊大神。

『真神である天之御中主大神が、その霊徳を完備具足したとき、天照皇大神という。また撞の大御神という。火の御祖神を高皇産霊大神と唱え、厳の御魂と申し奉る。水の御祖神を神皇産霊大神と唱え、瑞の御魂と申し奉る。以上の三神はそのご活動によって名称・働きに種々あれども、三位一体にして、天之御中主大神(大国常立命)に帰着する。故に独一真神である。一神即多神、多神即一神であり、短く「主」という。厳の御魂は霊界人の主であり、瑞の御魂は現界人の心身内を守り治める主である。』

(霊界物語 第17巻 霊の礎(三)から引用)

 

古事記において、天の安の川原で天照大神の霊と、素盞嗚尊の霊とが一緒になって、伊都能売神になったが、これで三位一体は成った。

 

ところが時代は下って、海幸彦に代表される功利優先にして母性をないがしろにする、死を忌避するアポロン型の近代西欧文明が地球を席捲する時代となった。ここに山幸彦が一旦は人間以下ともされる竜宮にまで落ちて修行し大悟覚醒し直して、地上に上陸して神主主義の文明、至福千年、みろくの世を開くというプロットが古事記についている。

 

現代は、いろいろな宗教や文明が乱立しているが、最も強盛なのは、キリスト教をバックボーンにした死を忌避する、母性を二の次に置く近代西欧文明と言ってよいだろう、これが世界中が海幸彦のやり方に染まった姿。日本のシンボルである山幸彦は、辛苦の末に最終的に海幸彦を従わせることになる。

 

ここまでが古事記の上巻であり、出口王仁三郎は予言として実現すると言っている。

 

心理学者ユングはどうしても四位一体と唱えたいようだが、古神道では三位一体。無理に四に合わせることもないように思う。

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