◎四料揀の白髪頭の子
(2015-09-28)
師臨済は夜の説法で、修行者達に教えて云った、「私は有る時は人を奪って境を奪わない(奪人不奪境)。有る時は境を奪って人を奪わない(奪境不奪人)。 有る時は人境ともに奪う(人境倶奪)。有る時は人境ともに奪わない(人境倶不奪)」。
その時一人の僧が尋ねた、「人を奪って境を奪わない(奪人不奪境)とはどのような境地ですか?」
師は云った、「春の陽光が輝く季節になると、大地は百花繚乱、錦のしとねのようになり、みどり児の垂らす白髪は絹糸のようである」。
僧は尋ねた、「境を奪って人を奪わない(奪境不奪人)とはどのような境地ですか?」
師は云った、「国王の命令はあまねく天下に行われている。辺境を守る将軍は戦乱ののろしを全く上げない」。
僧は尋ねた、「人境ともに奪う(人境両倶奪)とはどのような境地ですか?」
師は云った、「并州と汾州は中央政府と断絶して、今や一方的に独立している」。
僧は尋ねた、「人境ともに奪わない(人境倶不奪)とはどのような境地ですか?」
師は云った、「国王は宮殿に鎮座し、老農夫は自由を謳歌する」。
1.人を奪って境を奪わないとは、見ている自分を去って、世界になりきっている。人は、なんとしても白髪頭の子を産まなければならないのだ。見ている自分は残るのでファイナル・アンサーではない。
2.境を奪って人を奪わないとは、客観性だけの境地で、一般社会人の意識レベル。
3.人境ともに奪うとは、自意識と社会の客観性が並立し、葛藤・対立が起きている状態
4.人境ともに奪わないとは、人も外境もそのままで何も問題のない状態。鼓腹撃壌である。
と読んだ。黄檗は『凡夫は境を取り、道人は心を取る。心境ならび亡ず。すなわち是れ真法なり』と言ったが、これと意味は通ずる。
白髪頭の子は、老いたる子としても洋の東西を問わず現れるが、世間ではあまり意識されていないようだ。