アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

三、四月。大難を無難に。ウラルの嵐

2023-02-21 12:59:28 | 冥想アヴァンギャルドneo

〇あおり予言、はずれ予言、当たり予言。

(2022-02-27)

 

出口王仁三郎は、出口ナオも共に、「日本が大峠に遭って、みろくの世を実現する」という幻視をしたので、二人で協力して一つの教団を立ち上げることにした。

 

大本神諭では、日露戦争以前の段階で、日本とロシアが戦って日本が敗戦するという予言を出して、1905年の日露戦争から1945年の敗戦までの40年間、(日露戦争で日本は負けなかったので)代表的なはずれ予言とみなされていたが、第二次大戦後は当たった予言として評価が逆転。

 

『〇ソ連襲来

 

二月に露国から攻めて来る。

(昭和19年正月中旬)』

(出口王仁三郎玉言集 新月の光/木庭次守編/八幡書店P131から引用)

 

これもソ連による満州侵攻は、1945年8月9日だったから、はずれ予言の一種と見られているのだろう。

 

そこで、

『○日本の立替の時

 

問 日本の立替はいつですか。

答 お筆先に三、四月、八、九月とあるだろう。開祖様が神様に「世界の大難を無難にして下さい」とお祈りになったが、神様は「どうしてもある」と言われるので、開祖様はいつも「どうしてもあるのなら三、四月、八、九月にあるように、それでないと助かる者も助からないから」とお願いになったのや』

(上掲書P267から引用)』

 

二月を三、四月と祈っているわけだ。

 

まず、あおり予言にひっかからないように。だが一見はずれ予言でも真正の聖者が出してきているものは、意味があるので、よくよく感じてみることが必要だろう。

 

また、もともと予言は、予言した時点とその後の「今」では状況が変わるので、基本的に「予言はズレル」の法則があることも意識すべきだろう。

 

ロシアが、ウクライナで地上戦を行っている今日も、冥想を。

 

いつの日かウラルの嵐 日本の空に向かって吹かむとするも(霊界物語第62巻/出口王仁三郎)

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日本の立替の時

2023-02-21 12:54:29 | 時代のおわりneo

◎三、四月、八、九月

(2009-08-08)

 

日本の立替の時は「逃げる」しかないようだ。

 

『○日本の立替の時

 

問 日本の立替はいつですか。

答 お筆先に三、四月、八、九月とあるだろう。開祖様が神様に「世界の大難を無難にして下さい」とお祈りになったが、神様は「どうしてもある」と言われるので、開祖様はいつも「どうしてもあるのなら三、四月、八、九月にあるように、それでないと助かる者も助からないから」とお願いになったのや』

(出口王仁三郎玉言集 新月の光/木庭次守編/八幡書店から引用)

 

この引用の回答者は出口王仁三郎、開祖様は、出口ナオ。 この三、四月、八、九月は出口ナオの予言集である大本神諭にもある。

 

『最後の時は人を助ける必要はない。親子でも神様から助けるものと助けぬものと定まっているのだから、そんなことをしたら神様の邪魔になる。自分だけ逃げたらよいのや。

 

大阪は淀川があるから橋を落とされたら袋の鼠や。いよいよいかぬとわかったらすぐ亀岡に逃げて来い。食料の用意はしてあるからどんなにしても食べていくのや。

(昭和十九年四月九日 三木善建氏拝聴)』

(前掲書から引用)

 

これは、後半は先般の大阪の空襲のことだが、前半は大阪のことだけではあるまい。

 

『○それは逃げる

 

それ(日本人)は逃げる。

大本事件の時、信者が逃げたじゃないか。日本魂が腐ってしもうているからなあ。

 

昭和十九年九月十一日』

(前掲書から引用)

 

大本事件の時は、出口王仁三郎に言わせれば、大本信者もほとんど知らぬふりを決め込み、正味10人しか逃げずに残らなかった。そういうように、日本から日本人が逃げることを言っているのだろう。

 

この日本人が日本から逃げ出すのを見て、チベット民族がチベットから逃げたみたいに逃げると表現する人もいる。財産や利権がある人には踏ん切りがつかない人も出るのだろう。

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出口王仁三郎の入蒙の評価

2023-02-21 12:46:14 | 古神道の手振りneo

◎日本大衆の深いレベルの情動動かす

(2015-10-09)

 

出口王仁三郎の霊界物語全81巻で、入蒙記は別巻とされ、特別な位置づけである。なぜそうなのか。理由がようやくわかった。

 

出口王仁三郎は、未決囚でありながら、裁判所の許可を得ないまま、合気道の開祖植芝盛平らを伴い国外の蒙古に飛び出し、蒙古を教化しながら数か月の布教の旅をしているところ、張作霖軍によって捕らえられ、パインタラにて、一行全員が刑場に引き出され、銃殺寸前まで行った。辞世の句まで詠んだ。

 

そこで幸運にも生還できるのだが、その強運故に別巻としたのではない。帰国後日本国内では、英雄が帰国したが如き大報道をされ、大いに歓呼された。その後99日間収監されたのではあるが。

 

出口王仁三郎は、パインタラで逮捕された時に、「大成功だ」と叫んだという(出典:新月の光(上巻)/木庭次守P139)。

 

これこそが、入蒙記が別格となっている理由。出口王仁三郎は、この冒険で日本において英雄として歓迎され、日本全土にその名をポジティブに伝播することに成功したのだ。イエスの十字架刑が世界席巻のきっかけとなったように。

 

この事件が、日本大衆の深いレベルの情動を彼に向かわしめたのだ。

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AKB48の遭難と出口王仁三郎入蒙

2023-02-21 12:39:40 | 古神道の手振りneo

◎よしや身は蒙古のあら野に朽つるとも日本男子の品は落さじ

(2014-05-26)

 

出口王仁三郎の霊界物語で「入蒙篇」は別巻の扱いであるが、ポスト出口王仁三郎時代を明示する重要な一巻である。

 

外面的には、今で言えば仮釈放中に当局の許可なくモンゴル旅行したのだが、その間に出口王仁三郎一行は銃殺寸前となり、辞世の歌まで詠んで、すんでのところで解放されたという冒険譚である。

 

大正13年2月12日出口王仁三郎は、大正10年2月12日に上弦の月と金星が空に輝いた時に教団の最初の大弾圧の第一次大本事件が起こったように、この日同じ現象が空に起こったのを見て、蒙古行きの決心を固め、翌日には蒙古に向けて綾部を発った。

 

2月12日は、かのダンテス・ダイジの誕生日であり、ポスト出口王仁三郎が彼であるリンクと見れる。

 

出口王仁三郎の一行には合気道開祖植芝盛平も加わっていたが、6月22日、日本人6名、中国人2名が一列に並ばされ、蒙古パインタラの町の銃殺場で機関銃を向けられたが、最初の発射で何故か銃の反動で射手が後ろに倒れたので、この日の銃殺は中止となった。

 

同日夕方から日本領事館が解放交渉にあたり、出口王仁三郎一行がパインタラを出られたのは、30日のことだった。

 

出口王仁三郎 蒙古パインタラの辞世。

『よしや身は蒙古のあら野に朽つるとも日本男子の品は落さじ』

 

『いざさらば天津御国にかけ上り日の本のみか世界を守らむ

 日の本を遠く離れて我は今蒙古の空に神となりなむ』

 

2014年5月25日岩手で遭難したAKB48の○○さんの誕生日が2月12日なので、思わずこのことを思い出した次第。怪我の速やかに回復することを祈ります。

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出口王仁三郎のモンゴル入り

2023-02-21 12:35:30 | 古神道の手振りneo

◎東亜の天地統一

(2014-03-25)

 

大正13年出口王仁三郎は、大正10年の第一次大本事件の衝撃冷めやらぬ中、仮釈放みたいな不安定な身分ながら、モンゴルに脱出した。

 

世間では、スタンドプレー好きの目立ちたがりの教祖が、辺境のパインタラで銃殺されそうになりながら天佑により無事帰国しただけのエピソードとして、出口王仁三郎のモンゴル縦走を見ている節がある。

出口王仁三郎と大本教を考える上で、ポイントと思われるのは、このモンゴル入りと、笹目秀和による教団のご神体の崑崙山中への返還である。

 

霊界物語は全120巻の構想だったが、結局81巻と付録の特別篇入蒙記で完成となった。全体が縮小されたにもかかわらず、モンゴル入りの部分は故意に注目を惹くように残されているのである。

 

モンゴル入りの目的は、モンゴルに精神方面の力で一大王国を築こうとすることだったとされる(霊界物語特別篇入蒙記 第四章 微燈の影)。

 

モンゴル入りに際して娘婿出口宇知麿への手紙では「東亜の天地を精神的に統一し、次に世界を統一する心算なり。事の成否は天の時なり。」(大本/伊藤栄蔵/講談社P161)と述べ、東亜の統一をまず目論んでいる。

 

韓国中国が連携して反日運動を盛り上げている今、東亜の統一など夢物語に見えるが、ポスト第二次大本事件構想では、日本の大峠の後は、日本はモンゴルで大きく展開するであろうことを出口王仁三郎は見ている。

 

出口王仁三郎は昭和10年の第二次大本事件での収監前夜、なんと教団のご神体を一介の青年に過ぎない笹目秀和に託し、崑崙山中に奉還することを依頼した。出口王仁三郎にとっては既にこの時点で、教団の使命は終わり、みろくの世の一歩を日本はモンゴルで踏むことが予想されているが如き発言が出口日出麿から出る。

 

曰く崑崙山行きは素尊(スサノオ)から出ていること。そして「やがて地球の裏表がひっくりかえるようなときがくると、大本神業の地場が崑崙山中に移らないとも限らないからね」(モンゴル神仙邂逅記/笹目秀和/徳間書店P215)と。

 

笹目氏は当時からモンゴル独立運動を支援してきた。

 

こうして見てみると、モンゴルは意外にも日本の21世紀における重要なパートナーになっていくかもしれないと思う。誰もそんなことは思っていないのだけれど。

 

パインタラでの銃殺直前の出口王仁三郎の辞世

「いざさらば 天津御国にかけ上がり 日の本のみか世界まもらん」

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予言と先行モデル

2023-02-21 06:49:42 | メインストリーム予言と先行モデル

◎日々の冥想と生き方

 

欧州における第三次世界大戦勃発の噂もさることながら、東アジアにおける戦争勃発の噂もSNS上でバンバン見かけるようになった。

 

そして来週には、毎年気になる3、4月。木の芽時は花粉症でなくとも体調の不調をかこつことが多いが、この冬は厳冬であって強風が特徴の冬だった。

 

イエスの一生を観想法で追体験するというのは、十字架上で大悟したイエスの一生という雛型をわが身に写すという先行予言のまねびである。

 

さて予言には、口述、文章だけの予言と自らの人生ドラマや一国全体、教団全体を先行モデルとして予言とする「雛型予言」というのがある。

 

一国全体を先行モデルとしての予言の典型例は日本であって、日本が世界に先行してみろくの世を実現するというもの。これは、いうまでもないが、毎日漫然と過ごしていた日本人が特定のある日が来ると全員が神を知っている人々になっているという漫画チックな未来ではない。その日以前に日々の冥想修行と、日常生活における「善いことをする、悪いことしない」というライフ・スタイルは、必要なものだ。

 

日本に生まれるというのは、そういう責務を負ってきたということで、神様から離れて特に恵まれた閑日月を長年過ごした人については、神様の側からの風当たりはあるのではないか。

 

日本は先の大戦で神洲不滅のスローガンの下で、世界で初めて原爆を落とされ、白村江の戦以来の敗戦国となった。この敗戦はもう一度あることを教団ごと雛型予言(教団を日本の雛型とみる)したのが、昭和十年の第二次大本教弾圧事件。次の敗戦では、また軍人内閣になることまで予見されている。それは、昭和神聖会の軍事教練で先行モデル出しをしたのだろう。

 

出口王仁三郎の関連した雛型予言はもう一つあって、モンゴルへの西遷である。

 

大正13年出口王仁三郎は、蒙古入りし、蒙古の地で御神業を4か月間にわたり展開。最後は同行していた植芝盛平と一緒に張作霖配下によって銃殺されかかるところまで行く。

この間、出口王仁三郎が、王文泰やダライラマ(弥勒下生達頼喇嘛(みろくげしょうだらいらま))、と名乗ったのは調子に乗り過ぎだったようにも見える。

さらに昭和10年第二次大本事件前夜、出口王仁三郎の密命を受け、笹目秀和氏が大本の御神体を崑崙に返還しにいったのは、まさにこのルートであった。その出発の際に日本民族のモンゴル西遷があることもほのめかされている。

 

その後出口王仁三郎は、モンゴルでの苦難の虜囚生活の影響か、生涯体調不良(肝炎?)に悩み、共に銃殺寸前まで行った合気道開祖植芝盛平も終生肝炎に苦しんだ由。

 

なおモンゴル西遷篇は、生き残った日本人達向けの話であろうことは想像される。

 

ネットでは、とかく日本人の生存率だけが注目されるが、自分が生きるか死ぬかというのは、自分で何とかできることではない。自分では髪の毛一本白くも黒くもできない。その延長線上に自分の生存可能性があるのであって、最大の関心事は、自分が神を知って(悟りを開いて)、それをもって生きていけるかどうかということにあるはずだと思う。

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