◎幽斎、顕斎、鎮魂
出口王仁三郎の鎮魂法は実際どうだったのかという点については、彼の著述では、はっきり書かれていない。
鎮魂と帰神というが、帰神法は神下ろしの方である。
鎮魂御伝によれば、幽斎と顕斎あるが、鎮魂とは顕斎の一種。
鎮魂に関して令義解によれば、鎮は安であって、人の陽気を魂といい、魂は運であるという意味は、離遊の運魂を招いて身体の中府に鎮めること。
そこで、諸神霊の登場する全部読めば20分、30分はかかる神文を正座にて拝聴することで、
各人の神霊に読み聞かせつつ、霊の動静を調べるとある。
中府とは、一般に丹田と呼ばれているが、三丹田とは、アジナー、アナハタ、スワジスターナだが、ここはスワジスターナのことなのだろう。
丹田は定力センターにしてアストラル体の霊線のつながっているところ。そこを鎮めるのだから、鎮魂法は、自分の守護神を奉斎する幽斎を行うためのウォーミングアップみたいな位置づけなのだろうかとも思われる。
ところが、鎮魂法は、小は身体の病を癒し御魂の汚れを清める方法にして、大は病み臥した地球を救う神法だから軽々しく行うものではないとしている(鎮魂御伝)。その意味は、神知らぬ者がみだりに現実(病気、寿命、政治、経済、社会など)を操作し得る行法を行うのは、混乱に混乱の上塗りをするようなものだということではあるまいか。
つまり神を知った者、つまり大神の内流を受けたものだけが為しうるのが鎮魂法であるということのように思われる。それで、幽斎はドンドンやりなさい、鎮魂はみだりにやってはいけないということではないのだろうか。
なお大本教では、鎮魂法を公開している。
https://oomoto.or.jp/wp/wp-content/uploads/2020/01/iroha035.pdf
https://www.omt.gr.jp/o46
また鎮魂石という石を我が前方の三方という台に置いて、そこに集中する技法もある。これは、丹田集中とは明らかに別技法である。