アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

出口王仁三郎の鎮魂法-2

2023-02-25 06:23:42 | 浅い霊感から神人合一まで

◎鎮魂の玉

 

鎮魂石を鎮魂の玉と称し、純黒にして正円なるをよしとして、重量も26から37グラム程度としている。これを三方に置き、集中するのである。

 

また明治37年の以下の本教創世記を読む限り、

  1. 鎮魂法の詳細についての記述が令義解の短文を除き、日本には過去なかったこと。
  2. 鎮魂法とは、顕斎の一種で、別途幽斎もあると唱えるが、その違いについての記述はない。
  3. また帰神の一部が鎮魂法とも思われる書きぶりでもある。
  4. 大正年代の出口王仁三郎の鎮魂御伝でも以上三種の区分については、あまり気にしていない様子で、よくわからない。

 

『しかして今や一章の引証すべきものが無いから、ただその『令義解』たる古典に記載しある全文をこれに出して、ただその招魂の作法を伝授せんと思いて、記載しおく次第である。この鎮魂法は天授の神法であるから、上は天皇の治国平天下の御事よりして、下は人民修身斉家の基本、つづいて無形の神界を探知するの基礎であるから、よろしくこれを懐中に秘して、事業の閑暇には謹んでこれを省み、これを行い、霊魂の運転活動を学習するにおいては、遂に熟達し得らるる事を得るに至るのであるが、十分清浄なる精神で以て修業した所で、相当の教育のある者で五年、あるいは十年は、日子を費さねばならぬのである。

 

なお詳細なる事は後に講明し、引証を以てその基づく所を現わし、その霊妙なる所を感示、あるいは示して、ますます天に代わるの大功を千万世に建てんとするの目的であるが、これ万物の霊長たる所の人類の義務であって、余が天より命ぜられたる使命の大主眼たるものである。『令義解』にも、鎮魂の事がその如くに云うてある。「鎮は安なり。人の陽気を魂という。離遊の運魂を招き、身体の中府に止む。故にこれを鎮魂と云う」と記載しあるを見ても、心を一にするという事がわかるのである。

 

鎮魂に要する玉は、純黒にして正円なるを最もよしとするのである。重量は、七匁位から十匁位の間のものが一等である。三宝の上にその玉を安置して、修行者は、瞑目静座、一心不乱にその玉に向かってわが霊魂を集中するのである。あたかも蛇が蛙に魅入れるが如く、猫が鼠をねろう如くに、一切の妄想なり感覚を蕩尽して修するのである。

 

わが国には、かかる貴重なる経典と法術とがあるにもかかわらず、物質的文明に心酔せるわが邦人は、実に蒙昧頑固であるから、国家の重典や神法を顧みる者がなくて、法を外国の教えに求め、実を異邦の道に尋ねて、釈迦や孔子や基督やその他聖賢と唱えらるる人物を崇拝して、天授の神法を度外視するの習慣が常となり、汚穢日に加わり、国家のために実に悲しむべき事である。』(出口王仁三郎著作集 第1巻 神と人間 本教創世記第五章から引用)

 

鎮魂の玉のような身体外のポイントを集中の中心にする技法は、武道にはあるものだと聞く。またキリスト者の十字架もそのような意味もあるかもしれない。

コメント
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