◎安楽な心得
冥想道手帳の続き
『【安楽な心得】
冥想の具体的技法は、単純なものであってもかまわない。君にどうしょうもないほどの情熱と素直さとがあれば、ナムアミダブツと唱え続けるだけでも、君は神界の住人になる。
冥想を続けているうちに、どんな素晴しい経験をしたとしても、君の中に、自分は特別だという気持ちがあったら、素晴しい冥想経験なぞクソくらえ。
君は間違いなく死ぬ。この世のあらゆるものと同じように。
君は、今まったく新しい旅へ出発する。それは人間自我のみを人間と妄信している人間性にとって夢にも知らぬ新しい旅である。
君の自我にとって冥想の旅は、幾多の脅威やショックや孤独感や異次元の風光に満ちたものとなろう。
時には、冥想へと出発する前よりも一層、倦怠や不安や不満や動ようを経験するかもしれない。それは、君のこりかたまった自我にとって決して気持ちのいいものではない。
しかし、君は束縛に満ちたこりかたまりの自我世界にキッパリと別れを告げねばならない。
古い自我が崩れるショックを恐れる必要はない。冥想は、君の自我防衛を強化するためにあるのではなく、自我そのものがない、本来の愛の広がりを楽しませようとしてあるからだ。
冥想に方法はない。
金を手に入れたり、地位や名声を得たり、
体力を強化したり、健康を維持したり、
素適な異性をものにしたり、
セックスの悦びを増大したりする
技術方法はある。
だが、冥想に方法はない。
君自身が君自身になる方法など
どうしてあり得よう
君が熱心に医学を勉強すれば
きっと一人前の医者になれるだろう
しかし、一流の医者になれる保証はない
この世の事柄は
運命とやらや才能とやらによるらしい。
冥想には、
医術や剣道や料理を修得する場合と同様
技術があり方法がある。
ただ外的な何かの修得と
内的な冥想の修得には
決定的な違いがある。
外的な事柄の成就には
優劣があり、じょうづへたがある。
冥想には一流も二流も三流もありはしない。
どんな人でも努力すれば
ハイジャンプのオリンピック選手に
なれるとは言えはしない。
けれども、どんな人でも
その人々の本性に応じて
完全な幸福を
実現できることだけは言える。
冥想とは
君がもともと完全に幸福だということだ。』
(冥想道手帳 MEDITATION WAY MEMO ダンティス・ダイジから引用)
このパートは、誰もが自分なりにわかる部分だけを解釈することができるので、かえって読みやすいという怪しい部分ではある。
その中で、感じた部分は、次のとおり。
1.『どうしょうもないほどの情熱と素直さ』
坐法、ポスチャーは絶対的であると言いながら、その坐法、ポスチャーは気にしなくても『どうしょうもないほどの情熱と素直さ』が自分を神・仏に連れていくことがある。
2.『冥想は、君の自我防衛を強化するためにあるのではなく、自我そのものがない、本来の愛の広がりを楽しませようとしてある』
この自分のことを優先に考える人ばかり多い地獄的時代に、自分のことをさておいて他人のことを優先する人物は尊い。そんな時代に自我をなくそうとして努力する生き方は厳しい。
自我がないのは、本来の愛の広がりだが、自我をなくしたバーナデット・ロバ-ツは、苦闘した。厳密に言えば、ノンデュアリティ、自我がないことそれ自体が解とは言えないところがある。それでもselfish、エゴイズム全盛の時代に、自我がないこと志向して生きるのは厳しいが、それでもそこを目指すのが冥想修行者の王道。
3.『冥想に方法はない。
君自身が君自身になる方法など
どうしてあり得よう』
冥想初心者のうちは、まま『君自身が君自身になる』ことの重要性など理解しないものだ。
君自身が、世界全体にして宇宙全体であって、なにもかもないなどということを、論理的に考えたり、そのまま感じ取ってみようとするトライアルを繰り返すうちに見えることもある。
4.『どんな人でも
その人々の本性に応じて
完全な幸福を
実現できる』
『冥想とは
君がもともと完全に幸福だということ』
この一節では、完全な幸福が問題となる。健康、金、セックス、しなやかな肉体、名誉、権力、パートナー、家族、ブランド品、ゲーム・クリアなど外的に幸福になる品ぞろえは無限にある。そしてそれを手に入れてもいつまでも保持できはない。それらは、完全な幸福ではないからだ。
そこで今はまったく信じられないかもしれないが、『君がもともと完全に幸福だ』ということをどこからか聞いて冥想修行に乗り出す。
あきらめなければ、『君がもともと完全に幸福だ』ということを体現している人物に出会えるかもしれない。それは縁によって起こる。そして、いつか必ずや『君がもともと完全に幸福だ』ということを知る。