◎多様な世界の知覚の仕方
(2007-03-09)
出口王仁三郎の霊界物語が大正時代のアヴァンギャルドな世界認識だった。昭和のアヴァンギャルドな世界認識は、カルロス・カスタネダのドン・ファンのシリーズだった。
ドン・ファンのシリーズは、ヤキ・インディアンのソーマ・ヨーガのマスターであるドン・ファンに弟子入りしたカルロス・カスタネダが、アストラルな世界を冒険する話である。
ドン・ファンの世界では、神はイーグルと呼ばれる。人は、「今まで慣れ親しんだ時間の流れ、空間の配置、多用な物質という世界の見方が根拠のないものである」と信頼できる師匠から繰り返し説得されても、その事実をなかなか頭が受け入れてくれるものではない。カスタネダも何年も起こった出来事を頭の中で理解できないでいた。
この世界は物質でできていることは、まごうかたなき事実であるが、この世界があらゆるものに変換可能なアストラルなエネルギーからできているということも、彼らにとっては厳然たる事実なのである。
我々は現代科学を中心とする物質的世界観が絶対なものであると教え込まされているが、そういう見方は肉体的五感を基礎とするもので、人間のスピリチュアルな知覚が誰にでも認識されるようになれば、エーテル体的な世界の見方や、アストラル体的な世界な見方というものもあり、また神的な見方もあり、現代人の世界認識は、いくつもある世界の見方の一つに過ぎないということがわかる。
そうした見方が過去何千年か失われていく方向にあったのだが、それはどう見ても自我の極大化と自我の固さを増強するためのプロセスであったように思う。
自我の極大化と自我の固さは、その意志と欲望を極大化する効果をもたらす。人間の社会性という観点で言えば、王と不特定多数の小羊の如き民という構成の社会から、一人一人が市民としての自覚を持ち、一朝ことあれば、誰でも自分が王にとって変わるのも悪くはないという程度に肥大化した自我を持つようになっている。
この結果、家庭や社会のあらゆる局面で、人と人との関係はちょっとしたことでぶつかりあうことが多い尖鋭なものとなっている。
このように肉体的五感を基礎とした社会観での人間達の欲望の相互調整は、もう限界にきているのであるから、もう一歩進んでその社会観を根底から叩き直そうとする一つのインスピレーションが、このドンファン・シリーズなのである。
肉体的五感を基礎とした社会観とは、マニピュラ・チャクラ的世界観であり、その世界観以外に他の世界観があってそれを相対化する新たな世界観とは、アナハタ・チャクラ(ハートのチャクラ)的世界観と呼ぶべきものである。
だからと言って、さあスピリチュアルな知覚を求めようという、技術と実践を偏重するのは、これまた落とし穴に落ちる。
現代の求道者が本質的に求めているのは、物質でもなく、社会的価値観からみた利益でもなく、それから離れた自由そのものを求めていることをまず自覚することが、多様な世界の知覚の仕方に取り組む基本的な姿勢になると思う。