アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

大八洲神社のご神鏡

2023-03-05 16:33:27 | 古神道の手振りneo

◎世乃中乃事有(よのなかのことあ)る時ぞ知られける

(2020-08-03)

 

二度の大本教事件は、日本の運命の先行モデル。その大本教の本部エリアに日本をさらにミニマイズした場所がある。それが金竜海。

 

地球は天球の縮図であり、日本は地球の縮図、さらに金竜海は日本の縮図。

 

出口王仁三郎は、綾部市に金竜海という三千余坪の池を造営し、大八洲(神島)、六合大島、沓島、冠島などの島も置いた。

 

祭神のポイントは、地上の神界も地上も主宰する国常立尊(艮の金神)が祀られていないこと。両方主宰していないと地上天国であるみろくの世は来ない。

 

そこで、まずは、天の三体の大神である、天照大御神、日の大神(伊邪那岐尊)、月の大神(伊邪那美尊)を大八洲神社に祀った。

 

さて第二次大本教事件直後のある日、籠(この)神社の先代宮司海部穀定氏が京都の古道具屋で、店の主人がとある青年と金竜海の大八洲神社に祀られていたご神体である鏡を預かってほしい、いやそんな物騒なものは預かれないと押し問答になっているところに出くわした。

 

海部氏はとっさにこれを預かることを申し出、青年はほっとして立ち去ったという。

 

このご神体は出口王仁三郎自ら作った鉄製の神鏡であって、直径9センチ、表には16弁の菊花紋、裏面には、

『世乃中乃事有(よのなかのことあ)る時ぞ知られける

神乃まもりのおろかならぬわ』という歌が彫られていた。

※「おろか」とはおろそかの意。

※”裏金神 原爆をこの世に送り出した神” 西郷武士/著 文芸社P263-264参照

 

金竜海とは、竜宮と言われるが、いままでよくわからなかったところがあるが、ネオ・アトランティスと見れば合点がいく。

 

世乃中乃事有(よのなかのことあ)る時とは今の時代のことである。

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旭形亀太郎メモ

2023-03-05 15:53:18 | 古神道の手振りneo

◎知られざる明治維新の元勲

(2020-12-25)

 

愛知県に玉鉾神社を創建した旭形亀太郎。本名は、速水亀太郎、大阪の貧しい武家の次男。1861年二十歳にして京都の力士となった。1863年宮中の護衛のために勤王の同志を集めて力士隊を組織し、その隊長となって日夜宮中に奉仕。1864年の蛤御門の変(禁門の変)では、特に宮中に召され孝明天皇の玉座の守備を任された。

 

この際に御製を賜った。

照る影をひら手に受けし旭形

千代にかがやくいさをなりけり

 

これにより名を旭形と改めた。当時近衛家はじめ公家や薩長を中心とした小松帯刀、桂小五郎、西郷吉之助、横井小楠、大久保一蔵、坂本龍馬らとの間は幕府方の警戒が厳しく往来が困難であったが、常に旭形を密使として交信していた。一時気取られて新選組につかまったこともあるが、知り合いの与力に助けられた。

 

この当時の働きと交流、人脈が、明治になってからの実業家、篤志家としての成功の原動力となったと思われる。

 

旭形といえば、アサヒビールの総代のことばかり言われるが、陸軍偕行社の嘱託、大阪慈恵会病院の設立発起人、日本赤十字社の大阪支部幹事などを歴任。

(以上参照:史談 土俵のうちそと/武者成一/雲母書房)

 

後に彼は孝明天皇を祭神とする玉鉾神社を創建したが、小松宮彰仁親王が参拝されたほどの神社。明治政府は、無位無官の民間人による孝明天皇の神社創建をどう思っていたのだろうか。

 

たまほこのひ可里などでは、孝明天皇の予言(遺勅)を前面に出して説明するのだが、明治維新は20人程度の結束したグループで成ったのだが、旭形は、その中心的なハブ(隠密中の隠密)としてなくてはならないピースだったということがわかる。単に禁門の変で、玉体をカバーしつつ、銃弾を二発受けながら退避せられたということばかりではない。

 

そして維新後の栄達への無欲ぶりは、西郷隆盛に並ぶ。

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たまほこのひ可里

2023-03-05 15:49:57 | 古神道の手振りneo

◎三種の神器を守る

(2020-12-21)

 

慶応二年旧12月25日、孝明天皇が崩御され、生前に言い含められたとおり、天皇陛下近衛隊の力士旭形亀太郎が、車夫佐藤紋次郎に遺勅『たまほこのひ可里』(予言集)を託した。彼は、スの拇印のある人物にそれを渡すように命じられていたが、昭和10年の第二次大本教事件に係る家宅捜索に遇い、その際警察にその文書を焼却するよう迫られ、やむなく焼却。

 

佐藤紋次郎は、このことを悔い、記憶をたどって、遺勅を再作成した。それを持って、昭和17年、出獄して間もないスの拇印のある人物、出口王仁三郎に持参した。出口王仁三郎には特にこれについてのコメントはないが、歌集では、いい加減なことをまくしたてる人物がやってきてうるさいので、お茶も出さずに帰したと日付入りで残している。

 

孝明天皇は、知多半島武豊の玉鉾神社に祀られている。この土地が後に重要な意味を持つであろうことは以前述べた。

 

霊界物語では、玉を奪う話が多い。玉とは国がまえをつければ、国のことである。霊界で国盗りするとは、神国日本を奪おうとすることだから、孝明天皇遺勅に、アメリカは、日の丸と三種の神器を奪おうとして来るなどと書いているそうだが、三種の神器は、今やどこかの神社や博物館にあるのではなく、日本人個々が自らのうちに確認することができる時代となっている。

 

その意味で、三種の神器を奪われないようにするということが大切。

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大和魂の構造

2023-03-05 07:26:40 | 冥想いろいろ

◎慈悲心(善の方へ働く感情)、理性、意志

 

出口王仁三郎は、大和魂とは、菩提心のことであるとし、慈悲心(善の方へ働く感情)、理性、意志の三つで成るという。

この中で慈悲心・愛は、知性の劣った者でも鳥獣でも理解できるから最上と位置付ける。

 

知性、理性を武力、軍事、情報戦に優先投入する時代は、過去何千年続いてきたわけだが、この知性の優れた人間がどんどん出現している時代に、誠の力は世を救うとか、言向け和(やわ)すなどと得々と語る者もいるが、世界を平和裡に新時代に向けて移行させていく根源的パワーは、軍備強化でもなく、インテリジェンスの強化でもなく、経済力の強化でもなく、反戦キャンペーンでもなく、まず自分が神知ること。

 

神知る者に独特の思考様式、行動形態が、自ずと時代を正しい方向に向かわせる。これは不思議なことだが、爛熟腐敗を極めた時代に必ず聖者、覚者、神人(アヴァターラ)が地上に投入されるというのは、そのメカニズムがあるからではないのだろうか。

 

そして、知者の多いこの時代は、聖者覚者が一人出てもどうにもならず、続々とフツーの人が悟って行かねばならないのだ。

 

以下、出口王仁三郎の大和魂の説明。

『『大和魂は仏の道で云ふ菩提心の事だ。此菩提心は三つの心が集つて出来たものだ。其第一は神心、仏心又は覚心と云つて善の方へ働く感情を云ふのだ。要するに慈悲心とか、同情心とか云ふものだ。第二は勝義心と云つて即ち理性である。

 

理性に消極、積極、各種の階級のある事はもとよりである。理性の階級については到底一朝一夕に云ひ尽されるべきものでないから略する事として、第三は三摩地心と云ふのだ。

 

三摩地心とは即ち意志と云ふ事である。尚よき感情とよき意志とよき理性と全然一致して不動金剛の大決心、大勇猛心を発したものが三摩地心であつて、以上三者を合一したものが菩提心となり大和魂ともなるのだ。

 

何程理性が勝れてゐても知識に達してゐても、知識では一切の衆生を済度する事は出来ない。智識あるもの、学力ある者のみ之を解するもので、一般的に其身魂を救ふ事が出来ない。これに反して正覚心所謂神心、仏心は感情であるから、大慈悲心も起り、同情心もよく働く。此慈悲心、同情心は智者も学者も鳥獣に至るまで及ぼすことが出来る。これ位偉大なものはない。』

(霊界物語 第40巻 第2篇 寒梅照国 第6章 仁愛の真相から引用)

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