アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

シルヴィウス溝

2023-03-10 17:02:42 | 究極というものの可能性neo

◎臨死体験の再現

(2018-04-08)

 

側頭葉にあるシルヴィウス溝を電気刺激すると、臨死体験が起きるなどと、メルヴィン・モースが言っている(NHKの立花隆の「臨死体験」という番組でそうしゃべっているシーンがある)。

 

臨死体験というのは厄介なもので、生還してこそ臨死体験であり、戻らなければ逝去である。臨死が生還になるための条件は厳しく、迅速な予後が必須である。

 

脳を物理刺激していろいろやってみるのは昔からある。ペンフィールドは、意識がある患者の頭蓋骨を開けて脳のいろいろな部位を刺激して何が起こるか見てみたし、スタニスラフ・グロフはLSDを与えて実験したりした(それが合法だった国でやりました)。

 

臨死体験あるいは、死の体験がキーポイントになることはチベット密教に限らず宗教シーンでは知られている。

 

チベット密教では、アジナー・チャクラの重要性に神経質になるあまり、額の中央の何センチか奥を金属器具で刺激するという技もあった。

 

脳のどこかを刺激する。それは電気あるいは物理刺激かもしれないし、ソーマなどの薬物刺激かもしれないが、臨死は起こせるものかもしれないし、起きないかもしれない。

 

呼吸停止、脈拍停止、脳死は起きるかもしれないが、脳刺激からそこに至るまでの仔細を意識清明のまま隈なく感知できていれば何が起こったかを理解できるだろう。

 

だがその感受性と冷静さ、そして生還できるという運がなければ、臨死体験において体外離脱した、トンネルを抜けた、天国の花園を抜けたなどというレポートを出してくることは叶わない。まして大悟覚醒をや。

 

臨死体験というと低俗心霊ネタに分類されることが多いのかもしれないが、道教の慧命経では、イラスト入りで人が体外離脱し、中心太陽に飛び込む様が描かれている。臨死体験は、競泳に例えればプールの縁に腰かけただけだが、腰かけるのは、物理刺激でできるかも知れないが、完走できるかどうかとは全く別物なのである。

 

泳ぎだしたが、ゴールとは全く違った方向に行ったり、プールの底に沈んでしまったり、スタート地点から動かなかったり。

 

これについて証明、証明というが、人が臨死を試せるのは、その肉体と脳に与えるダメージを考えるとせいぜい一回。証明は再現して初めて証明なので、再現などできないから一人の人間で証明することなどできない。

 

六度死んだ出口王仁三郎など例外中の例外である。

 

それは危険極まりないが、人間最奥の秘密もその先にしかないのだと思う。

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臨死体験での人生回顧

2023-03-10 16:59:03 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎見ることでちりあくたを浮かび上がらせる

(2011-10-15)

 

人には堪えられる出来事と堪えられない出来事がある。死のプロセスにおいてはそれに向き合わねばならないシーンがあることが知られている。

 

これは、臨死体験でのパノラマ現象。この人の記憶の遡行は今生だけにとどまった。

 

『7 人生の回想

 

「その光の存在は私を包み込み、私の人生を見せてくれました。これまでしてきたことをすベて見て、反省するわけです。中には見たくないこともありますけど、みんな終わったことだと思えば、かえってほっとします。とくによく憶えているのは、子供のころに、妹のイースター・バスケットを横取りしてしまったことです。その中のおもちゃが欲しかったものですから。でも、あの回想のときには、妹の失望やくやしさを自分のことのように感じました。

 

私が傷つけていたのは私自身であり、喜ばせてあげていたのも、やはり私自身だったのです」』

(臨死からの帰還/メルヴィン・モース、ポール・ペリー/徳間書店P7から引用)

 

カルロス・カスタネダは、臨死体験ではなく、その冥想修行の中で、人生に別れを告げるという修行をやらされた。彼の師匠であるドン・ファン・マトゥスは「自分の人生を反復すると、ちりあくたが残らず表面へ浮かび上がって来る」と説明した。

 

良かったこと、悪かったこと、なつかしかったこと、恐怖におののいたこと、自分の邪悪に片目をつぶったこと、自分の無力さをかみしめるしかなかったこと、などなどいろいろあるだろう。

 

この引用文では、妹のことを自分のことにように感じたとしているが、この体験のような修行をカルロス・カスタネダはあらゆる愛着と別れを告げる修行としてやらされたのだ。

 

修行が深まれば深まるほど、自分の見たくないものに直面させられることになる。人生も老いれば老いるほど見たくなかったものを見せられるのに似ている。

 

パノラマ現象で人生回顧させられると言っても、見ている人の感受性の深浅高低により、その体験の評価には、実はかなりのバリエーションがあるのではないかと思う。浅い人は浅くしか見れないし、深い人は深く見るのだ。 

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最初の4つの身体と統合失調症

2023-03-10 16:54:09 | クンダリーニ・ヨーガneo

◎私たちも軽度の統合失調症

(2013-03-29)

 

OSHOバグワンは、最初の4つのボディに対応する冥想技法を当てている。曰く、

肉体からスタートするのは、ハタ・ヨーガ

エーテル体からスタートするのは、マントラ・ヨーガ

アストラル体からスタートするのは、バクティ・ヨーガ

メンタル体からスタートするのは、ラージャ・ヨーガ。

 

(※ボディの違いを問題にするのは、クンダリーニ・ヨーガであり、只管打坐ではない。)

 

これら4ボディは、OSHOバグワンに言わせると水平的であり、第五身体のコーザル体に至るところが垂直移動となる。つまり最初の4つのボディ内での移動は、水平移動だから横超であり、古代ギリシアの壺絵では、トビウオ(水平にしか飛べない)として揶揄される動きにすぎない。

 

さらにOSHOバグワンは、第一身体から第四身体では、心は下方を向いており、上方を向かない。この状態で、心身のバランスが保たれている。ところが、第四身体(メンタル体)から先を目指す(第四身体からの跳躍)時、はじめて上方を見る(アジナー・チャクラを見る)。

 

OSHOバグワンは、初めの4身体を超える前に上方を目指してはいけない。というのは、他のボディは下方に向いているのに一部のボディが上方を向いているということになると、統合失調症を起こしやすいからだとする。

 

そういう人には中心がない。そこでOSHOバグワンはダメを押す。私たちもそんなものだ。統合失調症と私たちの差は社会に適応しているかいないかの差があるだけだ、と。

(参考:秘教の心理学/和尚/学研P158-164)

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第三の目を開く

2023-03-10 16:45:25 | 超能力・霊能力neo

◎それなりの医学

(2006-07-12)

 

ロブサン・ランパは、トゥルッリクという活仏の生まれ変わりと認定された人物であり、人為的に額の中央にとがった金属で穴を開け、第三の目(アジナー・チャクラ)を外科手術で開眼させられた人物である。この本を読むまでは、怪しげな呪術者が無理やり額に穴を開けて、おそらくはエーテル体のアジナー・チャクラを開けているのではないかと想像していたが、この事例は活仏に対して、チベット国立医学研究所が正式に手術しているものであった。

 

要するに、むやみに相手を選ばずアジナーを開眼させているのではなく、チベット医学の根拠に基づいて、精神的に霊的に、準備のできた者に対してだけやっているのである。アジナーが開眼すると、相手の思念がわかり、相手の前世もわかり、今後の運命もわかる。そうした一種残酷な物の見え方に堪えうる者だけに対して手術しているという印象を持った。手術後も3週間以上の安静を行ってアフターケアもしっかりしている。それなりにちゃんとした科学なのである。

 

逆に、交通事故か何かで、前額部骨折や前額部穿孔になった人が、たいがい相手の思念がわかり、相手の前世もわかり、今後の運命がわかる状態になるということはないので、賢明な現代人諸氏は、真似することはないだろう。

 

ロブサン・ランパは、後に先代のダライ・ラマに頼まれて、中国からの使者のオーラを見てその思念を報告しなさいと命じられた。ロブサン・ランパは、「自分自身で、相手の思念や、相手の前世や、今後の運命を見る能力のない人間がそれを知ったところで意味がない」と考えていたので、ダライ・ラマの命といえども見たことの一部しか述べなかった。

「あの人々は邪悪なる意図を持っています。彼らの霊気の色は不実を示しております」とだけ。

 

最近、他人の前世を見てくれるという触れ込みの人が多いように聞くが、本当に前世を見たのでしょうか。前世が見れるならば、きっと今後の運命も、今の想念も見れる力量があるのでしょう。

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ネコノミクス宣言

2023-03-10 16:05:17 | 時代のおわりneo

◎闇路に闇路を踏みそえて

(2019-06-18)

 

ネコノミクス宣言は、猫好きによる猫好きのための猫好き本ではない。

昔から不思議だ、どうなっているんだろうと疑問を持っていたことが、大体わかるような内容の本であった。アングラ・マネーの流れと共にその売買対象は、人身売買、臓器売買、麻薬、兵器などまさに何でもありの世界であり、決済方法として仮想通貨も出て来て、他方パナマ文書みたいにモノと金の流通が俯瞰できるものが登場してきており、事実は小説よりも奇なりと言うが、現実の世界は、地獄も地獄、阿鼻叫喚みたいなことが行われているのがこの21世紀だと目からうろこを落としてもらった思いである。

 

アングラ・マネーの世界では、マフィアが要所要所で介在し、さらにいわゆる決済・トラブルのケツモチや後ろ盾あるいは、プレイヤーは国家そのものだったりする。

 

この問題のある売買対象物と決済手段が混然一体となって、「一つながり」のものになっているのは皮肉なことである。

 

それと、ユーロマネーを中心とする国際金融市場はそれ自体が、タックス・ヘイブンのようなものだが、英領にはかつて香港があり、バージン諸島があるようにアメリカには、デラウェア州があり、パナマがありと、タックス・ヘイブンのようものは、世界に散在している。スイスは一見守秘義務に守られた固い国だが実は緩いとか、国際政治の綾の中で、マスコミ報道とか社会常識とされるフェイク知識を越えた現実が、真の現実なのだと改めて感じさせられた。

 

テクノロジーはそれを用いる者の善悪は問わない。GAFA(Google,Apple,facebook,Amazon)の問題は、こうしたあらゆる問題の集大成でもあるとも感じられる。

 

アングラ・マネーとは、脱税資金のことだが、日本では、どうしても反社会の方に目が行きがちだが、反社会でなくても堅気の脱税も本来アングラ・マネー。

 

国際的なモノの移動は、合法的に移動させねばならないが、国際的に信用されている組織がアングラのモノを移動させているという話も書いてあった。事実とすれば、OSHOバグワンが、マザー・テレサのことを唐突に批判していたのだが、その辺の情報を知っていたのかもしれない。

 

こういう本が出てきて全貌がわかるようになるということは一連のそうした体系は終わりだということでもある。

 

中国、北朝鮮の人権状況はひどいと聞くが、南インド、カンボジア、フランスの状況はもっと怖いとは恐れ入った。

 

闇路に闇路を踏みそえて いつか生死を離るべき(白隠禅師坐禅和讃)

 

『白狐。

所詮、おまえの神通力も、

愛の代用品に過ぎない。

 

そして、

いかなる愛も愛情も不安な灰色と化した時、

ホワイト・フォックス 

おまえに一体、

何ができよう。

 

快適で豊富なる暮らしの神。

聖なるマンモン。

白狐。

 

もう、

おれは、

おまえについて、

どんな判断もしやしない!』

(ダンテス・ダイジの老子狂言から引用)

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現代の偽予言者、エクソシスト(祓魔師)

2023-03-10 06:25:15 | 人と神の「実際のところ」

◎無意識に自分がマインド・コントローラーになっている

 

最近は、NARUTO-ナルトなどオカルト、スピリチュアルテーマの漫画も多く、偽予言者、エクソシスト、チャクラなどという、昔はテクニカル・タームだった言葉を知っている人も多い。

 

終わりの世には偽予言者がはびこるなどと若い頃に聞いてびびっていたが、最近は、数十年前にも増して偽予言者がはびこっている。

 

預言者とは、真理を語る者だが、厳しく見れば、真理を知らぬ者が真理を語った場合、たちまち偽予言者となる。つまり偽予言者とは、

特殊詐欺の犯人から、情報操作、世論操作を信じて誤った真理を書いたSNSの著者やそれに“いいね”を押した人まで、広く含まれることになる。

 

嘘を言わない、正直であるというのは、人として基本だが、冥想修行者の基本でもある。スマホやPCで触れる情報がややもすれば半分以上が真実でないとすれば、そうしたもので出来上がった人物の思考や発言は、半ば偽予言者と考えられる。無意識に自分がマインド・コントローラー、つまりマインド・コントロールする側になっているわけだ。

 

つまり現代人の半分は、自覚しないまま偽予言者になってしまっていると見ることができる。これを終わりの時代と言わずして何と言う。

 

※マタイによる福音書7-15:「偽予言者を警戒せよ」

同じく24-11:「また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。」

 

古い時代にキリスト聖職者の位階にエクシソシスト(祓魔師)というのがあった。チャネラーの憑霊による発動ではないが、キリスト教でもトランスに入ることによってそういう状態になることがあったのだろう。それに加え、改宗、カルト脱会、共産主義洗脳(リフトンの研究による)など、精神の根底を不安定化される事態。そういう場合にエクシソシストが必要になる。だが除霊本とかエクソチズム本を読むと憑依された媒体の方に問題があるなどと書かれていることも多い。

 

ところが最強のそれは、冥想修行の最終段階で登場してくるものであって、大悟覚醒の最終段階でないと出てこないのは、イエスや釈迦の例にあるとおりである。それを考えると、エクソシスト(祓魔師)の位置づけが低かったのはなぜだろうかと考えさせられてしまう。

 

現代人の一半がこのような状態だから、現代のエクソシスト(祓魔師)の資格は、大悟覚醒、ニルヴァーナ体験者以外にないと言うことができるように思う。

 

『〈祓魔師〉(Exorcista) は、 文字どおり悪魔(悪霊)を祓う者のことであるが、聖職者の階級(〈品級〉Ordo, Pl. Ordines という)のひとつ。品級は、下級四段と上級三段とに大別され、前者は(下位から)守門、読師(一〇二ページ 注六)、祓魔師、侍祭の四級、後者は副助祭、助祭、司祭の三級にわかれる。これらの品級をさずける権能をもつのは、司教であって、祓魔師の授品式は、司教が受品者に祓魔のための祈禱文などを書いた典礼書を渡すことによっておこなわれた。祓魔師は、定められた祈禱文をとなえながら按手(第一巻三九三ページ注二)することによって悪魔祓いをおこなった。

 

そのほか洗礼志願者に祓魔式をほどこし、その宗教教育を受けもつことも、祓魔師の任務であった。今日では、祓魔師は、事実上司祭職に昇進していくまでの一過程というにすぎない。』

(黄金伝説 2 ヤコブス・デ・ウォラギネ/著 人文書院P274-275から引用)

 

なお、祓魔、除霊が問題になるのは、クンダリーニ系修行の場合であって、禅・只管打坐系修行にあってはそれを問題にしない。もっとも只管打坐系の覚者クリシュナムルティはそれに類したことをやっているが、真理を知る覚者だからできるということはある。

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