◎早すぎる水爆登場
(2011-03-27)
続瑞能神歌は、未曽有の大地震である東北関東大震災と福島第一原発の事故のダブルパンチに見舞われた今見てみると、ひょっとして当たっているかもなどという疑念もよぎる。そこで改めて真偽を真面目に検討してみた。
真偽と言っても、出口王仁三郎作ならば真で、そうでなければ偽ということ。
そもそも私が続瑞能神歌の存在を知ったのは、仲矢伸一の著書だったか、泉田瑞顕の著書だったかはっきりしないが、出口王仁三郎没後にいくつかの予言があって、出口王仁三郎の意向である(憑依した?)予言とされるものが何本かある。それらの一つが、続瑞能神歌であると思う。
なお日月神示は、その格調が大本神諭や、瑞能神歌などとはまったく異なるものなので、信用はしていない。
さて、続瑞能神歌は、1947年の発表とされる。出口王仁三郎の逝去は1948年1月。
続瑞能神歌の問題箇所の最初は、
「花のお江戸は原爆や 水爆の音草もなく」
最初の水爆実験は、1952年1月。よって、1947年の段階で水爆の存在が世に知られていたかどうかが問題となる。
新型兵器というものは、原爆もそうだが、実際にそれが使用されるまでは徹底的にその新型兵器の存在すら秘匿するもの。せいぜい、「SF小説には出てくるかもしれないような危険で無慈悲な新型兵器を敵国が開発している」という形のデマを飛ばすことで、その実在がほのめかされる程度である。
よって1947年の段階で、水爆のことが、大本関係者に知られているとは考えにくい。
続瑞能神歌の次の問題箇所は、
「残るは三千五百万 赤き自在天主の旗のもと」
日本一億人の三分だから、多めにはじいて3千5百万人と見たのだろう。しかし出口王仁三郎は、逝去直前の頃には、三分とは3割でなく、3%であるとつぶやいている。よってこれは出口王仁三郎の見方とは一致しない。
続瑞能神歌のもうひとつの問題箇所は、
「血潮に赤き統一も 一年余年の殺りくも」
出口王仁三郎のつぶやき(新月の光/木庭次守編)によれば、日本の立替は、半年であり、1年余年というのは、これと合致しない。
このように子細に見ていくと、続瑞能神歌の真偽は怪しいと言わざるを得ない。
誰か神がかった人の霊言をまとめて、箔をつけるために出口王仁三郎作と称したのだと思う。その時にその霊能力者の見ていた世界が地獄に近い霊界であればあるほど、悲惨な未来を予見することになるもの。
※(2023-03-15)本物の予言者は、現世を予言するものであって、霊界である地獄を予言するものではない。