◎一行三昧
『
【コース選定】
三昧発得、すなわち宇宙意識的自己に目覚めれば、その中に、超越のみではない。この世を生きるものとしての君が、選ぶにふさわしい人生コースについての智恵は、自然に備わっている。
しかし、一時的な見性・見神はたやすくても、それが完全に全体的なものになるのは、永遠の修行そのものにおいてである。そこで、冥想道の基本過程を一まず完了した修行者諸君のために、コース選定という課目を出しておいてもよかろう。
コースの根本的選定は、君の霊的な本質個性によってなされる。
したがってコース選定の段階に入る以前に は必ず何らかの形での一行三昧の訓錬がおこなわれている。一行三昧というのは、幅広く冥想道の行法や知識に通じるのではなく、何か一つの「これだ!」というものを発見するということだ。』
(冥想道手帳 MEDITATION WAY MEMOダンティス・ダイジから引用)
いよいよコース選定段階に入ってきた。だが、誤解しやすいのだが、見神も見仏も見性もしていない人は、コース選定の段階に至っていない。まずは見神、見仏、見性の体験が必要となる。
三昧発得とは、ニルビカルパ・サマーディ(無相三昧)のこと、宇宙意識とは、ニルヴァーナのことである。三昧発得と宇宙意識的自己が並んでいるのは、冥想十字マップの世界観が念頭にあるものと思う。つまりニルヴァーナ並みの体験とは言えない体験があれば、食べていく方法も自ずと出てくると言っているだけ。
またここは、悟りを開いても聖者高僧として生きるわけではなく、自動車修理工やコンビニの店員や職人や非正規サラリーマン(ウーマン)や農家のようなありふれた社会人として生きるようなことが念頭にある。
よってコース選定とは、職業選定のことなどではないのだ。
『一時的な見性・見神はたやすくても、それが完全に全体的なものになるのは、永遠の修行そのものにおいてである。』とは、見神見仏を体験した者が、悟後の修行である聖胎長養を行ってさらに完璧を期すこと。
聖胎長養の意義と狙いについては、以下に考察したものがある。
コースの根本的選定は、必ず一行三昧を経る。一行三昧によって、見神、見仏、見性を達成するのであって、スピリチュアル哲学やオカルト・テクニックの本を読み漁ることではない、という風に読める。
そして一行三昧によって自分の霊的本質的個性を見極めるのだ。西洋占星術やタロットで見極めるのではない。そんな時代ではないだろう。西洋占星術も四柱推命もタロットもオラクルカードも易占もルノルマンも、わが身に備わっている時代となって久しいのだ。