◎何かまずいことが起こりそうだと感じたら中止する
冥想では、閉眼と開眼と半眼がある。半眼ではエネルギーが体内で還流するが、閉眼と開眼では、エネルギーは流出あるいは体外と交換する。
第三の目と言えば、1ドル札だったり、石屋のシンボルを思い浮かべることが多いが、インドや西洋だけの特許ではない。第三の目は誰にでもあるからである。
OSHOバグワンは、第三の目について重要な言及をしている。
曰く、
- 両目は、肉体にある。第三の目は、アストラル体(sookshm shareerスクシュマ・シャリール)にある。
- エネルギーが肉体にある時、両目は物質ばかり見るが、第三の目で見る時は、相手の見え方は肉体でなく、アストラル体、魂、霊性になる。
- 第三の目が機能して初めて、別次元に入れる。
- 見ることには、エネルギーが要る。そのエネルギーが両目で働けば、肉体の両目が見えるが、第三の目は見えない。そのエネルギーが第三の目で働けば、第三の目は見えるが、両目は見えない。
よって、そのエネルギーを第三の目に転移させれば、「第三の目」は開く。
一点を見つめて両目を静止させれば、そのエネルギーは両目に流れず、どこかへ行こうとする。第三の目の位置は、両目の間で深さ半インチほどのところだが、両目に近いがゆえにそのエネルギーはひとりでに第三の目に流れる。
- 第三の目が開けば、他人の死期が見える。怒りなどのオーラが見える。
- 両目が停止した場合で、そのエネルギーが噴出して頭蓋骨の第三の目部分に穴があくという事故もある。チベットでは、そのエネルギーを通りやすくする外科手術もあった。
- アストラル体が見えれば、それだけでよいということではなく、アストラル体が死ななければ、輪廻転生というカルマから抜け出せない。これは、誰でも肉体が死ねば悟れるということではないのと同じ。
(参照:ヴィギャンバイラブタントラ 第三巻/OSHOP231-244)
だが、本当に両目を静止させただけで、第三の目が開くような代物でないことは皆もよくご承知のとおり。また、素人がそういうことを見よう見まねでやった場合、頭蓋骨に穴が開くなど死の危険もある。だから弟子の行動にあまり興味がないようなOSHOバグワンですら、『何かまずいことが起こりそうだと感じたら中止する』と警告を発している。
第三の目とは、霊能力者の目つきは、恐ろしげでこわばっている程度の軽いものではないのだろう。また第三の目が開きさえすればよいとも言ってはいない。悟りとは、第三の目の位置するアストラル体の死の先でもある。アストラル体には天国も地獄もある。