◎内的中心に投げ返される
合気道も達人クラスになると指先から○センチ先の一点に力を集中してなどと身体外のワンポイントを集中点とすることがある由。
古神道でも鎮魂法では、鎮魂石という体外の一物に一心不乱に意念を集中するという技法がある。
このメカニズムについて、OSHOバグワンが説明している部分がある。(112ある冥想法中第13番目の技法)
『13 ひとつの対象にトータルに集中する
あるいは、孔雀の尾の五色の円を、
自分の五感として無辺の空間に想像する。
それから、その美を内側で溶かす。
同様に、空間や壁面の点についても、その点が溶け去るまで・・・・・。
そのとき別なるものへの、あなたの願いは実現される。
これらのスートラすべての主題は、どのように内的中心を成就するかだ。そこに使われる基本的メカニズム、基本的技法は、次のとおりだ。もし、外側にセンターを創り出すことができれば――それはどこでもいい、マインドの中でも、ハートの中でも、あるいは外部の壁面であっても、
もしその上に集中しきって全世界を括弧外に出したら、もし全世界を忘れ一点だけが意識の中に 残ったら、突然あなたは内的中心に投げられる。』
(ヴィギャンバイラブタントラ(2源泉への道)OSHO/市民出版社 P26-27から引用)
この最初は、五色の孔雀の尾を対象として行う観想法。対象が観想用ビジョンであっても空間や壁の点でもよいが、それにトータルに集中することによって、集中しきった瞬間に、頭(マインド)から内的中心に投げ出されると言う技。
この技法について、OSHOバグワンは、色彩の感性がとても優れている人に向いている。つまり、夢は100人中99人が白黒で見るが、夢をカラーで見る残りのたった一人の人がこの冥想技法に向いている。色彩感覚に優れた人向けの観想法であることをも注釈している。
そして特に色彩感覚に優れてない人は壁面の点や空間を使う。まばたきをせず、その点が溶け去るまでやる。まばたきをすると一瞬の隙間が生まれるからである。人は頭(マインド)で点を見ているが、一点を見続けることで頭は止まり点が溶ける、内なる中心アートマンにつながる瞬間があり得る。
この技法で内的中心に投げ出されたら、外もなく内もなく純粋な意識としてそこにある。内的中心と言いながら、外もなく内もなくと表現されている。
キリスト教でもイエスの一生の出来事を観想してイエスに成りきるという技法は多用される。
七つの身体だから身体以外のポイントを用いるには抵抗のある人もいるのかもしれないが、冥想技法の実情はこのとおり。
組織宗教で、よく教祖を崇拝するわけだが、自分の身体外の他人である教祖を崇拝するとか成りきるというのも、身体外のポイントと言う点では、同じ流れと見ることもできる。