◎ジェイド・タブレット-05-24
◎青春期の水平の道-23
◎松尾芭蕉-5-無常、臨終-2
◎一生の終わりも幻住なるべし
昔、NHKの朝ドラで、「おしん」というのがあって、子供のおしんをいじめ抜いた父親(伊藤四郎)が、何十年も経って後、死ぬ間際になって、意外にもおしんにやさしい言葉をかけるなど、人格が真人間に立ち返っていく場面があり、ぎょっとさせられたことがある。
一休も病気がちだったが、芭蕉も病気がちだった。
松尾芭蕉は、30代で見性し、50歳間近になって、滋賀県大津市の中古木造住宅に住むことになった。これを幻住庵と名付けた。
(芭蕉の幻住庵記を現代語拙訳)
『私は、ただひたすらに閑寂を好むというのではない。ただ病身のため人にうみ、世を逃れた人に似ている。
なんということか、仏法を修行するでもなく、世の職務をつとめるでもなく、仁にもつかず、義にもよらず、若い時から、ただむやみと好きなことがあって、それが、ひとまず生活の手段とさえなったので、わが身の無能無才により、とうとうこの一筋につながれたもの。
およそ西行・宗祇の風雅の道におけるもの、雪舟の絵におけるもの、利休の茶におけるものについて、我と彼らとの賢愚は異なるが、これらに一貫しているものは一つであろうと、痛む身体の背中を押したり、腹をさすったり、痛みに顔をしかめたりするうちに、いつのまにか人生の初秋も半ばを過ぎた。
一生の終りもこれに同じく、夢の如くにして、又々幻住なるべし
先ずたのむ 椎の木もあり 夏木立
頓(やがて)死ぬ けしきも見えず 蝉の声』
芭蕉は、頼りになる椎の木を見つけた。椎の木(本来もなき古(いにしえ)の我)を見つけた自分も、見つけなかった人も
頓(やがて)死ぬ けしきも見えず 蝉の声
芭蕉は、蝉の声に現象世界全体の生成化々を見ている。