アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

松尾芭蕉-5-一生の終わりも幻住なるべし

2023-11-21 03:24:37 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-05-24

◎青春期の水平の道-23

◎松尾芭蕉-5-無常、臨終-2

◎一生の終わりも幻住なるべし

 

昔、NHKの朝ドラで、「おしん」というのがあって、子供のおしんをいじめ抜いた父親(伊藤四郎)が、何十年も経って後、死ぬ間際になって、意外にもおしんにやさしい言葉をかけるなど、人格が真人間に立ち返っていく場面があり、ぎょっとさせられたことがある。

 

一休も病気がちだったが、芭蕉も病気がちだった。

松尾芭蕉は、30代で見性し、50歳間近になって、滋賀県大津市の中古木造住宅に住むことになった。これを幻住庵と名付けた。

(芭蕉の幻住庵記を現代語拙訳)

『私は、ただひたすらに閑寂を好むというのではない。ただ病身のため人にうみ、世を逃れた人に似ている。

なんということか、仏法を修行するでもなく、世の職務をつとめるでもなく、仁にもつかず、義にもよらず、若い時から、ただむやみと好きなことがあって、それが、ひとまず生活の手段とさえなったので、わが身の無能無才により、とうとうこの一筋につながれたもの。

およそ西行・宗祇の風雅の道におけるもの、雪舟の絵におけるもの、利休の茶におけるものについて、我と彼らとの賢愚は異なるが、これらに一貫しているものは一つであろうと、痛む身体の背中を押したり、腹をさすったり、痛みに顔をしかめたりするうちに、いつのまにか人生の初秋も半ばを過ぎた。

一生の終りもこれに同じく、夢の如くにして、又々幻住なるべし

 

先ずたのむ 椎の木もあり 夏木立

 

頓(やがて)死ぬ けしきも見えず 蝉の声』

 

芭蕉は、頼りになる椎の木を見つけた。椎の木(本来もなき古(いにしえ)の我)を見つけた自分も、見つけなかった人も

頓(やがて)死ぬ けしきも見えず 蝉の声

芭蕉は、蝉の声に現象世界全体の生成化々を見ている。

コメント
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