◎ジェイド・タブレット-05-32
◎青春期の水平の道-31
一休が自分の肖像に賛をするには、
生也死也(せいやしなり) 死也生也(しやせいなり)
柳は緑 花は紅
喝
柳は緑ならず 花は紅ならず 御用心ご用心
一休筆題
科学性ということでは、生は死ではなく、死は生ではない。かつまた柳は緑 花は紅というのは科学的真実かもしれないが、100年の後柳は枯れ花は散る。諸行無常、色即是空もまた時間軸を採用すれば科学的真実だが、永遠を課題にした瞬間に科学的真実は、絶対性を失い相対的真実に落ちる。
さらに見ている自分を喪失したのを踏まえて次のような道歌がある。
本来もなきいにしえの我ならば
死にゆくかたも何もかもなし
更に
はじめなく をはりもなきに 我が心
生まれ死するも 空のそらなり
また
ゆくすゑに 宿をそことも 定めねば
踏み迷ふべき 道もなきかな
最後の歌では、宿を失い、道も失うというところに絶対の孤独と、あらゆるものが未知であるという実感が隠れているのではないかと想像される。
山水画によくある孤舟沙笠の翁が一人小舟を操って雪の中を川を下るモチーフこそ、この未知と孤独を云っているように思う。