◎ほろほろと 山吹散るか 滝の音
ダンテス・ダイジは、芭蕉のことを評価していた。彼が好きだった三句。(参照:君がどうかい?/渡辺郁夫編p129)
ふと見れば なずな花咲く 垣根かな
※これは、続虚栗(ぞくみなしくり)という句集にある「よく見れば薺(なずな)花咲く垣根かな」である。普段は気にも留めぬなずなの白い花だが、波もない水面の如く落ち着いた心には、よく映って来る。
旅人と わが名呼ばれん 初時雨
※これは、笈の小文にある。前書に「神無月の 初(はじめ)、空定めなきけしき、身は風葉の行末なき心地して」とある。奥の細道序文に「月日は百代の過客にして」とあるように、寄る辺なき旅人気分が芭蕉にはいつもある。それは、芭蕉が旅から旅の人生だからというわけでもなく、覚者の孤独の影が差している。ダンテス・ダイジは、神人合一したことで、何もかも見知らぬ世界に生きることになり、帰る家を失った。郷里がなくなれば、彼は旅人でいるしかない。そのことを道教の大立者呂洞賓は、無何有郷と呼ぶ。
その心情を覚者の社会性喪失から来るところの寂寞とだけ見るのでは浅い。六神通と言われる超能力を駆使できてもそこは残るのだろう。悟ると世界は逆転するが、世界の逆転とはそのような旅人となることなのだろう。
ほろほろと 山吹散るや 滝の音
※これも、笈の小文にあるのだが、「ほろほろと 山吹散るか 滝の音」で、一文字違っている。吉野川のごうごうたる滝の音を遠くに聞きつつ、桜にも劣らぬほどに咲き誇った山吹がほろほろと散っている。ダンテス・ダイジは、「このほろほろがよい。」と嘆じている。
松尾芭蕉は37歳の時、深川芭蕉庵で出家して、仏頂和尚に印可(悟りの証明)を受けている。