◎オープナー、シークレッター
冥想道手帳の続き。
見神、見仏、見性を達成したらコース選定となる。
『冥想の法楽を本当に知る者は、次の四つのコースを選ぶことになるだろう。
1・オープナー
宇宙意識の正念相続を実現した者には、もう個別性においても全体性においても、どのような抑圧、シコリ、とらわれもない。
そしてオープナーは、開かれた人、大いな る凡人として、あらゆる人間生活の中に入って行く。聖者という言葉の本当の意味はここにある。
もう君は、釈迦やキリストになろうと政治家や実業家やパン屋や農夫になろうと、乞食や帝王になろうと、みんな同じだ。
どのような生活を選ぼうと、君は絶対なる光明そのものであり、君のどのような行為も慈愛の現れとなる。』
(冥想道手帳 MEDITATION WAY MEMOダンティス・ダイジから引用)
『宇宙意識の正念相続』とは、ニルヴァーナを見たり、体感できていること。その場合、自分が世界全体、宇宙全体にして、ちっぽけで無力な一個人であることを知っているので、『個別性においても全体性においても』という表現となる。どんな職業だろうが、どんな境遇だろうが、どんな生活をしようが、悟りを生きているので、すべての行為が慈愛に満ち、光明にあふれている。
至福千年では、凡人が神仏を知っているので、このようなライフ・スタイルになる。
『2・シークレッター
遊び戯れる者、時には神秘力を使って人々 を楽しませる。
彼は、人間社会を見ない所にいる。彼の眼は、神の菩薩的側面ではなく、神の遊戯者 の側面を見ている。
彼は、神通力のもっともよき使い手であり、また、決して有名になることのない聖者である。
とても茶目っ気のある聖者だ。』
(上掲書から引用)
これは、在家でも出家でもよいが、誰にも知られず道を達成していて、それを隠して生きている人。聖者の伝承では、時々見かける。
孔元方は、その一例。ある時大勢で酒を飲む機会があったが、彼は杖を立てて片手で杖を握って、身を翻して宙に逆立ちをしたまま反対の手で杯をとって酒を飲んで周囲の人を大いに驚かせた。
また、孔元方は寡欲であって、妻子もあったが、金品を貯蓄することもなく、彼の失火で自宅が火事になった時も、消火もせず、家財を持ち出す手助けもせず、垣の下にうずくまって見ていただけだった云々。
神の菩薩的側面とは、善男善女が平素悪いことをせず善いことを積み重ねて努力して生きているが、それを神がサポートする面というような意味。
神の遊戯者の側面とは、トリックスターであって、素戔嗚尊や北欧神話のロキや古代インドのヘルメス、現代ではOSHOバグワンもそれだろうか。それは一見親切や小さないたずらに見えるかもしれないが、時には人間にとってのっぴきならない試練を与える場合もある神の側面。
神通力を使う場合は、人知れずやるのが基本。イエスや出口王仁三郎のように派手に神通力を見せるのは例外的。