◎念仏の効果の多様性
(2009-11-06)
一回念仏をしただけで往生できると法然は云い、また別の浄土門の聖は何万遍も念仏しないと浄土に往生できないという。
只管打坐で坐り続けていても、霊能力が開けて優れたクンダリーニ・ヨーギになって、中心太陽への突入を目指すことになるかもしれない。
また念仏を日がな唱え続けているうちに、自分が南無阿弥陀仏というマントラになりきった時から、浄土に往生できるかどうかではなく、この世も地獄も浄土ももともとなかったという禅的悟りを得る人もいるかもしれない。
日蓮だって、自筆曼陀羅の中に天照大神を書き入れて、自ら宗派の壁を超えた。
ことほど左様に冥想修行の形式と行く先は、思惑どおり論理的に展開するとは限られない場合がある。
だから最近の歴聖が、「現代人は、ちょっと坐っただけですぐ悟れる」と口を揃えるのは、現代人なら、「どうしても浄土に往生したいと思い詰めたなら」念仏は一回で良しとすることを暗示している。
でも浄土に転生することと、念仏を唱えるというマントラ念唱は、本来別々のものであって、善導や法然が、念仏と往生を結びつけてしまったので、それが先入観になっているということがある。
マントラ念唱自体は、古今東西様々な宗派で利用されている。