◎原典救世主入門の位置
ダンテス・ダイジが存命であれば、72歳。当時20代だった弟子たちも老いた。何千人かいた彼の知己の中で弟子とされるのは、その極く一部なのだろうが、それは布教の時期別に4グループに分かれているとされる。
彼は、その人一人の時、所、位に応じた教えというのを徹底していたがゆえに、彼の教えの全容は、そのすべてを知ることがない限りわからない、ということになる。
ダンテス・ダイジは、他心通、宿命通を用いて相談者の境遇と未来と過去を見抜き(相談者の守護霊がオレに報告しにくる、などと説明していた)、すこぶる親身に相談者にアドバイスをしていた。それは、布教などというものではなく、本当に親切な人生相談のようなものであった。
一方で、禅者には、一瞬の隙をも見せず峻厳に応対し、クンダリーニ・ヨーギに対しては、慈母のような優しい応対であった。
ダンテス・ダイジは、文章を残すことに相当に心胆を砕いていたが、主著なるものがあるわけではない。彼の存命中の著作は、私家版の超宗派的冥想など何種かあるが、商業ベースでは、ニルヴァーナのプロセスとテクニックだけ。
原典救世主入門は、リチャード・バックの小説に断片が掲載されていたのを、出所はアトランティス時代のダンテスの教えだったとして、全章を復刻してみせたもの。ただ、感情人間であっただろうアトランティス人に向けて書かれたものであって、全体に現代人にとっては、やや大時代な部分があるかも知れない。なぜなら現代人は、彼と友人として出会っているからである。1万二千年前のアトランティス当時は、主導的宗教グループ、アメンティの一員対大衆というベースで原典救世主入門が書かれたのだが、今は、知性の発達により原典救世主入門に書いてあることなどいわば常識として闊歩する人間が多いのである。
だが理屈でわかっていても、それを生き切るのはなかなか大変なことである。
すべての人間が、何のために生きるかが、自分につきつけられた公案となって久しいが、それに沿って愚直に素直に、あるいは肩ひじ張らずにやれている人に出会うことはとても稀かと思いきや、最近意外にその愛と自由の断片を持っている人が多いことに気づかされてもいる。このあらゆるマインド・コントロールの嵐でサクラン(錯乱)した時代であってすら。
それが、日本教の懐の深さでもあり、それがダンテス・ダイジが20世紀に日本を舞台に選んだ理由でもあるのだろう。