◎まず否定はせず肯定するのが常だった
ダンテス・ダイジの著書『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』に四つの章があり、マントラ禅、丹田禅、クンダリーニ・ヨーガ、只管打坐と四つの章が並んでいるので、たいていの人は、この四つの門が彼のメインの教えなのだろうと勘違いをする。
だが彼の裏主著というべき『老子狂言』では、老子という只管打坐系の覚者を看板に掲げてはいるが、悟ったままに遊ぶ、あるいは醒めたままで狂言するの如き、およそ社会性とは全く無縁の自分の運命を自由自在に生きる覚者の姿が次々と描かれている。
ダンテス・ダイジの弟子たちには、マントラ禅、丹田禅、クンダリーニ・ヨーガ、只管打坐をメインに修行した者たちが多いのだろうが、彼自身のエピソードを追ってみると、出口王仁三郎の古神道とヤキ・インディアンのドン・ファン・マトゥスのソーマ・ヨーガの影響も見え隠れする。
ダンテス・ダイジの基本姿勢は、誰か有名宗教家や他人の修行法について、まず否定はせず肯定するのが常だった。『それでも、いつかは窮極に至ることはできる』などと云って・・・・。真言立川流とか、宗教ではないが国家を邪境化する共産主義には否定的だったが、それは例外的である。
つまり彼は、その修行法が間違っていようが、彼の目からは誤った修行法に打ち込んでいる人も既に神であり、またそんな修行者も何生か後には大悟するという遠大なサイクルの下にそう言っているのだろうと想像される。
だがそういう姿勢は、邪教を世にはびこらせることを妨げないということにもつながっていく。ダンテスの悪影響としてそのことを自ら一章を割いて説明しているのだが、そのことですら、わかる人にはわかる類のことである。
かくして現代は、経済的利益と便利を求める罠に完全にはまったがゆえに、このcovid-19の先の視界に世界全面戦争が見え隠れすることになり、恐惶をきたしている人も増えつつある。ダンテスの悪影響なくば、次の至福千年の開花の全面性は完璧を期せなかったか。それは、あなたのせいではなく、ダンテスの悪影響のせいか。
『悟りのテクニシャン
私は宇宙のカラクリを
見抜くテクニシャン。
すべての道術家がそうであるように
私はこのテクニックに、
すべてをかけているつもりだ。
そして
すべての答え——
私自身の愛と全智全能とを
いくたびか知り
そして、それと合一した。
が、
私は何も知らない。
尾骶骨が痛むように···』
(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)
ダンテスの悪影響とは、最後の
『が、
私は何も知らない。
尾骶骨が痛むように··』
のところですね。