◎上意下達のスタイルは去った
ここに霊がかりにこだわる人につける薬がないことを挙げる。
明治36年出口王仁三郎が、拝み屋みたいなことを盛んにやって霊能力で病気直しなどをしきりに実施していた頃のこと。
ある日出口王仁三郎が、西原に行ってこの道を述べ伝えて迷える信徒を救おうとしている時、開祖出口ナオがこれを押し止めた。王仁三郎これを怪しみて、「神は人を救うをもって心とし給うべきなのに、今これを押しとどめなさるのはどうしてでしょうか。われらはこれを傍観するに忍びずとして息まいています。」
出口ナオがおもむろに諭すに
「西原は、超能力でしばしば不思議を示したり、病気を癒したり、家を富ませたりして、今まで幾度となく信仰の手がかりを与えてくれて、私も自らしばしば行って教えさとしたけれど、疑い深くて、正しき道につくものはなかった。
行ってはいけません。行けば行くほど説けば説くほど、彼らは自分のけがれた心にひきくらべて、神の御心を曲解するでしょう。
あわれむべき者だけれど、因縁のない者はこれを助ける手段はありません」と教えてくださった。
(出典:道の光/出口王仁三郎/天声社)
霊能力の有無に限らず、大方の人は想念でビジョンを形成し、願望を現実化するということは多かれ少なかれ自らやっているものだと思う。
霊がかりで典型的なのは高級神霊のサポートということになるが、この逸話では憑依には三種あって云々ということは深入りせず、縁の有無ということを問題にしている。
高級神霊が自分のそばに降臨しても、眠っていて気づかないということもあるし、貴重なアドバイスを耳から聞いていても理解できなくて無駄に終わるということもある。
縁とは、そういう、カルマ的な部分とタイミングの部分、精神の成熟の部分、相性など複合的な要素で成るように思うが、結果からみれば本人がキャッチするかしないかということだけである。釈迦も縁なき衆生は度し難しとした。
出口王仁三郎も霊がかりを大正末年の頃には脱して、第一次大本事件以降は別のやり方になった。
いささかドライに見えるが、現代の伝道・布教というのは、伝統的な上意下達で上にある布教師が下である平信徒に教えを伝えるというスタイルではもはや通用しなくなっている。
平信徒自らの覚醒を至上命題とするからには、グルですら平信徒のサポート役しかできないからである。
明治の頃とは正しい教えとの因縁の形が変わっている。