◎コスモポリタン、冥想教師
見神、見仏、見性を達成した者のコース選定の続き。
『3・コスモポリタン
世界市民ではなく、宇宙市民のことである。
すべての人々は、みんな本来はコスモポリタンとして生きている。
ここでは、悟りの深さとか、個性の優劣とかはまったく関係ない。
君がどのように生きようとも、君は君らしくあればいいんだ。』
(冥想道手帳 MEDITATION WAY MEMOダンティス・ダイジから引用)
宇宙市民として、個人の輪廻転生の行方によっては、他の天体に転生することがあり得ると示唆しつつ、他方宇宙全体と一体であることを体験として知っている。
『君は君らしくあればいいんだ。』は、彼の初期の説法においては、見神、見仏、見性なしに、単に君らしく生きることでよしとしていた時期がある。これをライフ・スタイルの悟りと呼んでいた。後に、悟り必須の立場に方針転換した。
そこで、この文を読むと明らかに見神、見仏、見性を前提としての『君は君らしくあればいいんだ。』であることがわかる。
『4・冥想教師
教師は、かくされた自我の表現欲から教師であることはできない。
教師は、教育衝動という名を借りた権力欲によって教師なのではなく、教師として生まれてきたがゆえに教師なのだ。これは、教師になろうとする君の才能とか境涯以前の核芯的問題だ。
もし君の天命が教師であるのなら、君の神秘体験が浅かろうと、教育技術が未熟であろうと、そんなこととは別に、君は本当の教師を生きるだろう。』
(上掲書から引用)
ここで唐突に具体的職業としての冥想教師が、4つしかないコースの一つという重要な人生コースとして登場してくる。
今の職業として教師をやっている人のことは全く問題にしていない。
次の至福千年では、青少年は学校で冥想を授業で学ぶことになっているのだが、それを教えるのが冥想教師。冥想教師は、万人が神知る時代、すべての人が神知る時代を根底から支える重要な基盤である。
『君の神秘体験が浅かろうと』と体験とは言えない体験を経ていなくてもよいとしている。
そこで冥想教師が天命である人が、本当の教師を生きるのだ。