アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

ダンテス・ダイジの教えの全貌-3

2022-10-11 06:57:25 | ダンテス・ダイジの風光

◎ソーマ・ヨーガ

 

求道者は、いつの時代も悟り薬を求める。何のために?

生きる苦悩と死の恐怖を超え、無上の歓喜を求めるために。

 

ダンテス・ダイジは、高弟の一人に対して、『死とは、水を張ったバケツから腕を引き抜くようなものだ。』と語ったそうだ。

 

薬物ジャングルの探検者ティモシー・リアリーが妙なことを書いている。ケタミンによって引き起こされる臨死体験に際して、『それを経験する者が誰もいないのに、宇宙の全情報が通り抜ける』のだそうだ。これは、例の『体験とは言えない体験』の別の表現である。

 

『ケタミンが引き起こす遊体離脱体験はしばしば浮遊感を伴い、トンネルを通り抜けている感じに近いという。またどんなに高用量のサイケデリック・ドラッグも自我の喪失感では、ケタミン投与にかなわない。それを経験する者が誰もいないのに、宇宙の全情報がどうやって通り抜けていくのか、それをR.U.シリアスは不思議に思ったという。ケタミン体験において死はとてもリアルだ。この世界と次の世界との間の薄い膜を肌で感じることができ、しかもそれは恐ろしくない。他のサイケデリック・ドラッグでの死で体験するようなパニック感が、ケタミンの場合には皆無だ。ケタミン体験の最中は、置き去りにしてきた世界のことがほとんど気にならない。』

(死をデザインする/ティモシー・リアリー/河出書房新社P220から引用)

 

このケタミン体験では、肉体に戻れない不安など毛ほどもないことが示される。水を張ったバケツから腕を引き抜くとは、そういう感じなのだろうか。

 

ヤキ・インディアンのドン・ファン・マトゥスに師事したカルロス・カスタネダは、ソーマ・ヨーガ(薬物冥想)を長年探求したが、そのほとんどの年月は、本番ともいうべき“飛び込む”時節までに、自分の関わってきたすべての人に別れを告げるなど、自分の準備に費やされた。

 

西洋錬金術書に“近道”というような表現が出てくることがある。近道として、ソーマ、向精神性薬物を一定量摂取さえすれば悟れるかといえば、決してそんなことはない。まず準備ができているかどうかが問われる。

 

富士山登山でも、八合目まではなんということはないが、それ以上になると低酸素により高山病を感じ、かなりの人が登山路にうずくまっていることに似る(田中陽希のTV番組グレートトラバース富士山)。

 

ソーマ・ヨーガと言えば、古代インドのベーダの昔から伝承され、その価値の奇天烈性は、漁師のおしっことして与えられたりすることで象徴される。

 

また準備が完全にできていなければ、似非サマディーなる見神見仏にとどまる。自分が死んではいないのだ。

 

1960年代から70年代にかけ、薬物規制のゆるかったカリフォルニアとメキシコを舞台に描かれた長編小説のカルロス・カスタネダのシリーズは、1980年代から90年代には日本でもよく読まれた。

 

どんな冥想でもそうだが、正しいグルのいないソーマ・ヨーガは危険である。クンダリーニ・ヨーガが危険とされるのと同様に。

 

ダンテス・ダイジのソーマ・ヨーガでは、常にドン・ファン・マトゥスが意識されていたのだろう。カルロス・カスタネダへの言及は多い。

只管打坐も含めたラージャ・ヨーガでは、常に先入観を壊す、先入観を排除するという修行も行われる。ソーマ・ヨーガでは、そこを飛び越えるがゆえに、それに耐えられるかどうかというポイントは常にある。

 

今の時代は、うつ病の蔓延により、向精神薬がどのようなものか実体験している人が多いが、治療の方向性は、社会人として適応させることに向かっているので、そもそもソーマ・ヨーガとは方向が異なる。

 

それでもアヤワスカにまともにチャレンジした藤本みどりのような人もいるので、危険をはらむトラップ付超特急のようなメソッドとしてソーマ・ヨーガはあり続ける。

 

そうやって成功せず討ち死にした無数の人もいることは、カルロス・カスタネダのシリーズに記載されているし、クンダリーニ・ヨーギ本山博が霊界で目撃したような人々の中にもいたのだろう。

 

道教の魏伯陽も弟子の準備ができているかどうかを確認するために毒薬をあおった。

 

ソーマは逃げないが、まずは自分の準備ができる時節を待たねばならない。だが時節が待ってくれるかどうかは、一生一回きりしかない我々にとっては心もとないものである。

 

ダンテス・ダイジのメディテーション・トラベル・ガイドには何篇かのソーマ・ヨーガをテーマにした詩があるが、その一部。

『素直であればいい

混乱や恐怖や不可解な中でも 

ただ素直であるしかない

天国だろうと地獄だろうと 

俺はあるがままでいるしかない

 

ドラッグ・ソーマの神は 

時にトリップ者を 

トリップの袋小路に誘い込む

 

それはトリップ者が 

耐えられるぎりぎりのトリックだ

 

そしてこの耐え難い 

トリックパズルを 

解くやり方は

 

素直であること 

それのみである

 

恐れるな

恐れにどんな根拠もない

 

今こそ 

君はすべてのすべてを見る 

君がすべてのすべてだ』

(メディテーション・トラベル・ガイド/ダンテス・ダイジ/ソーマ・パイロットの言葉から引用)

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ダンテス・ダイジの教えの全... | トップ | ダンテス・ダイジの教えの全... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ダンテス・ダイジの風光」カテゴリの最新記事